感性と感性が出会った日
高校二年生四月。クラス替えが終わり、新たな生活が始まる。ふと、廊下に出てみる。隣を横切ったのは、顔の整ったひとりの男子だった。恋とは何か。高校生活における大事なものだ。恋とは何か。ふとした時に出会うものだ。恋とは何か。そんなの、分からない。この感情が恋なのか、はたまた別のものなのか、私には分からない。ただ、失くしてはならないものだと思った。隣のクラスにいる顔の整った男子。私は彼のことを推すことにした。喋ったことも無ければ、名前も知らない。廊下を通り過ぎる時に見かける、通行人Aみたいなものだ。通行人Aと言ったものの、通行人はたくさんいるので、一人ひとりの顔を覚えたりはしないだろう。今日も推しは、かっこいい。きっと同じクラスに居たら、恋に変化していたであろう感情。隣のクラスという近いようで遠い、何にもならない距離感。私は女で、彼は男。性別の境界はとても厚くて私には飛び越えられそうもない。私は文芸部で彼はバレーボール部。この感情は進展しない。高校生活は何も無い。私はただ、この感情の結末を傍観した。
高校二年生六月。修学旅行でも推しはカッコイイ。つい目で追ってしまうことは秘密にしておこう。小説を書く。部活動から始まった私の執筆は、今となれば習慣になっていた。物語を創作し、発表し、何になるのかと聞かれれば、特に何にもならない。キャラクターを書いていても、結局、私みたいに何も無い人間になっている。行動を起こし成功させる主人公にはならないし、完璧に見えて隙のあるヒロインにはならない。刻一刻と過ぎていく日々の中でもがくことも無ければ、自身の運命を傍観し、受け入れるだけの人間。めんどくさいことは他人に押し付け、自身は責任から逃れようとする。覚悟なんてないくせに少しだけ見栄を張る。頑張っている人間をキャラクターとして書けたら、何にもならないこの物語も、少しは個性を放つのだろうか。私は何も無いから、きっと書けない。けど、推しだけは別だ。私の世界を変えてくれたのは推しだった。自分自身に魅力がなくても、彼の魅力に気づけた。私は、彼を書いた。もちろん書いてることは秘密にしておこう。この感情が消えるまでは、私の中で描き続けよう。
高校二年生八月。文化祭を意識しだし、夏休みも準備に明け暮れる。もちろん、私には関係のない話だった。クラスの明るい男子たちが一斉に声を上げる。クラスは盛り上がっているようだった。本の中にしか居場所のない私は、今日も部室に駆け込む。ガラリとドアを開ける。真夏の熱い風が私の頬を滑る。誰もいない部室にひとり、本を読む。やっぱりこの本はおもしろいな。そんな感想をこぼす。文芸部も文化祭では小説を販売する。新しく書き始める。タイトルはどうしようか。小さく悩んで私は馬鹿なことを考えていたと思った。タイトルなら決まっていた。スラスラと文字を綴る。いつもは電子で書いているから、鉛筆を握るなんて久しぶりだった。それでも手が止まることは無かった。私の描きたい物語はここにあった。分厚い壁を見つけてもぶつからず、飛び越えず、ただ傍観する。そんな私に、少しの変化をもたらしたのは間違いなく君だった。恋とは何か。そんなの、分からない。それでも今、私は「恋」について書いている。
高校二年生九月。文化祭当日。クラスの出し物は何だかんだ上手くいっていた。私は何も行動を起こさなかったのに。やっぱり主人公はすごいなと思った。私は夏休み1日も顔を出さなかったし、当日の係も宣伝をするだけ。結局、去年と何も変わらない。「次どこ行く?」あ、推しだ。私の横を通り過ぎる推しは今日もカッコよかった。文化祭も変わらず部室を眺める。人が来た。私は心の中で喜ぶ。生徒は、立ち読みをして、買いたい本があれば買う。200円だからそこまで高くないし、売れ残りは少ないと考えた。部長も同期もみんな今日が文化祭だからか、気合いが入っていた。私は主人公ではない。ヒロインでもない。それでも、私の青春は、本を、小説を通して、確かにここにあったことを感じた。ガラリとドアが開いた。「小説好きなの?」ひとつの声がした。「好きだよ。」あ、推しだ。ドアから覗かせた表情に私も「好き」と零れそうになった。この感情は恋では無い。なのに、クーラーの当たった部屋の中で熱さを隠しきれない。歩き出したいのに、歩き出せない。私は今も傍観している。部長が話しかけに行った。推しは整った顔で笑顔を作っている。なんて言っているのか私には聞こえない。