3 母は病弱設定
母の寝室にパン粥とスープを持っていって、サイドボードに置く。
サイドボードには、赤ん坊の頭ほどもある水晶玉が置いてある。私は水晶玉にそっと布をかけた。
「…あら、もう朝かしら?」
母は、少し体を起こしたが、ベッドに横たわったままだ。
「ごはんよ。まだ早いから、食べた後は寝ていたら」
私が言うと、母はぼんやりと頷いた。
「置いておいて」
「もう、スープが覚めちゃうよ」
「うん、いただくわ」
そういって母はスプーンを手に取って少し口をつけるけれど、やっぱりぼんやりと関係のない話を始める。
「昨夜、占いをしていたの。…やっと、神聖ローシャン王国が滅びそう」
「わ、わわ」
私はあわてて周りを見回した。ローシャンは、アーリア公爵も従える王国である。誰かに聞かれたらどうするのよ。
「徴が見えたわ。私にはわかるの」
誰もいないけれど、でも私はなんとなく声を潜めていった。
「…そんなの、みんな知っているわ」
魔王討伐隊を率いていたのは勇者パーティだ。
構成員は、第一王子、王弟、近衛隊長の令息、魔塔主の息子、聖女だ。
そして勇者パーティの護衛として、国内の主要な貴族の当主や令息により構成される王国軍や、神殿から派遣された神聖騎士たちが同行していた。そして、全滅した。
王には、第一王子しか子がいない。
その第一王子のスペアである王弟まで勇者パーティに入っているあたり、あちゃーって感じなのだが、とにかく神聖ローシャン王国は総力戦を仕掛けた。そして、全滅した。
王はまだ生きているけど、現在の王族には後継者になるような若者はいない。他の貴族も後継者不足だ。
そんな中、残った貴族たちが覇権争いを始めたので、現在、王国は魔獣討伐どころじゃないらしい。
一応、国としての体をなしているけれど、もうすぐ、神聖ローシャン王国は滅びるだろうと思う。
「…そんなの、考えたらわかる、当たり前のことじゃない。占いであてたって、全然すごくないわ」
母は、きょとんとした顔をして、けらけらと笑い出した。
ひとしきり笑った後で、言った。
「そろそろ仕事に行く時間だっけ?髪、やってあげようか?」
「…うん」
16歳にもなって恥ずかしいのだけれど、私は自分の髪を整えるのが下手だ。不器用なのだと思う。
母は、サイドボードの棚を開けると、丸い鏡を出して私に渡した。
ピンクの髪と白い肌、草色の眼をした大人しそうな、そして少し不機嫌そうな少女が見えた。
私だけど、あまり自分の顔のような気がしない。あまり鏡を見るのは好きではないからかな。
母は、私の髪を優しく梳しながら言った。
「ちゃんと手入れしないと、もったいないわ。私と同じ色でしょ。これでも昔は、この髪、すごくほめられたのよ」
「母さんは今もきれいよ」
母は、少し顔色が青白いけれど、ピンク色の髪はつやつやしているし、ほっそりしていて今にも折れそうな風情がある。
父は母を今でも大切にしていて、どんなわがままも聞いている。
「そう?ありがとう」
母は嬉しそうに笑うと、二つに分けた三つ編みを草色のリボンで結んでくれた。
「頭が痛かったのだけれど、ステラと話しているうちに元気が出てきたわ」
「水晶玉を覗き込んで夜更かししているからよ」
母は、ヤポック男爵の家臣で占いをつかさどる家の出身だ。父の従兄妹でもある。
父母は、早くから結婚を誓い合っており、前党首である祖父も認めていたのだが、突然の事故で祖父母が死亡し、父は急いでヤポック領で母と結婚式を挙げた。
ただ、貴族の結婚は、王家の認証が必要だ。
父は式後、急いで王都に行き、王に謁見を申し出てヤポック男爵位の承継と結婚の認証を願った。
ところが、一か月後、王命により、派閥の寄り親であるショルト伯爵の娘との結婚を条件に男爵位を承継することとされたのだ。
父は爵位を受け継がないことも考えたらしいが、その場合、ショルト伯爵が新しい領主を送り込んでくることが容易に想定された上、王命に反したとしてなんらかの報復を受ける可能性もあった。
父はやむなく王命に従った。
とはいえ、私と同い年の弟がいるのだから、『やること』はやっていたのだと思うのだけど。
母は、理不尽な王命を発した王家を恨み、神聖ローシャン王国の滅亡を願い暮らすようになった。
母は、病弱ということになっているが、私は、母が毎日変な占いだの呪いだのばかりしては夜更かししたり、食事をとらなかったり、さらには恨みの気持ちを持ち続けることで精神的に追い詰められたりしているため、体調がすぐれないだけではないかと疑っている。
実際、父が8年前に母と再婚しなければ、母は、心を病むあまり、もうここにはいなかったような気がする。
通いの家政婦さんが来たようだ。
私は母の手を握ると、精いっぱいの祈りを込めて言った。
「じゃあ、仕事に行ってくるね。元気で待っていてね。変な占いばっかりしていてはだめよ」