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歴史・時代

将棋と羊羮

作者: 御田文人

歴史、食べ物というキーワードから、落語の人情噺のようなものを書いてみたいと思いました。

ただ、時代小説や落語は普段読まない人には敷居が高いと思い、極力時代小説文体、落語文体は使わないように書いています。

 利吉(りきち)は博学才穎・・・と、かつては言われていた。

 それなりの由緒ある武家の次男で、一時は周りもたいそう期待したものだが、どこでどう間違えたか放蕩が過ぎ、今では勘当同然の身。

 家を出されて長屋住まいをしているという。


利次(としつぐ)、いるか?」

 身なりのカッチリとした武士が長屋を訪れた。

「利次はよしてくださいよ。もう私は利吉(りきち)です」

 顔こそ同じだが、随分と粗末な着物に身を包んだ男が、寝そべったまま答えた。

「なんだ、昼間っから寝っ転がって。仕事はしていないのか?」

「またまた、よしてくださいよ。仕事してないと分かってるから、こんな時間に訪ねて来たんでしょ。兄上こそお勤めはいいんですか?」

「ついでの立ち寄りだ」

 そう言って兄、利勝(としかつ)は勝手に部屋に上がり込み、どかりと座った。

「何もない部屋だな。食べてはいるのか?」

「そこはご心配なく」

 実際、利吉の顔は痩せてはいない。むしろ少し太ったぐらいで血色の良い顔色をしていた。

 だからこそ猶更、利勝は不安になった。

「働きもせず、食い扶持はどうしてるんだ?」

 まったく、この兄は不器用だ。どうせ今日もわざわざこの辺の用事を自ら買って出て様子を見に来たのだろう。それがありありと分かる。利吉はそんな兄を見ると、ついからかいたくなってしまうのだ。


「これですよ」

 利吉は何かをつまむ仕草をした。

「博打か?」

 利勝は声を荒げた。

「そんなことしませんよ。ありゃ胴元が勝つように出来ているんだ。無駄です。無駄」

 利吉はカラカラと笑った。

「じゃあ、なんだ」

 生真面目な利勝はぶすっとした。

「ごめんなさい。そんなに怒んないでくださいよ」

 利吉は少し反省し、一回謝ってから続けた。

「将棋ですよ。暇を持て余しているご隠居の将棋の相手をするんです。そうすりゃ茶菓子を出してもらえるんでね」

「菓子だけじゃ腹は満たせんだろ」

「それがね。ご隠居の機嫌がいい時は、たまに小遣い銭貰えるんですよ。最初は片手間にやってたんですがね。懇意にしているご隠居が5人いれば食うに困らないという算段が経ちましたので、いまではこれ一本です」

「なんと」

 兄は呆れて言葉が出なかった。しかし、この弟の才覚ならそれぐらいやってしまうかもしれない。

 その頭をもっと他で使えばいいものを。

 しかし、こんなやり取りはもう、幾度となくやっている。今更言ったところでどうにもならないのは明かだ。


 そんなことを兄が考えていると、利吉の腹がぐぅと鳴った。

「さて、そろそろ小腹が空いてきた。今日は煎餅の気分だから、米屋に行くか。あそこは古い米を煎餅にして売ってましてね。これが旨いんだ。それに、ご隠居の機嫌がよければ帰りに握り飯がもらえたりします」

