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第60話 榊原大地との対話
分散した慎一の一部は、漁港で奇怪な光景を目撃した。
榊原大地が、半分溶けた体で船を出そうとしていた。
昨夜の祭りで不完全な水籠と化した大地は、もはや人間とは呼べない姿をしていた。上半身は辛うじて人間の形を保っているが、下半身は完全に水と化し、地面に広がっている。
「あかね……待ってろ……」
大地は、うわ言のように呟きながら、溶けた手で櫓を握ろうとする。しかし、水の手では物を掴むことができない。
慎一の意識が、大地に語りかけた。
『大地、聞こえるか』
大地の動きが止まった。
「誰だ……羽生か……?」
『そうだ。君の物語を、聞かせてくれ』
大地は、困惑した表情を見せた。
「物語……?」
『君があかねを愛した物語。その想いを、語り継ぎたい』
慎一の言葉に、大地の目に涙が浮かんだ。
それは、水の涙だった。透明で、海に落ちるとすぐに混ざってしまう涙。
「俺は……ただ、あかねと一緒にいたかった……」
大地が語り始めた。
幼い頃からの思い出、初恋の甘酸っぱさ、そして水籠への歪んだ憧れ。
慎一は、すべてを記憶に刻んだ。
これも、島の物語の一部。語り継がれるべき、人間の感情の記録。




