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晴れた空が嫌いでした。  作者: 津森太壱。
【晴れた空が嫌いでした。】
16/23

14 : 晴れた空が嫌いでした。





 心にも身体にもいい環境で、子どもたちは元気に走り回る。


「自分が病人だって忘れんなよー」

「ローザさまもなーっ」

「ロザだ。伸ばすな。うるせぇよ」


 血色がだいぶよくなった孤児院の子どもたちは、近いうちに、名称も体制も改められた孤児院に戻る予定だ。それまではこの治療院で、体調を整えながら過ごすことになる。


「逃げなかったのね」


 庭を駆け回る子どもたちをぼんやりと眺めていたら、ばさりと頭から敷布を被せられ、隙間からアッシュが顔を覗かせてきた。


「逃げれるかよ、この結界で」

「ばっちりでしょう」

「あとで堅氷のこと殴る」

「はい、ご飯抜きね」

「はあっ?」

「ロルゥが来たけど、どうする?」

「……、なんでおれの周りにいる奴は話に脈絡がねぇんだ」

「逢う?」

「……逢うよ」


 腰かけていた窓辺から離れると、被せられた敷布が風で飛びそうになる。それを押さえて陽光から肌を護り、顔を上げるとロルガルーンが入口に立っていた。部屋に入ってきたロルガルーンと入れ違いに、アッシュが部屋を出て行く。


「ばか者が」

「……うるせぇよ、くそじじい」


 どっかりと寝台に腰かけて、いつものように師を睨む。ロルガルーンは目じりに皺を増やしながら、近くの椅子に腰かけた。


「なんじゃ、すっきりしとるように見えるな」

「……ふん」


 さすがは師、と言うべきか。

 十年も一緒にいれば、ロザヴィンの本当に些細な変化も見分けることができるらしい。


「今回の顛末は聞いたか?」

「あの餓鬼から少し聞いた」

「エリクか」

「知ってんのかよ」

「アッシュが気に入ってな。養子にするそうだ」

「はあ?」

「おまえの嫁だそうだな?」

「違え!」


 ロルガルーンまでなにを言うのかと、ロザヴィンは顔を引き攣らせる。しかし師は、ほほと笑っていた。


「早う孫が見たいのぅ」

「あほ抜かせ! つか、じじいの孫じゃねえし!」

「エリクはわしらの娘になるんじゃぞ。孫だろうが」


 ロルガルーンの目が真剣になった。どうやら本気でエリクを養子に迎えるつもりらしい。そしてそのエリクを、ロザヴィンに娶らせる気満々だ。


「あのな……」


 しかしながら、その前に、エリクはまだ十三歳である。ロザヴィンも十六歳になったばかりで、成人にはまだあと一年ある。年齢を考えろと師に言いたい。それに、たとえ婚約したとしても、どちらかが成人していなければこの国では婚姻を認められないのだ。


「甘いぞ、ロザヴィンよ」

「は?」

「陛下からの許可はもらったぞ」

「……、おい」

「エリクはおまえの婚約者じゃ」

「おれの気持ちは無視なんだなー?」

「もちろんじゃ」

「このくそじじい!」


 勝手に弟子に婚約者を作るな、と怒鳴るも、師は楽しそうだ。


「シャンテも賛成しとる」

「は……?」

「のう、シャンテ?」


 え、と思ったら、ひょっこりと兄が入口に姿を見せた。思わずどきっとして、身体が後ろに引く。

 アッシュめ、と思った。シャンテが来ているなど、一言もなかった。ロルガルーンについて来ていたなんて、言ってなかった。

 さっと顔を逸らし、被っていた敷布を引っ張ってシャンテから顔を隠す。室内なのにアッシュが敷布を被せて寄越したのは、このためかと思った。


「これで少しは落ち着くと、いいのですがね」

「そうじゃな。それはわしも思う」

「師団長、もうよろしいですか?」

「わしはエリクとのことを伝えに来ただけじゃからな。かまわん」


 かたん、と椅子が引かれる音を聞いたとき、またアッシュにしてやられたのかと思った。ロルガルーンがシャンテを連れてきたのではなく、シャンテがロルガルーンを連れてきたのだ。