 利吉は立ち上がって背伸びをした。

「それでは、自分はこれで。兄上もお勤め頑張ってください」

「まて利次!」

 兄は今にも駆けだしそうな利吉を呼び止めた

「世話になっているのなら、たまには煎餅ぐらいちゃんと買え」

 そう言って利吉に小遣い銭を握らせた。

「こりゃどうも」

 利吉は悪びれず受け取った。


 二人は幼少期は仲の良い兄弟だった。堅物の兄に奔放な弟と性格は真反対だが、不思議と弟は兄によくなついていた。

 それゆえに利勝は弟が心配でならない。1か月も立たないうちに、近くに用事を見つけて立ち寄った。

「利次、いるか?」

「利次はいません。利吉ならいますよ」

「まったくお前は屁理屈ばかりだ」

 兄はずかずかと上がり込んだ。

「まだ将棋生活は続けているのか?」

「続けてますよ。将棋生活か。なんかカッコいいですね。これからはそう名乗ろうかな将棋生活者って」

「カッコいいことあるものか!」

 兄は憤慨した。

「そう怒らないで下さいよ。兄上も一局やりませんか?」

 利吉はなだめつつ、部屋の隅に置かれている将棋盤を指した。利吉は自分はもう『利次』ではないと言いつつ、利勝のことは変わらず兄上と呼ぶ。

 その矛盾に利勝は気づいていたが、あえて指摘はしないようにしている。


「いや、私は将棋は不得手でな。囲碁なら嗜むのだが」

「囲碁か。じゃあ次までに覚えておきますよ。そうだ。囲碁好きのご隠居を探せばもっといい生活ができそうだ。ありがとうございます兄上」

「おまえというヤツは。。」

 利勝が呆れた所で、利吉の腹がぐぅと鳴った。

「さて、そろそろ小腹が空いてきた。今日は蕎麦の気分だな。材木屋に行きます」

「なんで材木屋で蕎麦なのか?」

「今の時間に行けば2,3局指したところで蕎麦の屋台が通るんですよ。ご隠居蕎麦に目が無くてね。『どうだい休憩して一杯』と誘ってもらえるんです」

「ちゃっかりしてるな」

 利吉は立ち上がって背伸びをした。

「それでは、自分はこれで。兄さんもお勤め頑張ってください」

「まて利次!」

 兄は今にも駆けだしそうな利吉を呼び止めた

「世話になっているなら・・・」

 兄は利吉に小遣いを渡そうとして口ごもった。

「なんですか?小遣い貰っても材木は買いませんよ。どうしても買えと言うなら、お屋敷に送り付けてやる!」

「うむ、それは困る。そうだ!たまには蕎麦代ぐらい、お前が払え」

 そう言って利吉に小遣い銭を握らせた。

「こりゃどうも」

 利吉は悪びれず受け取った。


 利勝は、利吉の様子は逐一両親に報告していた。

 そんな生活をしているのであれば、首に縄を付けてでも連れ戻して欲しかった。ただ、両親は放っておけと言う。それが利勝はもどかしかった。


「利次、いるか?」

「いいかげん覚えてくださいよ。武士の利次は死にました。ここにいるのは町人の利吉です」

「なんでもいい」

 兄はずかずかと上がり込んだ。

「そうだ。囲碁を覚えたんです。一局付き合ってください」

 そういって碁盤と碁石を取り出した。。

「いいだろう。しかしこの道具、かなりの上物じゃないか。どうしたんだ?」

「馴染みのご隠居の一人が貸してくれたんですよ。碁を覚えたいと言ったら大歓迎でした。さすがは兄上」

 二人はパチパチと碁を打ち始めた。


「お前は碁をはじめてどれぐらいになる」

「10日ぐらいですかね」

「さすがに筋が良いな。誰かに習ったのか?」

「ええ。将棋相手のご隠居はだいたいみんな碁も出来ましてね。こっちが初心者と言ったら嫌でも教えてくれるんです。こんなことなら、もっと早くからやっときゃ良かった」

「師匠が沢山いるのか。だからこんなに読みづらいんだな」

 利勝は腕を組んで唸った。

「いけませんか?」

「悪く無い。本来は初心者のうちは師匠は一人に絞らないと混乱するものだがな。多くの師匠の教えを纏め上げる地頭は流石だな」

「ありがとうございます。とはいえ、この勝負は私の負けですね。出直してきます」

 まだ初心者には形勢の判断つきかねる複雑な盤面だったが、利吉はそうそうに敗北を宣言した。

 その判断力に利勝は末恐ろしさを感じた。


「後数ヶ月もしたら、もう私など越えるだろう」

「買いかぶり過ぎです」

「そんなことはない!だいたい私なんかより、よっぽとお前の方が」

「兄上!」

 利吉は珍しく声をあらげて利勝の言を遮った。


 しかし、すぐに、いつもの飄々とした顔に戻った。

「私は腹が減りました。今日は羊羹の気分だから呉服屋に行って来ます」

 利吉は座ったまま両手を上げて背伸びをした。 

「呉服屋って権左衛門殿か?」

「はい。兄上もご存じですよね」

 利吉はさらりと言ったが、権左衛門はなかなかの人物である。両親が懇意にしているので屋敷にも定期的に訪れ、それで利勝も良く知っている。利勝が言うのも何だが堅物で、そしてケチで有名だった。気に入らない客には茶も出さないという。

