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ほんの少しの冒険を味わうために、転生した神様は唆される

作者: 如月 和

 自分が何故、神になったのか。そんなこと、全然考えたこともなかった。死んだ者を転生させ、別の世界に送り込む作業だって、それが定められていたから、行っていただけだ。


 世界は膨張を続けていく。始まりは何だったのか、そんなことは知らないし、誰かに聞いて答えを得られるものではない。風船を想像したらいい。世界は風船の中にある。その中で作業を行う存在が、外のことなんて知るものか。

 誰が息を吹き込み膨らませているかなんて、誰が自分達を風船の中に入れたのか、なんて。なんで風船の中に星や、生命なんてものが生まれたのか、なんて。誰も、知ることなん出来やしない。


 転生、というものを説明しようか。このシステムは風船を割ってしまわぬように作られたものだ。自然発生する命の力は、風船の膨張する力を越えてしまう。だから割れる。説明と言うほど、言葉は多くない。

 では、どうするか。増えていく命を、別の風船に移してしまえばいい。膨張を超えてしまう程の力を持った存在を刈り取り、まだ未熟な風船に送り込んでその膨張を助ける。そのシステムが転生だ。

 誰がそんなシステムを作ったのか、それを知ることは出来ないし、知ることに意味はないだろう。

 数学というものがある。世界を数字で現した。では、その数字はどこから現れたのだろう。言葉としては、きっと誰かが定めたのだろう。概念も、きっと誰かが導き出した。でも何故? 疑問に思うことは多いだろう。現実として、機能しているのに、一向に説明できないこともある。そういうことがある。それが世界というものを説明する上で、必要なことなのだ。


 膨張を超えてしまう程の力、というものについても説明しておかなければならないだろう。風船に吹き込まれた息は、壁面――そして何かに触れると変化を起こし、物質になる。それは静電気のようなものだ。その力によって物質は産まれるのだ。そしてその物質も、息と触れ合うことで変化を起こす。しかしその変化は壁面とは違って、エネルギーとなって溜め込まれる。

 力を貯めるほどにエネルギーは大きくなる。物質が増えれば息の触れる物が増えていくため、力を貯める物質が増えていく。その力が生命を育み、そして生命が増えれば息に触れるものも多くなって、力を貯める存在も増えていく。静電気と考えれば、力と結びつけて考えるのも難しくないだろう。何故なら、風船に静電気は御法度だ。

 だから、強い静電気を起こしそうなものを刈り取る。場合によっては、星ごと他所に移してしまう。


 しかし、別の風船は吹き込まれる息が違うため、ただ移しただけでは馴染むことが出来ず、力が暴発してしまう恐れがある。そのために、その力を少し変化させてやらなくてはならない。水の中に塩を落としたら、塩分濃度が変わって環境に悪影響を及ぼす。そう考えてもらっても構わない。

 ただ、そこが水とは限らない、というのが、息が違うという意味だ。その風船の中に入っているのは、オレンジジュースかもしれない。オレンジジュースに水を入れたら、当然薄まるだろう。あるいは、そこは鉄でできているかもしれない。鉄にオレンジジュースを垂らせばどうなるか。様々な影響を考えて、その成分を変えなくてはならない。

 そうしたとき、転生した物は特異な力に目覚める事があるのだ。時に人は、それをチートと呼んで喜んでいる。その発生をある程度は願望通りに変化させることも可能なので、希望を訊くと喜んで語るものも多い(そのため、理解するための勉強が必要になる)。


 説明が長くなってしまっただろうか。要は、そうして人を転生させていくにつれて、自分という存在に興味を抱いた。様々な知識を得た賜物だろう。もしも自分が転生するとしたら、なんて考え、もしもそのようなことが起こったのなら、誰がその作業を行うのだろう、と疑問を持ったりもした。

 そもそも、システムの範疇にないのだから、転生できるはずもない。そう結論付けることは簡単だった。

 けれど、ふと、思いついてしまったのだ。自分は、これが風船のようなものだと理解できている。誰かが息を吹き込んでいると、理解できている。ならば、吹き込まれている方向へ進んでみれば、どうなるのだろう。


 その結論は、目の前にいる人物であった。


「ちょっと待ってくれ。予想外だ。完璧な予想外だ。いったい誰がこんな事態を予想できる? 転生する人物を迎え入れてみたら、それは管理外の存在だったなんて、いったい誰が理解できるのか」

