11 : 助けてと、言えなくて。2
丸一日は眠っていたというから、腹が満たされても眠気は来ないだろうと思っていたのに、なんとなく眠くなってくる。
目を擦って欠伸をしたら、エリクが小さく笑った。
「子どもみたい」
「……餓鬼に餓鬼って言われたくねぇんだけど」
「わたし、もう十三歳よ」
「餓鬼じゃねえか」
貧相だなとは思っていたが、年齢から考えたらエリクのこの体格は小さ過ぎる。ろくに栄養も取れない生活をしていたのだから仕方ないことだが、少しだけ可哀想にも思えた。
「子どもらには逢えたか」
問うと、エリクは年相応の笑みを浮かべた。
「麺麭が美味しいって、みんな笑うの。みんなのきらきらした笑顔を見たのなんて、初めて。ロザさまのおかげよ」
「……おまえには、つらいことだったと思うが?」
「そんなことない。だって……わたし、お父さんとお母さんの、ほんとの子どもじゃないもの」
それは、監査に入るとなった時点で調べて、わかったことだった。エリクは、ヴィセック孤児院の院長夫妻、いや元院長夫妻の養子だった。
「それでも、おまえにとっては両親だ」
「うん……ちょっと悲しいけど、でも、仕方ない。悪いのはお父さんとお母さんだもの」
笑みに、少しだけ涙が混じる。悲しいことだけれど、悲しんでもいられない、そんな笑みだ。
羨ましい、と思った。
そんなふうに、考えることができるエリクの強さが、羨ましい。
ロザヴィンにはできない。
諦めてしまえたらどんなに楽か、わかっているくせに。
「いいな、おまえは……」
「え?」
「おれは諦めが悪い」
「……そうなの?」
「ああ」
クッと笑って、ロザヴィンは寝台に寝転がる。
ひどい眠気に欠伸を噛み殺し、陽光が入らないように閉め切られた天幕の向こうで開いている窓の、そのさらに向こうを隙間から見つめる。
あの晴れた空が嫌いになったのはいつだったか。
あの晴れた空に嫌われたのはいつだったか。
「ロザさま、また眠るの?」
「……おまえ、おれのことロザさまとか呼ぶなら、言葉遣いもそれに合わせろよ」
「あ……ごめんなさい」
「寝る」
「は、はい。おやすみなさい」
「起こすなよ」
布団を被って、思い切り深呼吸する。
そのあとは、いつものように暗く深い水底へと、堕ちるように意識を持っていく。
そうしないと眠れない。
そうしないと夢を見る。
そうしないと、思い出してしまう。
誰にも言えない言葉を、口にしてしまいそうになる。
だから意識がそれらに奪われてしまう前に、深い水底へと堕ちてしまわなければならない。
周りが暗いな、と思ったとき、自分が目を覚ましたのだと気がついた。やはりあまり眠った気がしない。
ゆっくりと身体を起こして、ぐっと背伸びをする。引き攣れたような痛みを腕に感じて、面倒だなと包帯を忌々しく見やったら、巻きが甘かったのか包帯が解けていた。
「下手くそだな……」
このまま包帯を取ろうか、それとも巻き直そうか考え、アッシュの小言を聞かずに済むよう巻き直すことにした。昔から生傷は絶えないほうで、あちこちに擦り傷や切り傷を作ってはアッシュに手当てされて包帯を巻かれていたので、自分でやることに造作はない。
「あら、起きたのね」
扉がいきなり開いて、廊下の明かりが差し込んだかと思ったら影ができ、アッシュが入ってきた。
「ロルゥは?」
アッシュの姿を目にしたとたんに、ロザヴィンは問う。
「来ないわよ」
いない、のではなく、来ない、とアッシュは言う。来させないつもりらしい。
「ロルゥに話がある」
「あとにしなさい。今は療養が優先よ」
「今、話がある。来ねぇならおれから行く」
「ローザ」
「いないなら捜す」
「ローザ、駄目よ」
寝台から降りようとしたら、肩をアッシュに押されて止められた。
「ロルゥのところに行く」
「駄目と言っているでしょう。言うことを聞きなさい」
言い聞かせるように、アッシュの手は強く肩を押さえてくる。それを振り払おうとして上げた腕は、痛みが走って途中で落ちた。
「ほら見なさい。痩せ我慢しても、痛いものは痛いのよ」
「……うるせえ」
「どうして外套も羽織らないで外に出たの。こんな火傷を作って……殿下にとてもいい外套を作ってもらったでしょう? どこにやったの?」
「呪具の媒体に使って壊した」
嘘偽りなく言ったら、アッシュが少しの間だけ目を見開いた。
「……子どもたちをここに運んだ、あの力に使ったのかしら?」
寝台に腰かけたロザヴィンの視線に合わせるかのように、アッシュは膝を折って屈むとロザヴィンを下から見上げてくる。空色の瞳が、ひどくロザヴィンを心配していた。
「とても大きな力だったわ」
「……あの人数を運ぶのに、シゼさまからもらった外套しか、媒体にできるものがなかった」
「それだけのことをしてまで子どもたちを助けたのに、どうしてロルガルーンに話があるのかしら?」
なんの話をするつもりだ、とアッシュの空色の双眸が問うてくる。ロザヴィンは目を細め、そっぽを向いた。
「ローザ?」
優しい声。
六歳のときから、叱ったり褒めたりするたび、聞いてきた声。
どんなときでも、真っ直ぐに向けられる声。
記憶に薄い母よりも、この人が母親だと思える声。
幼い頃は甘えたものだ。甘えられる人がいなかったから、本当の母のように、よく甘えた。
今はそれが苦しい。
いや、幼い頃も、苦しかった。
ロザヴィンは自分を抱きしめるように身を丸めると、口にしてしまいそうになる言葉を噛み殺した。
「アッシュ……ロルゥを……ロルゥを」
「……それはだめよ、ローザ」
「アッシュ……っ」
「わかっているわ、ローザ。だから、だめなのよ」
優しい腕が、抱きしめてくれる。
けれども、それで癒される苦しみでは、なかった。