 それが、こんなタカリに来ている者に羊羹を出すとは。利勝はそれが想像できなかった。

「ああ。よく知っている。権左衛門殿が羊羮を出すのか?」

「はい。とびきり旨いヤツです。あれはきっと村井屋の上級品ですね。いけない、想像したら。よだれが出てきた。では行ってまいります」

「待て、利次」

 利勝は去ろうとする利吉を引き留めた。

「呉服屋に通う格好でもなかろう。これで適当に見立ててもらえ」

 そう言って懐から金子を取り出す。

「ありがとうございます」

 利吉は声だけでお礼を言う。


「でも大丈夫です。そいつは間に合ってますので」

「何?どういうことだ?」

「いや、近いうちに分かります。それじゃ」

 利吉はそれだけ言うと駆け去って行った。


 しばらくしたある日のこと。利勝が屋敷で休んでいると父から呼び出された。

 来客があり、お前にも関係するかもしれない話だから顔を出せとのこと。

 急ぎ言われた部屋に伺うと、なんと、そこにいたのは、かの呉服屋権左衛門だった。


「さて、利勝も参りましたところで、お話とはなんでしょう?」

 父、利明(としあき)が言った。

「はい。利次様に関してでございます」

「あれが何かいたしましたか?お世話になっているとは利勝より聞いておりましたが」

「いえ、こちらこそ、たいへんお世話になっております。そこで一つ伺いたいことがありまして、大変無礼なこととは承知なのですが・・・」

「かまいません」

「ありがとうございます。そのぉ、利次様は勘当の身というのは本当のことでございましょうか?」

 利勝の顔に緊張が走った。この話題は父が好まぬことと知っていたからだ。


「本人がそう言いましたか?」

「はい」

「そうですか・・・」

 意外にも父は冷静だった。


「あれは勝手に出て行ったのですよ」

 父はふぅと溜息をついた。

 利勝は父の機嫌が図りかねていた。いや、父自身も整理がついていないのかもしれない。ただ、ただ、どうしたものかという顔をしていた。


「やはり。。と言うことは、今は何らかの修行中で、ゆくゆくはお家に戻るということでしょうか?」

「それはありません」

 父が即答したのが利勝は意外だった。

「恥を忍んで全てお話しますが」 

 父は覚悟を決めたように言った。


「今でこそああですが、あれは出来る子でした。学問も優秀。奔放で人当たりも良く、誰からも好かれておりました」

「はい。目に浮かぶようでございます」

「それゆえ、一部の者が噂するようになりました。当家はこの利勝ではなく、利次が継ぐのではないかと。利勝はこの通り真面目、不器用、無骨ですから、人気では利次にかないません」

 権左衛門は相槌を打てなかった。

 利勝は口を真一文字に結び、手を膝の上でぎゅっと握りしめている。


 父、利明は大きくため息をついて言った。

「まったく、馬鹿げた話です。武家の主は奔放では務まりません。真面目、実直の利勝より他に適任はおりませんよ」

 利勝は、はっと息を飲んだ。

 今までも直接父から同様のことを言われたことはある。ただ、それは出て行った弟より劣る兄に対しての、良くて激励、悪くて慰めと受け取っていた。


「利次は、なまじ利発ゆえ、そのことが分かっていたのでしょう。自分は武家の主の器ではないと。そして同時に周りはそうは見ないことも」

「なんとも不憫な」

「だから自分がいては当家の為にならぬ、それ以上に兄に迷惑がかかると出て行ったのです。なにより兄が大好きな子でしたから。元々は堅実な兄に柔軟な弟が補佐するというのが、私の願いでしたが諦めました。無理に引き戻したところで、利勝も利次にも辛い思いをさせてしまう。だから放っておくことに決めたのです」

