10 : 助けてと、言えなくて。1
寝転んだ状態で寝台から真っ白な天井が見えて、どこかで見たような気がする、と思いながらじっと見つめる。
ここから眺める白い天井といったら。
「ああ……おれの部屋だ」
白が好きなアッシュが、ロザヴィンに用意した部屋の壁紙や天井を、すべて白に改装した。この天井は、ロザヴィンが六歳のときに与えられたロルガルーンの邸の自室と、とてもよく似ている。
「……どこだ、ここ」
「治療院だ」
誰に問うたわけでもないのに、誰かが返してきた。ちらりと目を動かせば、黒い官服が見える。
「……堅氷」
「無茶をしたな、雷雲」
丸椅子に腰かけ、それまで本でも読んでいたのか、カヤは栞を挟んで本を閉じた。
「ひどい声だ……水でも飲むか?」
「ん……要らね」
がらがらした声は、それでも口を湿らせたいとは思わなくて、ロザヴィンは首を左右に振ると瞼を閉じた。
「なんで、あんたが、ここに?」
「イチカの状態がひどくてな。それで連れてきた。しばらくは入院だそうだ」
「いちか?」
「弟子だ。言っただろう? 力を持つ子どもがいると」
「ああ、あれか……イチカって名前なのか」
「おれが名づけた」
「名づけたって……名無しだったのか?」
「ああ。そのうえ、言葉もろくに喋れない」
「……孤児院よりひでぇな」
「ああ……」
はあ、とカヤはため息をついた。疲れたというより、どうしたものか、と困っているようなため息だ。
「……なあ」
「ん?」
ぱらり、ぱらり、と本を捲る音につられて目を開ければ、ロザヴィンが目覚めたのに部屋を出て行こうともせず本を読むカヤの姿が、先ほど変わらずそこにある。
「おれ……なんで動けねぇんだ?」
「無茶をしたからだろうな」
「むちゃ……」
「子どもでも十数人を一気に転移させて、挙句にその疲弊した状態で力を使い続ければ、いくらおまえでも体力が尽きる」
「……なさけねぇな」
「そうでもない。おれでも疲れる」
力の差異は問題にならない、とカヤは言う。
それなら、とロザヴィンは唇を歪めた。
「なんであんたは、おれを監視してんだ?」
本の頁を捲ろうとしていたカヤの手が、ぴくりと一瞬止まる。
「無茶をしたおれは、しばらく動けねえ。なのに、なんであんたは、そこにいる?」
さらに問えば、カヤは本を読んでいた視線を上げ、ロザヴィンを見据えてくる。深い森色の双眸が、どこか心配げに、細められていた。
「弟子にした餓鬼のところに行けよ」
「……なにもしないとは限らない」
「しねぇよ。動けねぇもの」
「そう言って、おまえは、ロルガルーンの結界を壊した」
いったいいつの話だ、とロザヴィンは肩を竦める。
「もうそんな餓鬼じゃねぇよ」
「ほんの二年前までのことだ。たった二年で、おまえがそこまで成長したとは思えない」
「ムカつくな、それ。来年には成人するぞ」
「法律上はな」
「なにもしねぇって言ってんだろ」
「信用できない」
ゆっくりと首を左右に振って視線を本に落としたカヤは、「これ以上の無茶はさせられない」と言った。
「今は眠っておけ。力を使ったこと以外にも、身体が動かない原因がある」
「……焼けたか」
「ああ。幸いにも顔に火傷はないが……なにか薬でも塗っていたのか?」
「シゼさまに日焼け止めもらった」
「それでか……腕にも塗っておけばよかったものを」
ちらりと視線を動かない腕に向ければ、白い包帯がぐるぐると巻かれていた。拘束にも近い包帯の固定で、腕を動かせないだけのようだ。
「ひでぇな、これ」
「逃げたければ逃げろ、と言っていたな」
「……アッシュの仕業かよ」
そろりと足も動かそうとしてみたが、腕と同じように固定されている感覚がする。
「ひでぇ……」
「観念するんだな」
これでは体力が完全に回復するまで、本当に動けない。だいぶ信用を失っているようだ。
「こんなことしなくても……逃げねぇよ」