「あなたは、別の風船の人?」

「あぁ、そうさ。ここは別の風船さ。そう言う君は、一体どうしたっていうんだ? 何故、我々という存在が、こんな所に来られるんだい?」

「冒険してみたの」

「可愛らしい答えだ。そう願った経験は僕にもあるよ。けれど、やろうとはしない。誰だって、自分という存在が消えるのでは、なんて、頭を過るもんさ。でも君はそれをやり遂げてしまった。称賛に値するよ。で、君はどんな力が欲しいのかな? もしも要望がないのなら、是非、お勧めしたいものがあるね」

「どんな?」

「世界に、息を吹き込むのさ!」


 そうして、私は転生を果たした。彼の力を使って転生をして、彼は私の力を使って目的を果たす。そんな事ができるのか、と疑問を抱いてしまったが、ここで話は先ほどのものに戻るのだ。

 説明できないこともある。それが、――世界なのだ。


 ※


 その世界では、戦争が起こっていた。けれど、それはとても不可解な様相を見せていた。


 二国間の争いである。三つの大陸をそれぞれを占領する、三国の内の二つの戦争である。人知を超えたその争いは、別世界の神――エルナミクの気持ちを昂らせた。


「凄い。雷を操ってる。炎も狙った場所へ飛んでいくし、水が蛇みたいにうねうね」

「ほう、そこに驚くのかい? 君の世界は余程退屈な場所だったんだろうね。僕にはとても耐えられそうにないよ。死体は動かないかい? 血を吸って栄華に現を抜かす化け物なんて信じられないかい?」

「物語だった。本でね、テレビでもやってた。吸血鬼っていうの。十字架とか、ニンニクとか、流れる水が嫌いで――」

「テレビ? 聞いたことがない言葉だ。知らない言葉は退屈だね。もっと実りのある話をしよう」


 自分から訊いてきたのに――、とエルナミクはしょんぼりとした。吸血鬼の能力が欲しいと言った転生予定者と、暫し語り合ったことを思い出したのに。


「そうだ。その姿はどうだ? 僕の趣味さ。くるりと回ってみな? 服装も拘ってみたのだけど」


 言われたようにくるりと回る。月夜に照らされた草原には彼女ら以外は存在しない。戦争の影もない、のどかな場所であった。

 ふわりとスカートが持ち上がる。膝ほどの長さをした鳥籠のようなボリュームのあるもので、パニエ等は履いていなくとも、そのボリュームを保持している不思議なものだ。魔法の服だと喜んだ。トップスは首元胸までを覆うフリルが可愛らしいブラウスで、その上にはブレザー。色は全て白で統一されている。月の光に照らされる銀色の髪と合わさり、まるで透き通るほどの透明感だったと彼は後に語る。


「うんうん。やはり白はいい。それでこそ、この黒猫ボティが映えるというものだ。白ずくめの女の子の肩に黒い猫が載っていたら、嫌でも目立つだろう? そうすると僕は注目の的だ。気分がいい」

「そうなの?」

「君は目立ちたくないのかい? せっかくの力を得たんだ。パーッとぶちかまして、人々の注目を浴びたいとは思わないのかい? あぁ、答えなくてもいいよ。僕は目立ちたい。チヤホヤされたい。だから君には拒否権はないよ。僕のためにこの戦争に介入し、存分に目立っておくれ」


 そっと抱き上げて胸に納める。のどを鳴らす姿は、どこからどう見ても黒猫だ。猫を抱くのは憧れであったから、この状況は素直に嬉しい。けど……。


「性格悪い」

「褒め言葉だね」


 褒めてないのに……、という言葉は飲み込んだ。運命共同体なのだから、もう離れることは出来ない。そういう風に転生してしまったのだ。彼は付属品。役目を果たしながらも、意識はちゃんとここにある。転生というシステムで力を得た私を使って、この星の神となることを目論んでいるのだ。何故なら、チヤホヤされたいから。

 やっぱり、性格が悪い。


「そんなことより、実りのある話だ。この戦争、どこからどう見てもおかしいものだ。ほら、()()()()()だろう? そういう力もあるのだからね」


 言われた通り、ちゃんと見えている。私の力は彼の宣言通り、世界に息を吹き込むことだったのだから。私が転生した際、この世界――つまりこの星には、私の力が流れ込んだ。つまり、私はこの星と一つとなったのだ。だから、この星で起こり得ることには、ある程度の介入は出来る。天候を操ろうが、大陸を動かそうが、朝飯前どころか寝起きでだって出来てしまう。

