第45話 第八の井戸への道
夕闇が深まる中、慎一と香織は森の奥へと進んでいた。
一歩進むごとに、世界の輪郭が曖昧になっていく。
木々の影が、まるで水墨画のように滲み、地面と空の境界が溶け合っていく。
「これは……」
香織も同じものを見ているのだろうか。それとも、これは慎一の目が、すでに水の目になりかけているせいなのか。
足元の感覚も奇妙だった。
固い地面を歩いているはずなのに、まるで水の上を歩いているような、ふわふわとした感触。一歩ごとに、足が地面に沈み込んでいくような錯覚。
そして、耳に入ってくる音も——
風の音が、波の音に聞こえる。
葉擦れの音が、水の流れる音に聞こえる。
すべてが、水の世界に変換されていく。
香織が持つ地図を頼りに、獣道をかき分けて進む。慎一の体は限界に近く、数歩歩くごとに香織の肩に寄りかからなければならなかった。
「もう少しよ」
香織が励ましの声をかける。彼女自身も、水の侵食に苦しんでいるはずだが、強い意志で前に進んでいた。
突然、香織が立ち止まった。
「これを見て」
彼女が指差した先には、古い石碑があった。苔むして文字は読みにくいが、かろうじて判読できる。
『此より先 禁足地 第八の泉を求める者 引き返すべし』
「やはり、ここで間違いない」
香織が確信を持って言った。
さらに進むと、通常の井戸とは異なる光景が現れた。
巨大な岩で塞がれた穴。その周囲には、無数の注連縄と札が貼られている。千年間、誰も近づかなかった禁忌の場所。
「父の手記に、追加のページがあったの」
香織が、慎一に見せたのは、手記の最後に挟まれていた紙片だった。
『第八の井戸は、単なる封印ではない。
朝日の魂が、氷の中で保存されている。
しかし、注意せよ。
双子の片割れと言えども、千年の狂気は計り知れない。
解放には、新たなる双子の力が必要となろう』
新たなる双子。その言葉が、また現れた。




