表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エチュードの恋人

「……なあ、俺、今とんでもない巻き込まれ方してるよな?」


「お願い晃。本当に今日だけ、数時間だけでいいから!」


 式場のロビー。高い天井に響くクラシック、控えめな花の香り。

 私は、中原晃のネクタイを掴んでいた。何年ぶりかに会った男に、必死の形相で。


「“恋人のフリして”って、いきなり何なん?」


「私……高校のときの友達に、“彼氏いる”って言っちゃって。ちょっとだけ見栄で。で、引くに引けなくて……」


「どのくらい前の話?」


「大学四年のとき」


「重症すぎるだろ」


 晃は苦笑いを浮かべながら、ふっと私の手元に視線を落とした。


「……そんなに、ネクタイ掴まれても」


「あ、ごめん」


 慌てて手を放すと、晃は軽く咳払いしてから、私をじっと見た。


「じゃあ、今日の式で、彼氏のフリしてほしいって?」


「そう。友達に紹介する流れになってて……頼めるの、晃しかいないの」


「俺、今日たまたま招待されてただけなんだけどな……っていうか、偶然隣の席なのが奇跡すぎるだろ」


「ね。運命感じるよね」


「やめろ、今だけ“運命”とか言うの」


 苦笑しながらも、晃は腕を組み、ちょっとだけ考え込むふりをした。


「……まあ、やってやれなくもない。俺、芝居は得意だし」


「ほんと!?」


「ただし、やるなら全力で行くからな?中途半端な“ごっこ”はしない」


「うん、全力でお願い。私もがんばる」


「付き合って何年って設定にする?」


「2年くらい?」


「出会いは?」


「大学のゼミで」


「よし、リアリティあるな。それで行こう」


 晃がぱんと手を叩いて、私に微笑む。


「じゃあ、今日一日、よろしくな。俺の“彼女”」


「……うん。よろしく、晃」



 披露宴が始まってから、わたしたちの“即席カップル劇”は、予想以上にスムーズだった。


「えーっ!?千紗が彼氏いたなんて、聞いてないよ!」


「ていうか、中原くんと!? ゼミ一緒だったのは知ってたけど!」


「まさか、あのゼミが出会いだったとはね〜」


 テーブルを囲む友人たちが、わいわい騒いでいる。私は愛想笑いを浮かべながら、グラスを手に持った。


 晃は、まるで“本物の彼氏”のように自然に私の隣に座り、時折さりげなく私の皿に料理を取り分けたりしていた。


「お似合いだよね、2人。いつから付き合ってるの?」


「大学4年の夏からです」


 私がそう言うと、晃がすかさず補足するように口を挟んだ。


「俺の一目惚れでした。初めて見たときに、こいつめっちゃ冷たそうだけど好きだって思ったんです」


「ひど」


「でも、実際冷たかったから、何回もフラれて。めげずにアプローチしまくって、ようやくオッケーもらいました」


「うわ〜青春!いいなぁ!いい話!」


 友人たちが盛り上がっている。その間、私はこっそり晃の袖をつまんだ。


「話、盛りすぎ」


「アドリブだから。これが即興芝居の醍醐味だよ」


「……本当にうまいんだから」


 苦笑しながらそう言うと、晃は少し得意げな顔をした。


「俺さ、演劇部のときから“恋人役”得意だったからな。昔、文化祭で主演やったときとか――」


「語らなくていい」



 披露宴も中盤に差しかかり、会場が少し落ち着いた頃。


「飲み物、取りに行かない?」

「うん、行こっか」


 晃と2人でテーブルを抜け出す。ドリンクカウンターに向かうまでのわずかな距離。私たちはずっと“恋人のまま”だった。


「千紗さ」

「なに」

「けっこう笑うんだな」

「え?」

「いや、今日さ、ずっと笑ってるなって思って」


「……演技してるからじゃない?」

「うーん、それだけじゃない気がする」


 晃は氷の入ったグラスをカラカラと揺らしながら、私をちらりと見た。


「こういうの、悪くないなって思って」


「“こういうの”って?」

「恋人のフリして、知らない人に“お似合いだね”とか言われる感じ。変だけど、ちょっと嬉しい」


「……演技にしては、楽しそうだったもんね」


「まあな。でも、あれ全部アドリブだったから。ちょっとでもズレたらすぐバレるじゃん。だから呼吸合わせんのに必死だった」


「……ふふ」


 晃が首をかしげた。


「なに笑ってんの」

「なんか、真面目に演技の話してるの、あんたらしいなって」

「俺、基本的に真面目だからな。変なところだけ」


「知ってる」


 晃が苦笑したあと、グラスの水を一口飲んだ。


「でもさ、さっき千紗が俺の腕つかんだとき、ちょっとドキッとした」

「え、どのとき?」

「乾杯のあと、誰かに“見せて見せて”って言われた瞬間。俺の腕つかんで、“彼氏です”って」


「えっ、うそ、そんな自然だった?めちゃくちゃ必死だったんだけど……」

「めっちゃ自然だった。あれで完全に“付き合ってる感じ”になった」


「……へえ、演技でもそういうのって伝わるんだね」

「いや、むしろ演技だからこそ伝わることもあるよ。感情って、隠すつもりでもちょっと漏れるし」


 晃はそんなことを言って、またグラスを揺らした。


「……もう戻る?」

「もうちょい、ここで休もっか」

「うん」



 披露宴もいよいよクライマックス。新婦の手紙と、新郎の挨拶で、会場には涙と拍手が溢れていた。


 晃と私は、それを静かに眺めていた。


「……なんか、いいな」

「うん。泣きそうになるの、なんか悔しいけど」


「新婦の言葉、刺さったよな。“一緒に笑える人がいることが、私の一番の幸せです”ってやつ」


「……うん、わかる」


 その一言が、なんとなく胸に残っていた。


 わたしも、そんなふうに思える人に、出会ってたら――


 ――いや、今、隣にいるこの人が、その役を演じてるだけだから。


「なあ」


 晃の声が、私の思考を断ち切った。


「もしさ、仮に“ほんとに付き合ってたら”どうなってたと思う?」

「……んー……喧嘩ばっかしてたかも」

「やっぱり?」

「うん。でも、たぶん笑ってる時間も多かった気がする」


「それ、わかるわ」


 晃が笑う。その笑い方が、すこしだけ本気に見えた。



 披露宴が終わり、帰り支度をする列ができていく。

 玄関の外は、もう夕暮れの空だった。


「そろそろ駅……」

「――って、言おうとした?」


「うん。そっちも?」

「うん」


 2人で笑ったあと、ふと沈黙する。

 その間に、遠くでタクシーが走り去る音がした。


「……なんかさ」


「なに?」


「このまま“バイバイ”って言うの、変に現実に戻る感じするな」


「わかる。スパッと解散って感じ、ちょっと味気ないよね」


「今日だけの“恋人ごっこ”だったのに、終わったら、すぐ赤の他人って」


「……」


「俺、もうちょいだけ一緒にいたいなって、ちょっと思ってるんだけど」


「それって、延長戦ってこと?」


「うん。延長戦」


 私は一拍だけ間をあけて、頷いた。


「じゃあ……駅、遠回りして行こっか」


「決まり」


 晃が少しうれしそうに笑って、並んで歩き出す。


 まだ“恋人ごっこ”は終わってる。終わってるはずだった。


 なのに、今日いちばん自然だった時間は、そこからだった気がする。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
結婚式の間だけのはずが、最後の帰り道が1番空気が馴染んでるのが読んでて気持ちが良かったです。 静かに物語が動く話が好きなので書いてくださりありがとうございます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