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晴れた空が嫌いでした。  作者: 津森太壱。
【晴れた空をきみに捧ぐ。】
17/23

15 : 魔導師に恋した。

いきなりですが未来へと時間軸が進みます。

ご注意ください。






 見ていてやって、とアッシュに言われて、エリクは救われたその日からずっと、欠かすことなく毎日見ていた。


「ロザさま、ロザさま」

「んあ? ああ……もう朝か」


 呪具作りを始めると寝食が疎かになる婚約者さまは、この日もなにを熱心に作っていたのか、作業しながら転寝をしていた。エリクはそれを朝になって発見したわけだが、いったいいつからこの状態だったのか、婚約者さまの目許には隈があった。

 くあっ、と欠伸をしたエリクの婚約者、雷雲の魔導師ロザヴィンに、エリクはすかさず朝の珈琲を差し出した。


「悪ぃな」

「いいえ。熱いですから、気をつけてくださいね」


 ここに来るまでに適温にはなっただろうけれど、と言うと、ロザヴィンが小さく笑った。


「なにか?」

「いや。すっかり、口調が変わったなと思って」

「それはアッシュさまの……母さまのおかげです。いろいろと教えてもらいました」


 あれは礼儀作法と言うものだ。必要だからと、エリクは養母のアッシュに叩き込まれた。大変だったが、ロザヴィンを見ているためには本当に必要なことだったから、エリクは頑張って憶えた。


「おれのこと呼び捨てにすんなら、べつに敬語じゃなくていい」


 エリクの努力を、ロザヴィンは笑って流すけれども。


「ロザさまはロザさまです」

「……あっそ」


 肩を竦めたロザヴィンに、「飯」と端的に言われ、持ち運んだ籠の中身を机に広げる。

 ロザヴィンという婚約者ができて二年近く経つが、食事を運んでくるようになったのはこの半年でのことだ。正確には、エリクが料理を教わるようになってから、寝食を疎かにするロザヴィンのところへ勝手に運んでいる。最初は面倒そうな顔をしていたロザヴィンも、エリクが諦めることなく運んでいるうちに、その時間になって現われるエリクに「飯」と言うようになった。それを大きな進歩だと、アッシュは言っていた。


「不格好な卵焼きがある……」

「練習中です」

「ふーん……」


 ロザヴィンは、まだ美味いとは言えないエリクの料理を、文句も言わずに食べてくれる。いや、無言で食すので、なにを思っているかはわからない。それでも、不味いとか、食えないとか、要らないとか、そういうことはこの半年で一度も言っていない。

