表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本物の聖女が来ちゃった  作者: ふまじめちゃん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/2

偽の聖女が生まれてしまった日

血の臭いは、いつだって頭を殴りつけてくる。


公爵令嬢エリザベスがそう感じたのは、その日が初めてだった。

城の回廊を、複数の騎士が慌ただしく駆け抜けていく。鎧の隙間から零れ落ちる血が、磨かれた大理石に点々と跡を残していた。

その中心で担がれている若い騎士は、意識を失い、唇の色はすでに青白い。


「医務室へ! 早く!」


誰かが叫ぶ。

だがその声には、どこか諦めが滲んでいた。


――間に合わない。


大人たちの顔が、そう語っている。

エリザベスは、その光景を少し離れた場所から見ていた。


今日は第二王子アルシンドとの顔合わせの日だった。まだ十歳の少女には不釣り合いな、格式ばったドレス。きつく結われた髪。息苦しい空気。

そのすべてが、一瞬で感じられなくなった。


「……っ」


反射のようなものだろうか。

気づけば、足が動いていた。


「エリザベス様!?」


侍女の声を背に、彼女は一団に駆け寄る。

血の臭いが、強くなる。胸が、きゅっと締め付けられる。


――助けたい。


理由なんてなかった。

ただ、それだけだった。


担架の上の騎士に、そっと手を伸ばす。

触れた瞬間、体の奥が熱を持った。


「……あ」


水が、溢れた。

ないはずの水が、確かにそこにあった。

透明な奔流が血を洗い流し、裂けた肉が内から盛り上がり、砕けた骨は――元あるべき形へと還っていった。

誰かが息を呑む音がした。

神官が、震える声で神の名を呼ぶ。

騎士の胸が、大きく上下した。


「……生きている……?」


奇跡だった。

否定しようのない、奇跡。

エリザベスは、呆然と自分の手を見る。

水はもう、消えていた。


その場にいた全員が、少女を見た。

恐れと、畏敬と、そして――欲望の混じった目で。


「……今のは」


場に不釣り合いな幼い声が響いた。

いつまでもやって来ないエリザベスに痺れを切らして

自ら探しに来た第二王子だった。

幸か不幸か、彼は見てしまっていた。

エリザベスが奇跡を使うところを。


彼は一歩前に出て、まるで宝石でも見るように、エリザベスを見つめていた。


「君が、やったのか?」


言葉が出ない。

喉が、からからに渇いていた。

代わりに、父が前に出る。


「偶然です。娘は水魔法が少し得意なだけで――」


「癒しだ」


第二王子は、父の言葉を遮った。


「聖職者ですら扱えない力だ。

 ……すごい」


その瞳が、異様なほど輝いていることに、誰も気づかなかった。


エリザベスは、ただ怖かった。

助けたはずなのに。

良いことをしたはずなのに。

なぜか、世界がひどく遠くなった気がした。

 



その日の夜、城は静まり返っていた。


王と数名の騎士だけが集められた小さな会議室。

その中央に、エリザベスは座らされていた。


「もう一度、やってみせなさい」


王の声は、ひどく落ち着いていた。

優しい声色でありながら、こちらに拒否することを許さない重みがあることを、十歳の少女でも理解できた。

騎士の一人が自らの腹を切り裂く。

驚いている暇などない。


水を生み、癒す。

昼間と同じように。

結果は同じだった。


沈黙が落ちる。


「……間違いないな」


王は深く息を吐いた。


「水魔法と、癒し。

 この国で、いや――神殿を含めても前例がない」


エリザベスの父が、震える声で言う。


「陛下……この子はまだ十歳です」


「だからこそだ」


王は視線を上げ、エリザベスを見た。

その目には、慈悲も、温情もなかったが、欲望だけは湛えていた。


「この力は、我々への祝福であり――神殿にとっての災厄だ」


第二王子と結べば国民と貴族からの人気はうなぎ上りになるのは確定。

しかし神殿から見れば面白いはずがない。

権力の集中を嫌って王権に介入してくることだろう。

王は第二王子と婚約させることを早々に切り捨てた。



「ふたつの道がある」


王は、淡々と告げる。


「ひとつ。

 この子は今日、死んだことにする。

 名も姿も捨て、影で王政を支える存在となる。

 ただし、これは余も公爵夫妻も望んではおらんよ。」


エリザベスの胸が、強く打たれた。


「もうひとつ」


王は、ほんの一瞬だけ言葉を区切る。


「聖女として表に立たせる。

 神殿に入り込み、王権の従刃となる」


「お待ちください!

 この子は水魔法しか使えません。

 聖女の使う別格の魔法とは全く異なるもの。

 たった十の子に、国民に嘘をつきながら神に仕えよとおっしゃるのですか!」


父の激高はもっともだ。

そもそも聖女とは聖魔法を使い、神の御心を民に伝えられる存在。

その副作用で癒しの力が行使できるのだという。

つまり聖女となれば国民のために祈り、癒し続けるために、神殿にこもらなければならなくなる。

さらに王権の従刃となるならば、神殿内部の切り崩しも求められるということだ。


たった十歳の娘、まだ10年しか愛情を注ぐことができていない娘に対して、あまりに非道な仕打ちと父公爵は激怒した。


それでも、王は意に介さない。

選択肢が一つしか無いとわかっているからだ。

圧倒的な王の胆力は、視線となってエリザベスから逸れない。


「選ぶのは、君だ」


十歳の少女には、あまりにも重すぎる選択。

それでも。

エリザベスは思い出していた。

血に濡れた騎士の顔。

助かった瞬間の、確かな鼓動。


――誰かを、救えるなら。


「……聖女に、なります」


声は、震えていた。

それでも、はっきりと言った。


王は、ゆっくりとうなずいた。


「ならば覚えておけ」


その言葉は、祝福ではなかった。


「そなたは今日から――

 偽りを生きる聖女だ」

 



廊下の陰で、第二王子アルシンドはすべてを聞いていた。

扉の向こうで交わされる言葉の意味を、完全に理解していたわけではない。


それでも、ひとつだけ、強く胸に焼きついた。


――彼女は、特別だ。


奇跡を起こす存在。

神に選ばれた、少女。


「……エリザベス」


その名を、誰にも聞こえないように呟く。

彼女は今日、僕のお嫁さんになりに来たのに。

彼女は、僕のものになるはずだったのに。

そうでなければ、おかしい。


幼い執着は、まだ恋という形を取らず、

ただ静かに、歪んだ信仰として芽吹いていた。

その芽が、やがて王国を揺るがすことを、

この夜、知る者はいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