第36話 深海医師との遭遇
朝食もそこそこに、慎一は外に出た。
今日中に、真実を突き止めなければならない。
集落は異様に静かだった。祭りの前日というのに、人の姿がほとんど見えない。
そんな中、一軒の古い建物が目に留まった。
『深海医院』
看板は朽ちかけているが、かろうじて読める。
慎一は、藁にもすがる思いでドアを押した。医者なら、この異常な身体変化について何か知っているかもしれない。
中は薄暗く、カビと薬品の匂いが混じっていた。
「診察ですか?」
奥から、老人が現れた。白衣を着ているが、それは黄ばみ、ところどころに染みがある。
深海玄道と名乗った老医師は、慎一を見て目を輝かせた。
「ほう、これは……素晴らしい進行具合だ」
「進行?」
「水への適応です。あなたは、稀に見る資質の持ち主のようですね」
深海は、慎一の腕を掴んだ。その手は冷たく、湿っていた。
「診察室へどうぞ。詳しく拝見しましょう」
慎一は、不安を感じながらも従った。他に頼れる者がいない。
診察室へ向かう廊下の壁には、色褪せた写真が何枚も飾られていた。その中の一枚に、慎一の目が留まった。
若い頃の深海医師と思われる男性が、幼い少女を抱いている写真。少女は五、六歳くらいだろうか。無邪気な笑顔で、小さな手で貝殻を握っている。
「それは……」
深海が慎一の視線に気づいた。一瞬、老医師の顔に深い悲しみが浮かんだ。
「娘です。深海澪。七歳で……水に還りました」
深海の声が震えた。
「優秀な子でした。海が大好きで、将来は海洋学者になりたいと……」
老医師は写真に手を伸ばしかけて、止めた。
「あの日、祓水祭の前夜でした。『お父さん、井戸の水がきれいだね』と言って……翌朝には……」
深海の目に、狂気の光が宿った。
「だから私は研究を始めたのです。水籠になった者を、元に戻す方法を。娘を……澪を取り戻すために」
診察室への階段は、なぜか地下へと続いていた。
降りていくにつれ、湿度が上がり、壁からは水が滲み出ている。そして、慎一は気づいた。壁の染みが、人の顔のように見えることに。
いや、見えるのではない。確かに、そこには顔があった。
壁に溶け込んだ、無数の顔。口を開けて、声にならない叫びを上げている。
「ああ、気づきましたか」
深海が振り返った。老医師の首筋に、鰓のような切れ込みが、呼吸に合わせて開閉していた。
「これは、失敗作たちです。壁と一体化してしまった者たち。でも、まだ意識はあるんですよ」
深海が壁を撫でると、顔たちが一斉に目を閉じた。まるで、撫でられることで、わずかな安らぎを得たかのように。
逃げなければ。
しかし、もう遅かった。




