09 : 罪は裁かれる。3
なにかが焼ける匂いというのは、いつまで経っても慣れるものではないし、気分のよいものでもない。
なにかが壊れる音というのは、とっくの昔に聞き慣れてしまったというのに。
「これが、おまえらの、罪の証だ」
肩で息をしながら、もうがたがたの足をどうにか立たせ、ふらつく身体を壁で支える。
足許に転がる黒炭を、ロザヴィンは感慨もなく見やった。
人の肉が焼ける匂いというのは、どうしてこう、慣れないのだろう。壊すことには慣れてしまったのに、それは不思議だ。
「あー……気持ち悪ぃ」
さっさとここから出よう。帰って、沐浴して、さっぱりしてから食事にしよう。焼きものではなく、煮物がいい。眠る前には果実酒を呑もう。確かロルガルーンが隠していた秘蔵酒がある。あれを空にして、怒ったロルガルーンを笑ってやろう。
いろいろと考えながら部屋を出て。
もつれた足のせいで体勢が崩れて、ああこのまま倒れる、と思いながら身体から力を抜く。
襲われるだろう痛みは、しかし、いつまで経っても訪れない。
「? なんだ……?」
身体がふわふわする。
なんだろう。
「だいじょうぶか、ロザ」
声に、驚いた。
驚いたからといって崩れた体勢をすぐに立て直すことなどできるはずもなく、ロザヴィンは硬直する。
シャンテだ。
「なん……で」
「この子が……」
シャンテの影に隠れるようにして立っていた少女が、おずおずと姿を見せる。ロルガルーンの邸に保護されているはずの、エリクだ。
「おまえ、なんでここに……」
「ち、小さい子たちが、心配で……それで」
邸の家宰はなにを考えてエリクを外に出したのか。リレイリスめ、とロザヴィンは舌打ちする。
「邸にいろって言っただろ」
「だって……っ」
「あいつらに見つかったらおまえ、どうするつもりだったんだ」
「あ、あいつ、ら?」
誰、と首を傾げたエリクに、ロザヴィンはハッと身体を起こした。シャンテを支えにすることに、迷いなんてなかった。慌てて背後の扉を閉める。
「ここから出ろ」
「え?」
「いいから行け!」
この扉の向こうには、少女に見せてはいけないものがある。それくらの常識はある。
「小さい子たちは?」
「治療院だ。カルナルにあるだろ。そこの治療院に運んだ。逢いたいなら行け」
早くしろ、とエリクを追いやるように促し、その姿が見えなくなるまでロザヴィンは閉めた扉に張りついていた。
「……見たか」
呟くように、シャンテに問うた。
「なにを?」
「部屋の、中……なにがあったか」
エリクには見せていけないもの。
シャンテには、兄には見て欲しくないもの。
見たのか。
見ていないのか。
「……ロザ」
呼ぶ声に、そっと、顔を上げる。
シャンテの顔に感情はなかった。
「シャン……」
見ていたのだ、兄は。
ロザヴィンがなにをしたのか。
ロザヴィンが、また人を、壊したその瞬間を。
だからエリクがシャンテの後ろに隠れていた。
認識したとたん、目の前が真っ赤に染まる。
己れに対する嫌悪感に、寒気がする。
全身が恐怖に震えた。
なんてことだ。
なんてことだ。
なんてことだ。
また兄に、人殺しの姿を、見せてしまった。
「にいさ……」
「! ……ロザ?」
「ごめ……ごめ、ん」
「ロザ? なにを……」
もう、そう呼ぶな。
呼ばなくていい。
呼ばれる資格もない。
「ごめん……兄さん」
兄から顔を逸らし、ロザヴィンは震える身体を持て余しながら身を翻すと、外に向かってがむしゃらに駆け出した。
「ロザ!」
「呼ぶな……っ」
泣きたくもないのに、涙が出そうだった。
今さら後悔しても遅いのに、自分が犯した罪に、押し潰されそうだった。
息が苦しい。
胸が痛い。
「どう、しよう…っ…どうしよう、ロルゥ」
走りながら、ロザヴィンは求める。
「ロルゥ、アッシュ…っ…どうしたらいい!」
もう気持ちがめちゃくちゃだ。
どうしたらいいのかわからない。
どうしたいのかもわからない。
「ロルゥ…っ…アッシュ」
逃げたって意味はない。
逃げる意味なんかない。
過去には戻れないのだ。
犯した罪を取り消すことなどできないように。
罪は、裁かれる。
それは必ず。
「まあ、ローザ。早かったのね。もう終わっ……」
「アッシュ……」
「ローザ…っ…外套はどうしたの! 肌が……早くこっちにいらっしゃい! 早く!」
「アッシュ……ロルゥを」
「おいで、ローザ!」
いつになったらこの罪を償えるだろう。
いつになったら、この罪から、解放されるだろう。
たとえ裁かれても、償うことも解放されることも、ないのだろうか。
「アッシュ……ロルゥを、呼んで」
「喋らないで。だめよ、ローザ。だめ」
「ロルゥを……」
「だめ。だめよ、ローザ」
痛い。
どこもかしこも、痛い。
胸も、心も、手も。足も。
どうしておれはここにいるのだろう。
どうしておれは、存在しているのだろう。
犯した罪に、こんなにも溺れているのに。
生きている価値なんて、意味なんて、もう失われているのに。