「おい、くそじじい!」


 文句を言おうと敷布から頭を出したら、シャンテとばっちり目が合って、言葉に詰まる。ロルガルーンが座っていたところに腰かけたシャンテは、やはり笑っていなかった。けれども、なにかを責めているようでもない。


「師団長に対して口が悪いぞ、ロザ」


 そう言われて、ぐっと、唇を噛む。


「ちゃんと養生するんじゃぞ、ロザヴィン」


 無情にもロルガルーンはさっさと退散する。それを恨めしく思いながら、ロザヴィンは俯いた。

 この部屋に結界などなければ、ロルガルーンが去るより早くこの部屋を出て行けた。いや、兄から逃げ出せていた。

 くそ、と心の裡で悪態づく。


「ロザ」

「…………」

「ロザ、返事」


 くそ、と繰り返す。声が震えそうでいやだ。


「ローザ?」

「ロザだ!」


 あ、と思ったときには遅く、うっかり怒鳴って顔を上げてしまっていた。

 けれども。

 そのとき、シャンテは笑っていた。

 それは思いのほか強く、ロザヴィンに驚きの衝撃を与える。


「母上も、可愛い名前がつけたかったからって……はは」


 声を出して笑う兄など、久しぶりに見た気がする。それも自分に対して笑っている兄など、実家を出てからは初めてのことだ。遠目から兄が笑っている姿を見ることはあっても、こうして近くで見ることはない。


「火傷がひどいと聞いていたが、思ったより平気そうだな」

「……あ、ああ」

「足にも怪我をしたようだが?」

「なんとも、ない……歩ける」

「けっこう頑丈なのか。そうか……よかった」


 よかった。

 そう言って微笑んだシャンテに、ロザヴィンは驚きを隠せない。

 兄は見ていたはずなのだ。ロザヴィンが、魔導師の力を使って、人を壊したその姿を。


「なんで、笑ってんだよ」

「ん?」

「おれ……おれ、また人を」


 自分でその罪を口にすることは、シャンテの前ではできなくて、言葉に詰まる。


「おまえはわたしの弟だ」

「……え?」

「ずっと心配だった。母上が死んでからずっと、ロザの理解者は少なかったからな。師団長やほかの魔導師とは上手くいっていると、わかっていても心配で……まあ、おまえはわたしを避けて、ろくに話もできなかったが」


 もっと積極的に動いていればよかったな、と苦笑するシャンテに、ロザヴィンは瞠目する。


 心配されていたなんて、知らなかった。

 自分がその対象だったなんて、知らなかった。


「こうやって逃げ場を失くせば、よかったんだな。そうすればおまえは、わたしを避けられない」

「……そんな、こと」

「そんなことない? 嘘だな。おまえは、わたしを避ける。わたしから逃げる。わたしはずっとおまえの兄さんなのに……そう呼んでもくれない」


 寂しいじゃないか、と淡く笑んだ兄に、なにがどうなっているのだと、ロザヴィンは混乱する。


「だ……って、おれは、力が……傷つけるばっか、で……苦しめる、だけ、の……」


 ロザヴィンの魔導師としての力は、攻撃性が強い。それは兄もよく知っているはずだ。幼い頃、自覚もなかったその力のせいで、見境なくたくさんの命を奪ってしまったのだ。そのたび家族を、兄を、悲しませて苦しませた。いっぱい傷つけた。