 利明の言葉は武家の主ではなく、父親のそれになっていた。

 利勝の握った拳は、かすかに震え始めた。


「なるほど、なるほど。まずは驚きましたが、聞けば聞くほど利次様らしいですね。なんともはや」

 権左衛門は頭を下げたまま、恭しく言った。

「利次らしいとは、どういうことでしょう?」

 利勝が尋ねた。いや、本当は涙声で何を言っているのか分からなかったが、そういう意図のことを聞いているらしいと周りが解釈した。

 なにせ、利吉は将棋を指して菓子をタカっているだけである。権左衛門が利吉のどこをそんなに買っているのかが分からなかったのだ。


「将棋の指し手を見れば分かりますよ」

「将棋ですか?」

「はい。利吉さん、いや利次様と指すと」

「利吉で結構ですよ。いや、利吉と呼んでやってください」

 利明が言った。

「ありがとうございます。利吉さんと指すと7割がた私が勝つんです。しかし3割は負ける。それも、闇雲に3割じゃあない。私が自分で気づいてない悪手を指した時に必ず負けるんです」

「ほほう」

「この間なんかは、一手悪手を指した後に17手詰めで鮮やかに負けましたよ。あれは負けたにも関わらず痛快でした」

 権左衛門は愉快に目尻を下げた。

「そして、何局か指したら、必ず同じ局面になるんです。必ずですよ。もちろん、今度は私も悪手は指しません。そうすると勝たせて貰えます。そんなことを繰り返してるもんですから、私もめきめきと腕を上げましてね。もう利吉さん以外では相手になりません」

 そこまで話してから、権左衛門は背筋を正して改まって言った。


「利吉様は自身が溢れる才を持ちながら、他人を立てることの出来るお人です。先程、武家の主には向かぬとおっしゃられましたが、商いでは部類の強みです。利吉様を是非、当家の跡取りとして、一人娘の婿に迎えさせてはいただけないでしょうか」

 権左衛門は平伏した。


「・・・当人同士はどうなのでしょう?」

 しばらく呆然とした利明は、やっとのことで口を開いた。

「親が見て気恥ずかしくなるほどに、仲睦まじく」

「そうですか」

 利明は一息ついた。

 利勝は涙を溜めた眼で父の返答を、今か今かと待ちわびている。

 武骨で朴念仁と言われる彼だが、弟の気持ちだけは分かりすぎるほど分かる。兄の為、家の為に身を引くことを、あいつは屁とも思っていない。有り余る才を兄の為に平気でどぶに捨てる男なのだ。

 しかし、それではいけない。あれほどの男が日の目を見ないなんてことがあってはいけない。それは兄である自分が一番よく分かっている。

 兄も日々身を切られる思いをしてきたのだ。

 

 そんな兄を一瞥して父は口を開いた。 

「願ってもないことです。それだけ才を買っていただけるのは親として、こんなに嬉しいことはありません。息子を是非、よろしくお願いいたします」

「弟を!よろしくお願い致します!」

 父の言に間髪を入れず兄が続けた。

 やはり半分は嗚咽で言葉になっていなかった。


 そんな兄を、しょうがないヤツだという眼で見ながら、利明は権左衛門に言った。


「是非、利吉に伝えていただけませんか。ここにも暇を持て余している隠居がいる為、たまにでよいから将棋を指しに来い。お前の好物の村井屋の羊羮を用意して待ってるからと」

深読みしても山月記要素はありません。。

冒頭一行と登場人物の名前だけのオマージュです。

悪しからず。。


同じく秋の歴史2023参加作品「祝いの菓子」が後日談になります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 器用で要領のいい、どうにも憎めない利吉と、真面目一本で不器用そうな利勝とのやり取りがコミカルで楽しく、また、兄弟それぞれの人柄がとても魅力的でした。 物語を通じて、あたたかな人情が感じら…
[良い点] 冒頭から利吉の軽口が小木見よく続き、話に引き込まれました。隠居と将棋だけして食っているという設定も面白いですね。 ラストは利吉が収まるところに収まって、読んでいて気持ちが良かったです。 […
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