9 森の中の小さな孤児院
ギルド長と話したので少し遅くなった。いつもはバイトの後、クエストを受けているのだけれど、今日は止めよう。
そう思っていたのだけれど、魔獣猪の肉を買おうとギルド窓口に行くと、薬草採取の指名クエストがあるようだ。納品は今日じゃなくてもいいみたいなので受けておこうかな。
私は、魔獣猪の肉の塊を10個ぐらい革袋に放り込む。革袋の中には、すりつぶした薬草と酒、塩が入っている。
私はそれを背中に括りつけるとヤポック村の西に向かう。沼地を超えた先に、あまり人に知られていないが、小さな孤児院があるのだ。
孤児院の近くに行くとぼうっと立っていた子供たちがはしゃぎ始めた。
「あ、ステラ、キター!」
「…あのね、今、大きな風の音を聞いていたの」
小さな個人経営の孤児院なためか、子供は3人しかいない。
13歳ぐらいのソフィと8歳ぐらいのレティがお姉さんで、まだ小さな男の子の面倒を見ている。男の子は自分の名前を憶えていなかったので、とりあえずジョンと呼んでいる。
「遊ぼう、遊ぼう」
子供たちは私の手を取って引っ張るけれど、私は肉を運搬中なので急いでいる。
適当にあしらって孤児院の中に入ると、リップルさんが机の前に座って本を読んでいた。
「あら、いらっしゃい」
リップルさんは、年齢不詳の大人な女性だ。
透き通るような白い肌とミルクティ色の髪、アクアブルーの眼をしている。
美しい左右対称の顔立ちは、まるで精巧に作りこまれた人形のように見える。
以前、私が薬草採取クエストの途中で道に迷った時、たまたま近くを散歩していたリップルさんが助けてくれ、この孤児院で休ませてくれた。
私は、落ち着けるこの場所がとても気に入ってしまい、ほぼ毎日お邪魔するようになった。
今では、孤児院では薬草を栽培しているので、私はそれを採取して冒険者ギルドに売りに行き、そのお金でリップルさんに頼まれた生活用品などを買っていくようになった。
そのほか、木の根のエキスや塩漬け肉をここの台所を借りて作ったり、まき集めや森の中の掃除といった細々した仕事をしたりしている。
私は、ここにいる理由はないけど、孤児院の人たちが出て行けとか言わないのをいいことに、募集されていないボランティアとしてここに入り込んで居座っていたのだ。
私はリップルさんに挨拶をすると、大きなオーブンの上のほうにある鉤に持ってきた肉をひっかけた。肉は移動中に塩や薬草の成分がしみ込んでいるし、オーブンの火はリップルさんがいい感じに熾火にしてくれていたので、後はゆっくり焼くだけだ。
少しおしゃべりする。
「DDDとSSSのことで相談があって」
これらのレシピはリップルさんが教えてくれたのだ。私はギルド長の提案を説明し、対応を相談した。
「なるほどね、屋台、いいじゃない、屋台で食べるSSS!まさに、私が求めていたものよ!」
「…それで、レシピ開示というか、付与術士の紹介とかって、どうしましょう」
「あはは、さすが冒険者ギルド、DDDが毒消し、SSSはリジェネ効果があるって気が付いているわね」
「え、そうだったのですか!」
「あ、やっぱり気づいてなかった!それ、あなたのスキルよ。レシピを教えた時、秘伝として祈る手順を入れているでしょ?」
「…私、言っていなかったけど、庶子だから、スキルはなくて…」
「そうね、今から150年ぐらい前に、王家と神殿がそう協定で決めているわね」
リップルさんはにやりと笑った。
「詳しい話を聞きたい?でも、聞いちゃうと、戻れないかも」
「…どこに戻るのですか?」
「王国と神殿に忠誠を誓う、正しい臣民の生活に」
私は意を決して言った。
「…大丈夫です、もともと、私は、そんな者じゃないから」
「そう。
…私、言っていなかったけれど、こう見えて、貴族の奥様として神殿に奉仕する神官の役目をしていたこともあるの。
だけど、今は、異端者という疑いをかけられて、半分追放されてしまったみたいな状態なの。ま、うまいことごまかしたけど、実際は、今の神殿の教義とは違う解釈をしているから、そうね、神殿の幹部たちから見れば私は異端者でしょうね。
それでも、話を聞いてくれる?」
私は頷いた。
「確かに、この国の宗教では、神様が人に守るべきとされた戒めの一つに、『結婚を尊重せよ』というものがあるわ。
ただ、その戒めには続きがあるの。
『血縁ではなく、愛と協調に基づく婚姻は、豊かさの源泉である。その根底にあるのは、他人を信じる無私の精神である』と。
神様が尊重を求めた結婚は、愛と協調に基づくものだった。
実際、昔、結婚は、教会に行って神官の前で『お互いを愛し、協力していい家庭を築く』ことを宣言すれば成立していたの。
そして、愛がなくなったとか、協力ができていないとかがあれば、教会で徹底的に話し合うことが結婚を尊重することだとされていたわ。
ところが、150年ほど前、王家が貴族の結婚を認証する権利を認めるよう神殿に求めたわ。貴族は王家の家臣であるから、家畜を管理する権利が飼い主にあるように、貴族を管理する権利は王にあるという理屈でね。
貴族たちは、政略結婚とか言い出して家と家との結びつきを作り出すために婚姻関係を結ぶことが頻繁にあり、そうやって貴族が結束すれば、王家に匹敵するような力を持つこともあったから、王家はそれを抑制したかったのだと思う。
どんな鼻薬を聞かせたのかはわからないけれど、神殿は王家にその権利があることを認め、両者は婚姻認証に関する協定を締結したの。
すると、各貴族は、領民たちは領主の臣民であるから、家畜を管理する権利が飼い主にあるように、領民を管理する権利は領主にあると、王家と同じ理屈を持ち出して、平民についても領主が婚姻を認証する権利を持っていると言い出したわ。
そうこうするうち、神殿では、スキルは神が人に与えた恩寵であり、正しい結婚から生まれた子供しかスキルがないと解釈されるようになったの。
だから神殿は、認証を受けていないカップルの間に生まれた子供を入信させないし、スキル鑑定も受けさせなくなった。
多分、認証を受けない人が一定数いたから、そういう人たちへの嫌がらせだと思う。
この世界は、スキルで職業や人生が決まるでしょ。
だから、みんな、結婚する際、貴族は王の、平民は領主の認証を受けるようになった。
そうなると、多くの人が、自分たちを管理するために作られた決まりごとに縛られて、庶子をスキルなしと差別するようになったわけ。
でも、親が結婚していようがいまいが、子供には何の関係もないじゃない。
オヤノインガガコニタタリ、って、この世界の神様はそういう概念を持っていないのに!」
「…オヤノ?」
リップルさんは何かよくわからない呪文のようなことを言った。
元神官らしいから、神聖語かもしれない。
「…おお、いけない、口が滑ったようだわ。
とりあえず、物に祈りの効果を付与する力があなたにはあるの。それも、とびっきり強い力よ。
あなたはスキルなしなんかじゃない。素敵な力を持っているわ」
私は、びっくりして、じわじわとうれしい気持ちがわいてくる。本当かしら、…でも、期待して、また自分に失望するのは嫌だ。
それから私たちは、ちょうど焼きあがった塩漬け豚にリジェネの効力を付与し、それを使ってSSSのたれを作るレシピについて話し合い、実験した。
外で遊ぶのに飽きたのか、子供たちが入ってきて、おもしろそうに実験を眺めている。