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音楽は奇跡を起こせるらしい

作者: いろは菓子


 音楽には奇跡を起こせる力があるらしい。

 僕の彼女はその言葉を信じていた。

 奇跡とはなんて曖昧な言葉だろうか。

 世界平和の実現? はたまた日常をほんの少し豊かにするような些細な幸福も彼女の言う奇跡なのだろうか。


 僕はいつも話半分に聞き流すけれど、彼女は笑って話す。


「言霊って知ってる? 歌に願いを込めるんだよ」


 非科学的だなんて言葉はきっと彼女には響かない。


「私の歌であなたを幸せにしてあげる」


 彼女はいつもそう言うけれど、照れ臭くて僕は何も返さない。それが僕らの日常だった。


 月日が流れ、彼女は夢を追う少女から、徐々に、歌手として有名になっていった。メディアへの露出も増え、以前より僕に会いに来てくれる回数も減った。けれど、寂しくはない。僕は彼女の歌をずっと聴いていたから。


 目を閉じていても、歌声がずっと胸に響いている。

 彼女の歌は、僕の中でいつも特別な存在だ。柔らかな低音から始まり、サビで高らかに響く彼女の声。その歌詞は、まるで僕たち二人の物語のようで、聴くたびに胸が熱くなる。

 

 彼女の書いたラブソングは、独特な言い回しに感情の籠った表現。縋るように震える歌声も特徴的で、人気の理由だった。

 そんな彼女は、僕の数少ない誇りだった。


 テレビから歌番組のMCの声が聞こえる。


「今回歌う曲にはどのような思いが込められているのでしょうか?」


「そうですね……私の歌は全て、たった一人の為だけのものであることはご存知だと思います。この曲は、その人と私の出会いについてを歌にしました」


 彼女は、身も凍るほどの寒い冬の日の運命的な出会いを語った。雪化粧に覆われた町の神秘性。それを共有できる同じ感性を持つ人との邂逅。


「皆さん、大切な人がいると思います。家族、友達、そして恋人。出会いが既にどれだけの奇跡の上に成り立っているのか、その関係の尊さを知って貰いたいです」


 涙ぐんでいるのだろうか、声が掠れている。こんな大舞台で泣いてるなんてやっぱり変わっていないんだなと苦笑する。すっかり別世界の人間だと思っていたが僕のよく知っている彼女だ。


「今度こそ、願いが叶うといいですね。最後に事故で目を覚まさない彼氏さんに一言、お願いします」


 数秒の沈黙の後、聞き慣れた彼女の声が聞こえる。


「どれだけ掛かっても必ず奇跡を起こしてみせるから。だから……待ってるよ」


 彼女の歌い始めの柔らかな声が、長い沈黙を破るように僕の意識を揺り起こす。まるで深い海底から水面へと引き上げられるように、僕の意識が徐々に明瞭になっていく。そして、彼女の歌声が次第に鮮明に聞こえ始めた瞬間、閉ざされていた感覚が、一つずつ目覚めていく。


 まず、指先がかすかに動いた。次に、腕全体に力が戻ってくるのを感じる。胸の中で、長い間止まっていた何かが動き出す。


 そして、ゆっくりと、重たい鉛のような瞼が持ち上がっていく。


 まぶしい。七年分の光が一気に押し寄せてくる。目が痛い。でも、閉じたくない。


 ぼやけた視界の中で、色彩が少しずつ形を成していく。白い天井。薄緑のカーテン。そして、テレビの画面に映る彼女の姿。


 僕は息を呑む。喉が乾いていて、声が出ない。でも、確かに生きている。彼女の歌と共に、僕の中の生命が蘇っていく。


 白のベッドの傍らに置かれた花瓶から、淡いピンクのカーネーションの香りが鼻腔をくすぐる。彼女が好きだった花だ。

 質素な病室に設置されたテレビの中で彼女は、まだ歌っている。たった一人でステージに立って、あの手この手で僕を呼び戻そうとしている。


 なんてバカで非科学的なんだろう。

 思わず、笑みが溢れる。歌い終わった彼女も、出し切ったと言うように、輝くような笑顔を浮かべていた。

「奇跡は起きるんだよ」と言いたげなのが、手に取るように分かる。


 テレビ画面に映る彼女の姿を見つめながら、長い眠りの間に積み重なった想いが胸の中で膨らんでいく。彼女の歌声、その願い、そして僕たちの絆。すべてが一つになって、この奇跡を起こしたのだと気づく。

 

 どうやら、僕は考えを改めなければならないらしい。

 音楽には、奇跡を起こせる力があるのかもしれない、と。

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