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第30話 井戸の水の幻覚

気分転換に、七つの井戸の一つを再訪することにした。


一番近い「結びの井戸」へ向かう。


昨日とは違い、周りに人はいない。


静かな井戸のそばで、慎一は深呼吸をした。


「やっぱり、考えすぎかな」


井戸を覗き込むと、澄んだ水面に自分の顔が映った。


しかし、その顔は……


慎一は息を呑んだ。


水面に映る自分の顔が、一瞬、別人のように見えた。


もっと年老いて、もっと疲れて、そして……目が魚のように濁っている。


慎一は反射的に顔を上げた。


心臓が激しく鼓動している。


もう一度、恐る恐る井戸を覗き込む。


今度は、普通の自分の顔が映っていた。


「疲れてるんだ……」


慎一は自分に言い聞かせた。


しかし、不安は消えなかった。


試しに、井戸の水を柄杓で汲んでみた。


昨日飲んだ時は、ただの美味しい水だった。


今日も、見た目は同じ透明な水。


しかし、口に含んだ瞬間――


慎一の脳裏に、奇妙な映像がフラッシュバックした。


暗い海の底。


無数の人影が、ゆらゆらと漂っている。


皆、口を開けて何かを叫んでいるが、声は聞こえない。


ただ、泡だけが上に昇っていく。


その中に、見覚えのある顔があった。


老婆? いや、違う。もっと若い女性。


でも、誰だか思い出せない。


映像は一瞬で消えた。


慎一は、慌てて水を吐き出した。


「何だ、今のは……」


手が震えている。


柄杓を井戸に戻そうとしたが、手が滑って落としてしまった。


カラン、という音を立てて、柄杓が井戸の底へ落ちていく。


そして、水音。


ただの水音のはずなのに、それは人の声のように聞こえた。


『来い……』


慎一は、逃げるように井戸から離れた。

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