 だから今日も、ロザヴィンは不格好な卵焼きがあっても、運んできた朝食を綺麗に食べてくれた。


「昼は持ってこなくていい」


 食後に言われた言葉に、え、と寂しく思う。


「出かける」

「……そ、そうですか」


 出かける用事があるとき、大抵は昼食も夕食も断られる。今日はその日なのかと、少し残念に思った。

 けれども。


「要らねぇとは言ってねぇぞ」

「えっ?」

「そっちに寄る。だから運ぶ必要はねえ」


 要らないのは、運ぶ手間のようだ。


「ま……待ってます!」

「……嬉しそうだな」


 面倒じゃねえの、と訊かれて、そんなことはないと、首を左右に振る。作った料理を食べてもらえるのは、とても嬉しいことだ。それがロザヴィンなら、エリクにはなおさらだ。


「昼食はなにがいいですか?」

「蕎麦」

「へ……そ、そば?」


 なんだそれ、と呆けたら、ロザヴィンも呆けた。


「あ? 知らねぇの? じゃあいいや。テキトーで」


 そんな、とエリクは慌てる。


「待って! それ、アッシュさまは知ってるものですか?」

「知ってんじゃね? 前に食ったことあるし」

「なら作ります!」


 ロザヴィンが食べたいなら、どんな難しい料理でも頑張って作る。そう意気込んで返事をすると、ちょっとだけロザヴィンは引いていた。


「……まあ、頑張れ」

「はい!」


 ではさっそく、とエリクは運んできたものを片づけ、籠に収める。部屋を飛び出そうとしたら、ロザヴィンに呼び止められた。


「おい」


 いつも、おい、とか、おまえ、とかで呼ばれる。もう慣れてしまったことだが、ロザヴィンは今まで一度でもエリクの名を口にしたことがなくて、エリクとしては少し寂しい。


「まだ確定してねぇけど、今日はそっちに泊まると思う」

「それなら夕食も?」

「いや、その時間は過ぎる。これ、アッシュに渡しといてくれ。頼まれた呪具だ」


 ぽい、と投げて寄越されたものを、ちょっと慌てながら受け取る。小さな木箱は、エリクの手のひらにもすっぽりと収まるものだ。


「呪具をそんな乱暴に……」

「呪具だっても、まだ力も付与されてねぇもんだ。知り合いに渡して、気に入ってもらえたら力を付与するんだと」

「今朝までこれを作ってたんですか?」

「急ぎだって言われたからな。特急料金寄越せって言っといてくれ」

「わかりました」


 なんだろう、と思いながらも、受け取った小さな木箱を慎重に籠に入れ、エリクは今度こそ部屋を飛び出した。


 ロザヴィンが住まう王城内の魔導師団棟の廊下をたかたかと走り、顔見知りになった魔導師たちに朝の挨拶をしながら、もはや使い慣れたと言っていい転移門へ向かう。魔導師の力がないエリクには、魔導師たちが使う転移門を使うことなどできないのが本来なのだが、養女に迎えてくれたレクト家と魔導師団棟を足で行き来していたら、ロザヴィンが使えるようにしてくれた。使えと言って寄越された腕環の呪具が、転移門の使用を可能にしているらしい。魔導師団棟とレクト家と繋ぐ、定期的に調整が必要らしい鍵、とエリクは認識している。もちろんその間でしか転移門を使えないようになっているとか。

 兎にも角にも、その便利なもののおかげで、転移門を使ってあっというまに帰宅できた。


「アッシュさま!」

「はい減点。エリク、わたしのことは?」

「あ……母さま」

「そうよ。おかえりなさい、エリク」

「ただいま帰りました、母さま」


 エリクにとって、母と呼んでいた人はもうひとりいるが、養母となってくれたレクト家の夫人アッシュに言わせると、その人を厳密には母と呼べないのだと言われている。孤児のエリクを引き取ってはいたが、その人は孤児院にいた子どもたち全員に自分のことを母と呼ばせていたし、そのくせ愛情で子どもたちを優しく包んでいたわけではないからだそうだ。

 だから、アッシュはエリクに、自分のことこそ本当の母だと思いなさいと、エリクに言ってきた。現にアッシュは、エリクにひどく優しく、それでいて厳しく、エリクに接してくる。容赦ない言葉で泣かされたこともあれば、心配をかけて泣かせたこともあるし、一緒に笑って楽しい日々を過ごし、幸せだねと語らうこともある。

 アッシュのおかげで、エリクは真に母という存在を知った。


「まずは報告よ、エリク。今日のローザはどうだった?」

「はい。ちょっと無理をしたみたいでした。目許に隈があって……また呪具作りに熱中してたみたいです。これ、預かってきました」

「あらあら……随分早いわね」

「特急料金だって、ロザさまが」


 ロザヴィンの様子を報告したのち、預かった小さな木箱を籠から取り出してアッシュに手渡す。木箱を開けて中身を見たアッシュが、ふふと、笑った。


「さすがね。あの子は宝飾師になれるわ。魔導師を辞めたら宝飾師がいいわね」

「魔導師を辞めたら?」

「まあ、無理でしょうけどね。魔導師は、死ぬまで魔導師だわ」

「……そう、なんですか」

「こればかりは仕方ないわ。許してね、エリク」

「わたし?」

「だってエリクはローザのお嫁さんだもの。仕事熱心な夫に、愛想を尽かさないであげてね」


 少しだけ気恥しい気持ちもあるが、アッシュの言葉にエリクは笑顔で頷く。


「わたし、ロザさまがずっと好きです」

「ふふ。ローザは素敵なお嫁さんを見つけたわ」


 見つけたというか、確かにエリクは暴行を受けていたところをロザヴィンに発見されて助けられたわけだが、その原因となったのはエリクが食糧を確保するためにやった窃盗だ。運命的な出逢いかもしれないけれども、もうちょっと別の出逢い方をしたかったとエリクは思う。

 しかしながら、状況はどうあれ、あのときのロザヴィンはかっこよかった。思い出しただけで、心がふわふわする。


 雷雲の魔導師。


 街の噂で、その名を知らない者はない。その姿は真っ黒な外套に覆われて隠されているが、灰褐色の髪と双眸が特徴だとされていた。だからまたの名を、灰色の魔導師。罪を許さない裁きの魔導師と、渾名されることもあった。

 その魔導師の、罪を裁く場面で、エリクは恋に落ちた。あまりのかっこよさに、あまりの優しさに、好きになるなというほうが難しかった。


「わたし、すごく、ロザさまが好き」


 アッシュが、ロザヴィンの婚約者に、と言ってそれを現実にしてくれたとき、死ぬほど嬉しかった。

 ただ残念なのは、ロザヴィンにその気がないらしいところだ。

 それでも、エリクは諦めなかった。アッシュも諦めなかった。だからこうして、出逢いから二年経った今でも、ロザヴィンはエリクの婚約者だ。しかもこの国の女王ユゥリア陛下からの許可も得た公式的なものなので、ロザヴィンのほうから反故にすることはできない。たとえロザヴィンがバルセクト侯爵家の次男で、その権力を使うことができたとしても、ロルガルーン・ゼク・レクトという魔導師団長の養女となったエリクが相手では、ロザヴィンが魔導師団長の弟子ということもあって、背後の面倒な関係で断ることができないらしい。

