第53話 千年の苦痛
次に見せられたのは、江戸時代の漁師の記憶だった。
飢饉で家族を失い、絶望の中で自ら井戸に身を投げた男。しかし、水に還った後も意識は消えず、井戸の底で永遠に家族の名を叫び続けている。
次は、明治時代の少女。
病弱な姉を救うために、水籠に志願した十三歳の少女。水の中で、彼女は今も姉の回復を祈り続けている。姉がとうに亡くなったことも知らずに。
大正、昭和、平成。
時代が下るにつれて、水籠たちの苦痛は、より複雑に、より深くなっていった。
戦争で息子を失った母親。
借金で首が回らなくなった商人。
恋人に裏切られた若い女性。
彼らは皆、それぞれの理由で水籠となった。そして、全員が後悔していた。
死ねない地獄。
それが、水籠の真実だった。
『でも、まだマシな方よ』
あかねの意識が、慎一に寄り添ってきた。
『これを見て』
あかねが見せたのは、「失敗した水籠」たちの姿だった。
水への変化を最後まで拒み、不完全な形で固定されてしまった者たち。
ある者は、半分が肉、半分が水という grotesque な姿で、永遠に境界線で引き裂かれ続けている。
ある者は、意識だけが無数に分裂し、それぞれが別の苦痛を感じ続けている。
最も恐ろしかったのは、水と肉を行き来し続ける者だった。
一瞬人間に戻っては、激痛と共に水に変わり、また人間に戻る。その循環が、一秒間に何百回も繰り返される。永遠に、死の瞬間を味わい続ける拷問。
『これが、抵抗した者の末路』
あかねの声には、諦めが滲んでいた。
『だから、受け入れるしかないの』
しかし、慎一の意識は、これらの記憶の中に別のものを見出していた。
『いや、違う』
慎一が反論した。
『これらは、すべて物語だ』
『語り継がれるべき、人間の物語』
集合意識が、困惑した。
『物語だと?』
『そうだ。苦痛も、絶望も、すべては物語の一部』
慎一の意識が、より強く輝き始めた。
『私は、これらすべてを語り継ぐ』
そして、慎一の意識は、最深部へと導かれた。
そこは、もはや通常の空間ではなかった。
過去と未来が、同じ水の中に溶けている。
慎一は見た。
——自分が生まれる前の光景を。母の胎内で、羊水に浮かぶ自分。しかし、その羊水はすでに青く濁っており、自分は生まれる前から水の因子を——
——自分が死んだ後の光景を。いや、これから死ぬ光景を。清明井の底で、完全に水と化した自分が、新たな犠牲者を待っている。その犠牲者の顔は——
「それは、君自身だよ」
声がした。
振り返ると、そこには別の羽生慎一が立っていた。
いや、正確には、水と化した羽生慎一が。
「時間は円環だ。始まりは終わりで、終わりは始まり。君は、これから水になる。そして、水になった君が、過去に戻って、七歳の君を井戸に引きずり込む」
慎一は理解した。
あの時、井戸で見た無数の顔の中にあった、大人の自分の顔。
それは、今まさに、ここにいる自分だったのだ。