 星を取り巻く大気を感知して、遠く離れた場所で起きたことを事細かに()()ことだって可能なのだ。


 正に、神と言っても差し支えないだろう。なのに、威張るつもりなのはこの猫なのだ。


「……そう言えば、なんて呼べばいいの?」

「どうでもいいね。好きに呼べばいいさ。キングでも、ジョーカーでも。あぁ、ゴッドと呼ぶのは相応しくないね。それは相応しくない。人間に対し、『おい人間』なんて呼ぶのは失礼じゃないか」

「じゃあ、ショーネって呼ぶ」

「ほう、どんな意味があるんだい?」

「秘密」


 性根が悪そうだから、とは言えなかった。


 それよりも、と話を戻す。確かに、この戦争は不可解だ。魔法の撃ち合いはとても派手で、自分には馴染みがないから不可解だと思うわけではない。

 意思が見えない、とでも言えばいいのか。


「敗戦濃厚、な陣営が正義だろうね。必死さがしっかり表れているのが面白い。生産拠点を必死に守り、怪我人の治療には積極的だ。命を守る。弱者を守る。理不尽な暴力には屈しない。尊いねぇ。麗しいねぇ。そういう尊厳を護ってこその神様じゃないか。その方が、うんとお礼を言ってもらえるだろう? だけど、攻め込んでいる方は駄目だ。喜んでいる素振りも、兵士を鼓舞する熱狂も、何も見えてこない。解るだろう? 何故そんな事が起きているのか」


 こくり、と頷く。答えは先に提示されているのだ。

 この世界には三つの大陸と、それぞれを占領する三つの国があり、その内の二つが戦争をしている。けれど、片方にその色は見られない。とすれば、自ずと答えは一つしかない。


「三つ目の国が、騙ってる」

「そうさ。今攻め込んでいる国の兵士は、第三の国の者たちだ。その事を、二つの国は知らない。知ることが出来ない。もしかして認知を阻害しているのかな? 影響が強そうだ。戦争を起こして片方の国を滅亡させ、もう片方に戦争の愚を責める。そうして世界を牛耳るつもりかい? はっ! 片腹痛いね。世界を牛耳るのは、この僕たちさ」

「王様になるの?」

「神はキングにはならないよ。形式にはまるものではない。崇められてこそのものだ。あの存在を信じることで、自分達は救われるんだ。豊かになれる。死ぬ時はあの存在の胸の中に帰ることが出来るのだ。そういう存在が望ましいね。

 まぁ、それは君の役目だ。静かに微笑んで偶像を演じてくれればいい。畏れられる存在になれたら儲けものだね。僕はそれを利用して扇動するだけさ。人々を煽り、騙り、感情を曝け出す姿を見てほくそ笑むのさ。あぁ、全ては僕の思い通りになっているってね」

「可愛くない」

「それはいけないね。猫は可愛くなければ意味がない。牙を見せていたらそれはもう、獰猛な肉食獣だ。愛想を振りまかないとね。猫が鳴けば世界は動くのさ」


 話を戻そう。黒猫はそう言って大地に降りた。


「選択肢は二つある。一つは攻め込まれている可哀想な国を護ることだ。侵略者を壊滅させることと言ってもいい。苦難を乗り越えた人達からは、相応の信頼を得られるだろう。大きな力を見せつければ、畏怖だって得られる。あぁ、予言というパフォーマンスをしてもいいな。今後の行方を逐一伺ってくるようならば、僕たちとしても動きやすいだろう。それに気分がいい。

 例えば、だ。この国に雷が降り注ぐだろう。なんて予言をしたとする。どうしたらいいか、と訊かれたら、君はなんて応えるかな? もちろん、雷を降らすのは君の役目だ」

「降らさない」

「可愛そうだと思うかい? 右往左往する人々が不憫だと思うかい? つまらないね。ただ慈悲を与えることほどつまらないものはない。いいかい、君が雷を降らすことは、彼等にとっては知る由もないことだ。所詮、ただの予言だからね。だからこそ、それが真実だと証明しなくてはならない。国に雷が降り注ぐ、といっただろう? 僕は都市だなんて、地上にだなんて言ってはいない。異常なまでの雷が、天空で、この国の頭上だけで盛大に鳴り響けば、人々は右往左往と面白いように狼狽えるだろうさ。