 背後の権力を使う、ということに当初エリクは戸惑ったが、アッシュはいいから思う存分利用しなさいと、言ってくれた。アッシュ自身も、思う存分利用するつもりだからと、笑ってくれた。

 わたしは幸せ者だと、エリクはつくづく思う。ロザヴィンと運命的に出逢っていても、アッシュに気に入ってもらってレクト家に引き取ってもらえなければ、ロザヴィンの婚約者になることはできなかったのだ。エリクの想いを汲み取ってくれたアッシュやロルガルーンには、感謝の気持ちでいっぱいである。


「ローザのお嫁さんになっても、わたしのところに帰ってきてね? あなたはわたしの可愛い娘なのだから」


 可愛い娘、と言ってくれるアッシュに、言われるたびエリクはいつも泣きそうになる。ロルガルーンも、可愛い娘と、言ってくれる。エリクは新しい養父母に、本当に恵まれた。


「帰ってきます。ありがとうございます、母さま」

「可愛い子。さあ、手を出して」

「手?」

「これをあなたにあげるわ」

「え……でも、これ」


 手を取ったアッシュに渡されたのは、エリクがロザヴィンから預かった小さな木箱で、アッシュに渡したばかりのものだ。


「ローザから、あなたへの、贈りものよ」

「ロザさまから?」


 アッシュから頼まれて作ったとロザヴィンは言っていたが、これがエリクの手に渡るとわかっていたのだろうか。

 手のひらに置いた小さな木箱の蓋を、エリクはそっと開く。


「わ、ぁあ……」


 銀細工の、指輪だった。宝石はなく、細かい彫刻が刻まれたきらきらと光る指輪だ。

 しかも、指輪の彫刻は複雑で、もし意味があるのだとしたらそれはエリクには理解できないが、とにかく複雑で細かい。見方によっては幾重にも連なった図形だが、だとしたらこれは練成陣に見えなくもない。


「こ、これ、ロザさまが今朝まで、作ってた……」

「気に入ったかしら?」

「はい! あ、でも……」

「不満?」

「いえ! ただ、これを、わたしがもらって、いいのか……」


 ロザヴィンの様子を思い出すと、これがエリクの手に渡ると思っていないように思う。ロザヴィンからの贈りものは嬉しいが、アッシュに言われたから作っただけではないだろうか。


「ローザは今日、昼食をどうするか言っていた?」

「あ、こちらに寄ると。夜は泊まるって」

「なら、それはあなたのものよ、エリク」

「え?」


 どういうことだろう、と首を傾げると、アッシュは「ふふ」と笑った。


「ローザはね、わからないような素ぶりを見せても、本当はわかっていることが多いの。わかっている姿を見せないのは……そうね、たぶん面倒なのよ。結末がわかるから、いちいち反応することもないだろうって」

「それって……?」

「それをあなたが受け取ると、わかっているということよ」


 あの態度が、と怪訝に思う。けれども、アッシュはそうだと言う。


「ローザの手を見てみなさい。同じものが、あるはずよ」

「ロザさまの手?」

「そうよ。よかったわね、エリク」


 なにを「よかったわね」と言われているのか、エリクはわからなくて木箱の指輪に視線を落とした。

 これと同じものが、ロザヴィンの手に。

 どういうことだろう。

 なんの意味が、あるのだろう。

 これをエリクが受け取って、昼食を摂りに来て、夜は泊まるということに、なんの関連性があるのだろう。


「あの、母さま」

「それの質問に答えるは、ここまで。あとはローザに訊きなさい」


 そんな、と思う。

 けれども、アッシュはそれ以上を教えてくれなかった。


「さあ、ローザの昼食はなににする?」

「あ……そば、と」

「あら、蕎麦? 久しぶりねえ……材料あったかしら」


 昼食は蕎麦、とロザヴィンに聞いていたが、それがどんなものか知らなかったエリクは、知っているだろうとロザヴィンが言っていたようにアッシュが知っていると、慌てて手を上げた。


「つ、作り方、教えてください!」

「そうね。滅多に作ることはないものだけど、憶えて損はないわ」


 材料があるか確認して、作れるようだったら用意しましょう、とアッシュは言った。どうやら材料は、手に入るときと入らないときとあるらしい。材料がなかったら作れないことはロザヴィンもわかっている、とのことだ。


「珍しい食べもの、なんですね?」

「よその大陸から輸入した材料が必要なの。だからちょっと、珍しいかもしれないわ」


 作れるだろうか、と不安に思ったが、アッシュが教えてくれる以上、心配は要らないはずだ。

 がんばろう、とエリクは拳を握り、ふと、また指輪を見つめる。


 ロザヴィンからの贈りもの。

 ロザヴィンはエリクに贈ったという、そのつもりがあるとのこと。


 嬉しい。

 お礼を言わなくては。


「わたし、いっぱい、頑張ります」

「その意気よ、エリク」

「はい!」


 この嬉しさをより強く伝えるためにも、料理に力を入れようと、エリクは笑顔で頷いた。







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