第93話 慎一の選択の真実
朝日が昇り、八雲島に新しい一日が始まった。
しかし、それは平和な朝ではなかった。慎一の選択がもたらした真の意味が、少しずつ明らかになり始めていた。
井戸の底で、語り部となった慎一の意識は、予期せぬ現実に直面していた。
『これは……』
慎一の意識が震えた。
語り部になることで、すべての水籠たちの記憶を受け継いだ。それは予想していたことだった。しかし、その記憶の量と質は、想像を遥かに超えていた。
千年分の死。
千年分の苦痛。
千年分の絶望。
それらすべてが、今、慎一の意識の中で再生され続けている。
『止められない……』
記憶は、勝手に流れ続ける。
ある瞬間は江戸時代の商人の入水。次の瞬間は昭和の少女の絶望。そしてまた次は、名前も残っていない古代の島民の最期。
すべてを、慎一は追体験していた。
まるで、千回死んでいるような感覚。
『これが……語り部の真実……』
慎一は理解した。
語り継ぐということは、すべてを背負うということ。
美しい物語だけでなく、醜い現実も、恐ろしい真実も、すべてを。
清明井のほとりで、あかねは一人佇んでいた。
半分人間、半分水という中途半端な姿。どちらの世界にも完全には属せない、孤独な存在。
「慎一くん……」
あかねが井戸に語りかけても、もう以前のような返事はない。
語り部は、個人的な会話をする余裕を失っていた。千年分の記憶に圧倒され、かろうじて正気を保っているだけ。
『語り……継ぐ……物語を……』
時折聞こえる声は、もはや慎一個人のものではなかった。
無数の声が混じり合い、意味をなさない響きになることもある。
あかねは、自分の選択を後悔し始めていた。
慎一を島に呼んだこと。
水籠に導いたこと。
そして、語り部にしてしまったこと。
「私のせいで……」
美咲の意識が、姉を慰めようとした。
『お姉ちゃん、自分を責めないで』
しかし、美咲の声も以前より弱くなっていた。
水籠の呪いが解けたことで、美咲の存在も不安定になっているのだ。
「美咲……あなたまで……」
あかねは、完全な孤独を感じていた。