 そうした時に、優しい言葉を投げかけるのさ。美しい手を差し伸べるのさ。信じなさい。信じれば落ちることはない、とね」

「詐欺」

「金銭は要求していないさ。信頼というものは金銭では計れないからね。むしろ金で買った信頼は何時でも売り払えるのさ。金は心の安定にも繋がるからね。裏切りの防止に繋がると思えば安いものだが、いざという時の心の支えにはならないだろう。『いざ』というものがとても大事なのさ。君は、そんな時に必要な存在になるのだよ」


 思っていた転生と違う。そう落胆の意思を溜息として表現をした。黒猫は見向きもしない。語るのが好きなのだろう。神にも個人差があるのか。今更ながら思い知った。


「冒険、したい」


 この世界には、目を輝かせるようなものが沢山あった。過去の栄華を誇る遺跡。恐るべき異形が蔓延る地下世界。天空に隠された空飛ぶ巨大帆船。海にだって何かがある。

 そんなワクワクさせる要素がいっぱいある場所に転生したのに、やっていることは戦争への介入だ。人助けになることだとは思うし、それが出来る力があるのだから、それをしないというのは、数多の知識に触れてきた自分には出来そうもない。正義感とまでは言いたくない。ただ、思い描くようなヒーローに背を向けたくはないのだ。


 だから、そんな邪なことは考えずに、素直に誰かを助けたいと思う。


「ふむ。まぁ、それが君の動機だからね。そういうことなら冒険でもしてみよう。もう一つの選択肢だ。戦争を仕掛けている国が、何故そんな事をしているのか。国内の事情はどうなっているのか。国民感情はどうなのか。調べてみよう。上手く行けば、みんなが救われるかもしれないからね。諜報活動は、いい冒険だろう?」


 二人の間に、冒険という言葉で齟齬があるらしい。方やワクワク。方やデンジャラス。その溝は、溜息によって埋められた。


 ※


 もちろん、実際に赴かなくとも現地の状況は手に取るように解る。それでも朝を待って、首都であろう大きな街へ繰り出したのは、危険なものであっても冒険がしたい、という気持ちを誤魔化せなかったからだ。

 諜報活動、と聞いて、頭の中に格好良くお宝を奪う泥棒の姿が現れた。スパイと泥棒の違いは、いまいち理解しきれていなかった。けれどその格好良さは解る。悪を倒すのだ。イコール格好良い。


 エルナミクは想像を豊かにして、街を練り歩く。白一色の姿に、これまた白い鳥籠型の傘。大きな赤いリボンがアクセントとなっている。

 つまり、とても目立っていた。


「言い難いことだけどね。しかし狙い通りでもある。どうだい? 人々の視線を独り占めだ。道行く人々がみんなこちらを見ている。君は可愛らしい外見をしているからね。容姿もとても美人だし、幼さが感じられる顔立ちは庇護欲を掻き立てられるだろう。しかしこの手の諜報活動はテクニックが必要だね。目立つことを利用しなくてはならない。

 あぁ、そこに焼き菓子を売っているところがあるね。ディスプレイされているクッキーが、色とりどりで目にも楽しいだろう? 全部割ってしまったらさぞ楽しいだろうね。え、趣味が悪いって? まぁ、そうなのだろう。けど、全部食べてしまえば一緒じゃないか。食べ物なんだろう? 形にこだわって味が変わるというのかい? 君は恋人が作った不格好な料理を、見た目が悪いからと捨てるのかい? その方が酷いな。人の好意を捨ててしまうのは忍びない。どんなものでも味が良ければそれで良いのさ」

「わざと割るのは犯罪」

「猫に犯罪があるもんか」


 そんなやり取りを堂々と見せているものだから、店先に立つ女性の不信感は視線を交わさなくとも解るだろう。「ちょっと、変なやつが来たよ!」店の奥にいるのだろう、店主である旦那を呼んだようだ。