「そうだな」
「どこに逃げろってんだ」
「ああ」
「どこにも逃げねぇよ……逃げらんねぇよ」
どこに行けるというのだろう。
どこにも、逃げ場はないというのに。
犯した罪は、消えないというのに。
なにをしても、それだけは変わらないというのに。
どこに行けるというのだろう。
行くところなんて、どこにもない。
「足の包帯だけでも取ってくんね? つか、足に火傷なんてしてねぇだろ」
「膝の関節あたりに怪我をしているようだが?」
「……憶えがねぇな」
「おとなしくしていろ」
「だから、どこにも行かねえって」
「やめておけ」
なにを言っても無駄なのか、カヤは視線を本に戻してしまった。包帯から解放してやる気はまったくないらしい。
はあ、とロザヴィンはため息をついた。
「寝る」
「そうしろ」
次に起きたときには絶対に足の包帯だけでも解いてもらおう。そうしないと下腹部に触りがある。それだけは問題だ。
瞼を閉じて、意識を暗く、深い場所へと導く。
夢を、見ないように。
安らぎを、求めるように。
暗く、深く、水底へ堕ちて行くように。
けれども。
ハッとしたのは、誰かがそれを邪魔したから。
「触るなっ!」
飛び起きたつもりだったが、実際は少し身体がずり上がった程度で、包帯で固定された腕は曲げることもできていなかった。
「ご……ごめん、なさい」
「……おまえ」
「包帯! と、取り替えようと、思って……その、アッシュさまに、頼まれたから」
エリク、という名だっただろうか。
少女は白い包帯を手に、急に起きたロザヴィンに驚いていた。
「……解放してくれる気になったのか」
「え……?」
「さっさと解いてくれ。痺れてきた」
眠れそうだったのに、と思ったが、部屋にはカヤの姿はなく、エリクだけだ。少しは眠っていたのだろうか。
「……おれ、眠ってたか?」
エリクに足の包帯を解いてもらいながら、ロザヴィンは部屋を見渡して問うた。
「ぐっすりと、眠っていたけれど」
「ぐっすり?」
「一度起きてから、丸一日経ってると思う」
水底に沈んだのは一瞬だったように感じるのだが、随分と時間は経過しているようだ。そういえば頭がすっきりしている気がする。
「ふぅん……そんなに眠ったか」
エリクの手で、足が包帯の固定から解放されると、それまで締めつけられていたらしいというのが感じられた。解放感にホッとするも、エリクが撒き直そうとしたので慌てて止める。
「やめろ。もう要らねえ」
「え、でも、怪我して……」
「要らねえ。あと腕も解け。苦しい」
早く腕も解放してくれ、とエリクを促して、腕の包帯も解いてもらう。こちらも締めつけられていたらしいという感覚があったが、薬が塗られた布がべったりと全体的に貼られてもいた。その布をエリクがそっと取り除くので、ロザヴィンは無造作に掴んで剥いだ。
「ひどい火傷なのに……っ」
「痛みはねぇよ」
「痛いはずよ!」
ほかの布も剥そうとしたら、手つきが乱暴だからと、エリクが横から手を出してきた。
エリクの手で丁寧に剥がされた布の下には、赤く爛れた火傷が斑にある。処置が早かったのか、すでに治りかけている火傷もあった。
「陽に弱いって、アッシュさまが言ってただけど……こんなにひどくなるなんて……」
「日焼けもおれにはただの火傷だからな」
「痕が残らないといいけど」
自分が痛そうな顔をしながら、エリクは消毒液で火傷を拭い、新しい薬の塗られた布を当てていく。また包帯を巻かれたが、今度は締めつけ感もなければ腕を曲げることもできる。
「足のほうも、消毒だけでも」
「要らねえ」
「でも」
「それより、腹減った。なんか食うもん寄越せ」
「あ……ちょっと待って。一緒に持ってきたの」
エリクの意識を足の怪我から食事に移してから、ロザヴィンは身体を起こすと服の下に足を曲げて隠す。
ぴりっとした痛みを膝に感じたが、無視した。