最終話 悪役令嬢は平和に生きます!
鏡の中に映る純白の姿は、まるで別人かと思うほど、幸せそうな顔をしていた。
リリアさんが最後の一筆として紅を引いてくれる。
唇に乗った鮮やかな赤が、白一色の世界に命を吹き込んだ。
わたくしはドレスの裾をそっと握りしめる。
シルクの滑らかな感触が、これから始まる儀式が夢ではないことを教えてくれる。
戦場での焦げ付くような熱さとも、凍てつくような寒さとも違う。
ただただ温かく、少しだけくすぐったい緊張感。
「……完璧です、セレスティーナ様」
リリアさんが鏡越しに微笑んだ。
彼女の目元が少し赤くなっているのを見て、わたくしは胸が詰まる。
「泣かないでくださいな。メイクが崩れますわよ」
「泣いてませんっ。……ただ、少しだけ、眩しいだけです」
彼女は鼻をすすり、それから居住まいを正して扉を開けた。
廊下には、わたくしの父であるアルヴァレス公爵が待っていた。
普段は厳格な父が、今日はどこか所在なげに、何度もクラヴァットの位置を直している。
「……行くぞ、セレス」
「はい、お父様」
差し出された腕に手を添える。
その腕の震えが伝わってきて、わたくしは苦笑しそうになるのを堪えた。
今日は誰も彼もが、わたくし以上に緊張しているらしい。
大聖堂への回廊を歩く。
ステンドグラスを通した陽光が、足元に色とりどりの模様を描いていた。
その先から聞こえてくるパイプオルガンの音色。
重厚な扉の向こうには、国中の要人と、そして何より――わたくしの「患者」であり、最愛の「共犯者」が待っている。
ギィィ、と扉が開かれた。
溢れんばかりの拍手と、光の洪水。
長い、長いバージンロードの先に、彼はいた。
正装に身を包んだルーカス様。
いつもの黒い軍服ではなく、白を基調とした式典用の衣装だ。
眼鏡を外し、整えられた黒髪が理知的な額にかかっている。
その青い瞳が、まっすぐにわたくしを捉えていた。
一歩、また一歩と進む。
父の手から離れ、ルーカス様の手へと引き渡される瞬間。
彼の手は、驚くほど熱かった。
かつて「氷の王子」と呼ばれ、誰にも触れさせなかったその手が、今は汗ばむほどに熱を持って、わたくしを求めている。
「……綺麗だ、セレス」
耳元で囁かれる声に、心臓が跳ねた。
わたくしはドレス越しに伝わる体温を感じながら、上目遣いに彼を見た。
「貴方も素敵ですわ。……少し、顔色が赤いですけれど」
「君のせいだ。……心臓が持たない」
ルーカス様が困ったように眉を下げる。
その表情があまりにも人間臭くて、わたくしはふふっと笑ってしまった。
祭壇の前。
神官が祝詞を述べ、誓いの言葉を促す。
その時、ふわりと何かがわたくしたちの間に割り込んできた。
『ママ! パパ! おめでとー!』
黄金の輝きを放つ聖杯だ。
今日は特別な役目――リングピローとして、その器の中に二つの指輪を載せて浮遊している。
厳粛な空気が一瞬で和んだ。
バルト神官長が「おお、聖遺物が祝福を……!」と感涙しているのが視界の端に見える。
ルーカス様が聖杯から指輪を一つ取り上げた。
アメジストとサファイアが埋め込まれた、特注の指輪。
彼はわたくしの左手を取り、薬指にそれを滑り込ませた。
「この指輪には、魔法をかけてある」
「魔法?」
「ああ。『着用者が感じる痛みを、半分だけ私が引き受ける』魔法だ」
彼の言葉に、わたくしは息を呑んだ。
痛みを、半分。
それはつまり、わたくしが傷つけば、彼もまた傷つくということだ。
普通なら守るための「防御」や「身代わり」の魔法をかけるだろうに。
「……なぜ、そんな魔法を?」
「君は放っておくと、すぐに無茶をして傷つくからな。私の目が届かない場所でも、君の痛みだけは共有していたい」
ルーカス様はわたくしの指に口づけを落とし、まっすぐに見つめてきた。
「君が背負う重荷も、苦しみも、これからは全部半分こだ。……その代わり、喜びも幸せも、私に半分分けてほしい」
なんて、不器用で、重たくて、愛おしいプロポーズだろう。
わたくしの目頭が熱くなる。
この人は知っているのだ。
わたくしが「守られるだけ」では満足できないことを。
共に痛み、共に生きることを望んでいることを。
「……はい。半分と言わず、全部差し上げますわ」
わたくしも彼の指に、銀の指輪を嵌めた。
カチリ、と音がして、魂の深い部分が繋がったような感覚が走る。
もう、一人ではない。
どんな嵐が来ても、この手が離れることはない。
「誓いのキスを」
神官の声と共に、ルーカス様がヴェールを上げる。
彼の顔が近づき、視界が彼の青い瞳一色に染まる。
触れるだけの、優しい口づけ。
けれどそこには、これまでの苦難と、これからの誓いがすべて込められていた。
ワァァァァッ!
大聖堂が揺れるほどの歓声が上がった。
聖杯が嬉しそうに光の粉を撒き散らし、リリアさんがハンカチで顔を覆って泣いている。
わたくしはルーカス様の腕の中で、恥ずかしさと幸福感に包まれながら、観衆へと向き直った。
◇
式の後、王宮のバルコニーに出ると、眼下には王都を埋め尽くす民衆の姿があった。
彼らはわたくしたちの姿を見るなり、割れんばかりの歓声を上げた。
「聖女様万歳!」
「ルーカス殿下万歳!」
手を振る人々の顔は、誰もが笑顔だ。
かつて疫病に怯え、戦争の影に震えていた街は、今は光に満ちている。
ふと、転生した日のことを思い出した。
攻撃魔法ゼロの「役立たず」だと宣告され、絶望しかけたあの日。
目立たず、ひっそりと生きようと決めたあの日。
(……計画とは、随分違ってしまいましたわね)
わたくしは隣に立つ夫を見上げた。
彼は民衆に応えながら、わたくしの腰をしっかりと抱き寄せている。
その横顔は、かつての「氷の王子」ではなく、愛するものを守り抜いた王の顔だった。
目立たない平穏は手に入らなかった。
けれど、代わりに手に入れたのは、大切な人たちと作り上げた、かけがえのない平和だ。
「……セレス?」
「いいえ、なんでもありません」
わたくしは微笑み、彼に寄り添った。
髪飾りのアメジストが、陽光を受けてきらりと輝く。
これからもきっと、色々なことがあるだろう。
教会がまた面倒を持ち込むかもしれないし、聖杯が騒動を起こすかもしれない。
でも、大丈夫。
わたくしには、最強の治癒魔法と、最高のパートナーがいるのだから。
「さあ、行きましょう。……わたくしたちの、新しい人生へ」
悪役令嬢として転生したわたくしが掴んだのは、断罪でも破滅でもなく、貴方と共に歩む未来でした。
わたくしは満面の笑みで、集まった人々へ――そしてこの世界へ向けて、大きく手を振った。
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