「なんだい、今仕込みの最中――。なんとまぁ、別嬪さんなことだ。クッキー、いるかい? 割れて商品にならない物があるんだよ」


 エルナミクは黒猫に視線を向け、女性は店主に肘を突き立てた。


「それは頂くしかないね。僕はなんでも食べる猫なんだ。クッキーのお供にミルクがたっぷり入った紅茶があると、金運をもたらすかもしれないよ」

「ははっ! 喋る猫とはねぇ、魔物かい? 魔物使いというのは、この国の自慢の職業だからね。サーカスにも戦争にも大活躍だ」

「へぇ、戦争。この国は戦争をしているのかい?」

「そんな訳はないさ。この国は平和そのものだよ。戦争なんて起きたのは遥か昔。俺は体験したことないな」

「おいくつで?」

「五十になった。クッキー焼いて二十五年だ。五年は修行に費やした。息子も修行に出ていてね。あぁ、お嬢ちゃん、うちで働いてみないかい? いい看板娘になりそうだ」

「あら、あたしは看板娘でないの?」

「娘って歳かよ」


 今度の肘は重かった。


「戦争、してないって」

「あぁ、そうだね。ご主人、用事を思い出したから僕たちはこれで失礼するよ。次に来る時はクッキーと紅茶をご馳走してくれ」

「お嬢ちゃんは、クッキー好きかい?」

「うん。紅茶より珈琲が好き」

「うんうん。俺も好きだ。日が暮れるまではやっているから、いつでも来るといい。夜でも大歓迎さ。とびきりのディナーをご馳走するよ」

「その御馳走、誰が作るのかしら?」


 今度は足を踏まれたらしい。叫び声に紛れて、誰も気が付かない。二人は、再び草原に戻っていた。人の気配は一切なく、それどころか営みのようなものすら見られない。それもそうだろう、ここは、この草原は。毒ガスが充満した、危険地帯なのだから。


「いやー、空気が美味しいね。その点、人混みは不味い。吐き気がする。なんだいあのクッキーの臭いは。甘ったるくて毛玉を吐きそうだ。それにそこら中から漂う香水の臭い。浮かれているねぇ。自分をアピールするのに精一杯だ。余程平和なんだろう。戦争の影なんて一切ないね」

「でも、戦争してる」

「そうだね。では一体全体、あの国はどこと戦争をしているのか。僕としては、結論は一つしかないのだけど、君はどう思うかな?」

「……魔物の仕業?」

「はははっ! 愉快な発想だ。まるで覚えたての言葉を使いたがる子供のようだね。君の言う通り魔物が戦争を仕掛けたとして、では、何故魔法を扱う人同士が戦争をしているんだい? 魔物という存在は人に使われているんだ。人を使う存在じゃない。人は人の意志で、人を攻撃するのさ。そうなると、答えは一つだろう? ――あぁ、いま君はまた愉快な想像をしたね。密かに暗躍を狙う秘密結社が、人を操って戦争を起こした、なんて思っているのだろう? 愉快だね。実に創作的発想だ。暗躍する者たちが目立つ真似をするもんか。現に、僕たちは暗躍なんてしてないだろう?」

「悪いこと、したいの?」

「神がすることに善も悪もないさ。善悪を決めるのは人間の仕事だからね。僕たちはちょいと塩を振って、彼等の味付けを整えてあげるだけさ。ちょっと塩っぱくても不満に思うのは彼等なのだから、僕たちには関係ない」

「不味いと信じてもらえない」

「不味くなったのは彼等の所為さ。素材の悪さを隠そうとしてあげたのだから、そこに不満を言われる所以はないね」


 話を戻そう。猫はそう言って肩に飛び乗った。土が付いたら嫌だなぁとは思うけれど、それを口に出したところで一言二言余分に浴びせられるのだから、黙っていることが一番スマートなのだ。そう学んだ。


「つまり、これは自作自演なのだろう。僕たちもすっかり騙された。内乱というものだね。反乱と言ってもいいかもしれない。どちらかがそれを隠すために、他国が攻めてきたと風潮しているのさ。救いようがないね。僕たちが出る幕じゃない」

「でも、……困っている人たちがいる」

「助けたいかい?」

「うん」

「なら、君の出番だ。ちょいと知恵をプレゼントしてあげよう。そうすれば、たちまちこの戦争は終わりを迎え、君の存在は彼の――その国の王の脳裡に刻まれることとなる」

「悪いのは、王様なの?」

「知らないね。けれど、他国を利用して反乱を企てた、と仮定すると、敵の規模は余り大きくはないだろう。虎の威を借る狐、なんて言葉は、君の世界にもあるかい?」

「ある」

「そうかい。世界というものは、根本では似通っているのかもね。それはともかく、要は武器を取り上げてしまえばいいのさ。君はこの星をある程度コントロールできる。一時的に魔法を発動させなくすることだってね。そうして王に宣言をするのさ。これで争いを収められないのなら、この国には神の裁きが降り注ぐだろう、とね。会談の最中に天候を操ったり、何らかの奇跡を見せたら、より効果的だろう。……雷、とかね」