部長の携帯が鳴る。部長はクラスの方へ行くと一言残し教室を後にした。推しは本を手に取る。誰の本なのか私には分からない。そういえば休憩まであと十分じゃないか?同期が私に質問を投げる。時計に目をやると、確かに十分だった。推しに目をやる。真剣な眼差しで本を読んでいる。手に取り、少し読む。そして、次の本を読む。その繰り返しだった。静かな部室の中で同期とシフトの確認をする。残り五分。五分過ぎればチャイムが鳴る。チャイムが鳴れば、私のシフトは終わる。刻一刻と過ぎていく時間の中でもがくこともない。そんな私は今も傍観し続けている。時計の音が心臓の音のように脈を打つ。「なんかいいのあった?」と推しの友達。推しは少し悩んでから答えた。「俺、これ好きだわ。」
チャイムが鳴る。推しは何が好きだったのか、誰の本を好きになったのか、本を読んで何を思ったのか、それだけじゃないけど、わたしは、ただ、知りたいと思った。チャイムの音を聞いた。推しは友達に連れられ帰る方向へ足を進めようとしていた。ひとつ、たったひとつでいい。私は、頑張っている人間を書きたい。そんな小説をたったひとつでいいから、書かせて欲しい。
「あの。」心臓の音、風の音、チャイムの余韻。足音。響いた声の音。そのどれもを私は聴いていただろう。「はい?」目と目が会う。初めて対話をする。
恋とは何か。高校生活における大事なものだ。恋とは何か。ふとした時に出会うものだ。恋とは何か。そんなの、分からない。この感情が恋なのか、はたまた別のものなのか、私には分からない。それでも私は恋を書いた。
「何か買っていきますか?」私の声に反応した。「じゃあ、これお願いします。」推しは本を差し出した。私は受け取る。タイトルに目をやると、私の心臓は止まったようだ。鼓動がうるさくて仕方なかったのに、今はもう聞こえない。「なんでこの本を選んだんですか?」自然と口が滑る。推しは迷うことなく言った。「タイトルと言葉に印象に残るものがたくさんあって、短い文の中で感動させられ驚いたというか...。」私は、その言葉を聞いて少し止まる。紙の匂い、空気の匂い、皮脂の匂い。百円玉を二枚、受け取る。「すみません、上手く言葉に出来なくて、けど、すごい感性が惹かれたというか。」推しが放つ言葉が、私の感情を揺るがす。君はそんな素敵な言葉を使うんだなぁ。少しだけ、視界がボヤけそうになる。必死に堪えて、本を渡す。「ありがとうございます。」一言、たった一言。それだけでいいと思った。私は、君に会えてよかった。二百円の温かさを感じて、私の文章はよりよく光るように感じた。「来年も来ます。」「はい!」同い年なのに、隣のクラスなのに、敬語の遠い距離感。友達でもないただの通行人。だけど、少しは変われた気がする。推しが買ってくれた本。私が書いた恋の話。君に惹かれなきゃ作られなかった本。私の感性と君の感性が出会った日、今日のことを私は書き出していく。
高校二年生十一月。何事もない日常に戻った。いつもの様に部室へ行き、小説を書く。来年はどうしようか。受験という言葉が脳裏をよぎる。けど、それよりも大切にしたい今があることを知ってしまった。この感情は恋では無い。私はやはり、ただの傍観者のようだ。そんな小説を彼は好きだと言った。少しの勇気を出せたのだから、来年は違う結末になっているかもしれない。私が書いた小説。彼が買った本は恋について書かれている。タイトルは"眺めるだけ"。推しは推しだから。眺めるだけでいい。この感情は恋では無い。何かと問われると答えれないが、強いて言うなら、感性が惹かれたとでも言っておこう。タイトルを見た時思った。私は"眺めるだけ"を書いた。君が私の小説を選んでしまっては、眺めるだけでは無くなってしまうと。けれど、私はそうであって欲しいと願った。何事もない日常に戻った。通行人になる日々に戻った。私は今日も眺めている。恋について書いて、恋では無いと言う。この物語の結末は傍観だ。結局、彼の中に入ることは出来なかった。入ろうとする勇気も無かった。ただ、これは物語のお話。私が書いた小説の話。来年の小説は結ばれて居るかもしれない。それは、今後の私次第。君に惹かれて、君に会えてよかった。ありがとうございます。一言、たった一言。それだけでいいと思った。君に会えて私は君に伝えたいこと、小説にして来年、あの日のことを君に伝える。眺めるだけだった。今は伝えることが出来る。感性と感性が出会った日に。また、君と会う。




