第52話 水の教育
慎一の意識は、強制的に水の集合体の中に引き込まれた。
それは、まるで巨大な生物の体内に取り込まれるような感覚だった。無数の意識が、慎一を取り囲み、品定めをする。
『新入りか』
『若いな』
『きれいな魂だ』
『すぐに汚れる』
様々な時代の水籠たちが、慎一に語りかけてくる。
そして、始まったのは、「教育」と呼ばれる工程だった。
それは、拷問に等しかった。
まず、慎一の人間としての記憶が、一つずつ剥ぎ取られていく。
幼少期の思い出、学生時代の経験、愛した人々の顔。それらが、水に溶かされ、集合意識の中に吸収されていく。
『抵抗するな』
『楽になれ』
『忘れてしまえ』
慎一は必死に抵抗した。
自分が慎一であることを、人間であったことを忘れたくない。
しかし、水の圧力は圧倒的だった。
記憶が薄れていく中で、慎一は最後の砦として、ある記憶にしがみついた。
民俗学への情熱。
知識を求め、真実を語り継ぎ、後世に伝えるという使命感。
それだけは、手放したくなかった。
『愚かな』
集合意識が嘲笑した。
『知識など、ここでは無意味だ』
『語り部? 笑わせるな』
『我々は、千年間ただ苦しみ続けているだけだ』
そして、慎一に見せられたのは、歴代の水籠たちの最期の瞬間だった。
『教育』が始まった。
しかし、それは通常の意味での教育ではなかった。
慎一の意識に、千年分の死が流し込まれる。
——平安時代。日照りに苦しむ村を救うため、十二歳の少女が生贄として井戸に落とされる。水の中で、少女は三日三晩生き続けた。その間、彼女が見たものは——
慎一は、その少女になった。
冷たい水が肺を満たす感覚。しかし死ねない。水が体の中で循環し、永遠に溺れ続ける。暗闇の中で、他の生贄たちの顔が見える。みんな、目を開けたまま、口を開けたまま、永遠に——
——江戸時代。飢饉で子供を失った母親が、狂気の中で井戸に身を投げる。しかし、水の中でも子供を探し続ける。存在しない我が子を、永遠に——
慎一は、その母親にもなった。
腕の中で、水でできた赤子を抱く。それが幻だと分かっていても、手放せない。水の赤子は、時折、本物の赤子のように泣く。その声が、自分の喉から出ていることに気づいても——
次々と、他者の死を追体験する。
それぞれの死に、それぞれの絶望があり、それぞれの狂気があった。
そして、最も恐ろしいのは、これらの記憶が層を成していることだった。
一番古い記憶の上に、次の記憶が重なり、さらにその上に——まるで、地層のように、苦痛が堆積している。
『これが、水籠の真実だ』
集合意識が告げた。
『我々は、ただ苦しんでいるのではない』
『苦しみを、永遠に積み重ねているのだ』