 だから。

 そんなロザヴィンのことなど、忘れて欲しかった。

 悲しませたくなかった。

 苦しませたくなかった。

 傷つけたくなかった。

 シャンテから逃げ続けたのは、自分になどもう惑わされない、無関心が、欲しかったからだ。


「……ロザ」


 ハッとして、兄を見やる。以前はロザヴィンもその色だった双眸が、寂しげに、細められていた。


「わたしは晴れた空が嫌いだ」

「……そら?」

「わたしから弟を奪った。だから……晴れた空が嫌いだ」


 シャンテも、晴れた空を、嫌っている。

 その理由は、ロザヴィンもそうであるのと、似ている。


 なんだろう、これは。

 なんだろう、この気持ちは。

 シャンテも晴れた空が嫌いなんて。


「…………っ」


 ぶわりと膨れ上がった感情に、ロザヴィンは戸惑う。

 この気持ちがなにか、知っている。


 嬉しい、だ。


「ロザ?」


 ロザヴィンも、晴れた空が嫌いだった。

 陽光が嫌いだった。

 眩しいものが嫌いだった。

 なによりも、それらを拒絶する自分が、大嫌いだった。

 それらはロザヴィンから大切なものを奪っていくから。

 光り、ぬくもり、優しさ、そして兄を、奪っていくから。

 晴れた空はロザヴィンを嫌い、陽光はロザヴィンに痛みを与え、眩しいものはロザヴィンから道を奪っていく。

 悲しくて寂しくて、ならなかった。


「……シャン」


 同じだ。


「シャンティン……」


 兄と、同じだ。

 兄も、弟を奪ったから、嫌いだと言った。

 同じだ。

 同じなのだ。


「なんだ、どうした、ロザ。傷が痛むのか? それならレクト夫人を」

「違う……っ」


 震える手のひらを、ロザヴィンはそろそろと、兄に伸ばした。


「……ロザ?」


 自分を呼ぶ兄の声が、とても優しく聞こえて。

 今まで自分は、どうしてこの声の優しさに気づかなかったのだろうと、疑問に思った。

 伸ばした手を、兄は振り払ったことなど一度もないのに。

 今だって、触れさせてくれるのに。

 兄の優しさを最初に手放したのは、自分のほうだったのだ。


「ごめん……ずっと……ごめん」

「ロザ……」

「ごめん……兄さん」


 嫌われるのがいやで、愛されなくなるのがいやで、だから自分からその手を離した。

 それが間違い、勘違いの、始まりだった。


「……ロザ。怪我が治ったら、一度、帰っておいで。心配しているのは、わたしだけではないんだ」


 ロザヴィンが掴んだのとは逆の手のひらが、ぽん、と頭を撫でてくる。


「おまえに逢えないと、父上が、寂しがっている」

「……とーさん、が?」

「おまえの家族はわたしだけではないからな。今度、一緒に母上の墓参りに行こう。母上も喜ぶ」

「……おれ、かーさんの顔、あんまり憶えてねえ」

「そういえばおまえはまだ小さかったか……父上の部屋に肖像画がある。見せてもらうといい」


 そんなこと、頼めるだろうか。この十年、兄を避けていたように、実家には一度も帰っていない。父親には、その年数と同じくらい、逢っていない。

 逢っても平気だろうか。

 こんな息子で、いいのだろうか。


「母上と同じ力を持つおまえを、父上は誇りに思っている。そんなに自分を卑下するな、ロザ」

「……けど」

「父上はおまえを愛している。昔から、母上にそっくりなおまえが、可愛くてならないんだ。わかってやれ、ロザ」


 母の姿が記憶に薄いように、父の姿もまた、記憶には薄い。仕事ばかりで家にいることが少なく、兄にばかり相手をしてもらっていたからだろう。物心がつく前に母は亡くなっていたし、その頃から力に目覚め始めていたから父は振り回されていて、そうしているうちにロザヴィンはロルガルーンに引き取られた。

 今思えば、父とは兄以上に、ろくに会話もしたことがないかもしれない。


「……怪我、治ったら、な」

「ああ」


 よしよし、と褒めるように頭を撫でられて、それがロルガルーンやアッシュだったらやめろと怒鳴っていただろうが、今は少し嬉しいからそれでいい。

 こんなふうに兄と、家族と穏やかに話せたのは十年ぶりだ。それをもう少し、味わっていてもいいと思う。

 晴れた空が、それを、許してくれる限り。







これにて【晴れた空が嫌いでした。】は完結となります。

次話から(まだちょっとあります)ロザヴィンとエリクの恋愛事情的なものを少し、描きたいと思います。

おつき合いくださると嬉しいです。


読んでくださりありがとうございます。

引き続き、拙作をよろしくお願いいたします。

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