 歪んだ顔を、黒猫は笑った。


 ※


 ハルソバースの王、カルデンは頭を悩ませていた。世間的には他国が攻めていることになっていて、彼らが着ている鎧は確かに他国のものだった。なのに、過激な意見を持つ貴族の一部が消息不明になっているのだから、彼らが反旗を翻したのは確実だった。

 その手口は巧妙で、恐ろしく静かに忍び寄って。気がついた時には防戦するしか選択肢はなく、敵はどこから仕掛けているのかも分からない。戦力は確実に、こちらが上だ。なのにイニシアティブを完全に握られてしまい、こちらはもう、手の施しようもないところまで追い込まれていた。


 城に攻め入られるのも、時間の問題か。暗い夜。誰もいない玉座の間で、独り豪華絢爛な玉座に座って明日を憂う。そうすることに意味はなくとも、そうすることしか出来ることはないだろうと、そう思ってしまうところまで戦況は進んでしまったのだ。


 項垂れた頭を上げることが出来ない。上げてしまえば、現実を見るしかない。そう思った直後、直ぐ横を雷が落ちたかのような轟音が響いた。窓から溢れ出す光に周囲は眩み、視界が真っ白に包まれる。晴れた時には、目の前に独りの少女が居た。どこまでも、白い少女だった。肩には黒い猫が載っている。そのコントラストが、どうしても不吉なものに見えてしたがなかった。

 震えて、声が出ない。耳がおかしくなっているのか、出したとしても聴こえはしないだろう。しかし、何故だか、彼女の声ははっきりと届く。


「魔法を、禁止にしました」


 意味がわからない。


「これで誰も、魔法が使えません」


 何故?


「この状況なら、数に勝るあなた達が有利でしょう?」


 どうして?


「直ぐに、平和を取り戻してください。そうすれば、この世界は元通りです。それが出来なければ……」


 再び、世界は音と光に包まれる。晴れた時には、項垂れたときのままだった。


 夢だろうか。しかし、耳が痛い。


 夢だろうか。家臣は誰一人として来ようとしない。


 自分だけが見た夢なのだろうか。ならば、もしかしたら、これは、きっと。これがおとぎ話で言う、神託というものではないか。


 王は動いた。戦況の確認と、攻戦の宣言をするために。


 ※


「君は演技というものが下手だ。つまらないとも言える。役者にはなれないね。エキストラでも分不相応だ。もっと尊大な態度を取れないのかい? あれでは威厳というものが見られない。精々親切な天使だろう。やはり僕が喋るべきだっただろうか。いいや、それは駄目だ。まだ早い。ファーストインプレッションが猫の言葉に引っ張られてしまえば、それこそ軽く、威厳というものからかけ離れてしまう。

 今度、演劇というものを観たほうがいいね。君は観たことがないのかい?」

「テレビのドラマは観た」

「またテレビ。知らない言葉はつまらないよ」


 肩から飛び降りた猫は、草をかき分けながら進んでいく。その背丈はかろうじて見える程度であり、距離が離れたら草に埋もれてしまうだろう。

 草を刈れば、清潔な感じが出るだろうか。木を植えて木漏れ日を作り、穏やかな風景を作りたい。そうエルナミクは想像を働かせるが、毒ガスが漂うこの場所では、渾身の力作を誰が観られようか。魔法がそれを可能にすることを、彼女は願っている。


「平和になるかな?」


 追い掛けながら、問い掛ける。


「さぁね。ならなかったら実力行使だ。今度こそパーッとやってやろう。その方が唆るだろう?」


 黒猫は挑戦的な目を向ける。


「……朝になったら、クッキーを食べに行こう」


 答えは出せなかった。それは、自身が思い描いた異世界転生ではなかったから。


「冒険は、しないのかい?」


 黒猫は問い掛ける。


「……初めての、お買い物だから」


 それは冒険だ。そう黒猫は笑った。

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