第44話 最後の準備
日が暮れ始めた。
慎一と香織は、第八の井戸へ向かう準備を整えた。
懐中電灯、ロープ、そして甚助がくれた塩。
「これで、少しは時間が稼げるはず」
香織が、塩を小袋に分けた。
慎一の体は、もはや限界に近かった。
立っているのもやっとで、意識も時折途切れる。
「大丈夫?」
香織が心配そうに聞いた。
慎一は、かすれた声で答えた。
「記録者として……最後まで……」
そう、自分は民俗学者だ。
この島の真実を、最後まで記録する使命がある。
震える手で、ノートを取り出す。
『六日目 夕刻
第八の井戸へ向かう。
双子の巫女の真実を、確かめるために。
もし、私が戻らなかったら――』
そこで、ペンが落ちた。
もう、文字を書く力も残っていない。
しかし、語り部としての使命は、まだ終わっていない。
「行きましょう」
香織が、慎一の肩を支えた。
二人は、夕闇の中を森へと向かった。
背後で、祭りの準備の音が聞こえる。
太鼓の音、笛の音、そして不気味な歌声。
明日の祓水祭。
それまでに、すべてを終わらせなければならない。
慎一の意識は、もうほとんど水に支配されていた。
しかし、最後の人間性が、必死に抵抗を続けている。
記録せよ、伝えよ、忘れるな。
その使命感だけが、慎一を前へと進ませていた。




