第六話 ストーカーの家に行ってみた
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
全力疾走で美少女が駆け抜けていく。
目は血走り、陸上選手顔負けの大きなストライドで住宅街を爆走している。
その光景は異質で、はた目から見ると恐怖すら覚える。
「颯太くんに見られた、知られた、バレちゃったああああああ」
私は先ほどの失態を思い返しながら絶叫する。
走る美少女改め、発狂美少女は自宅に向かって一目散に走る。
「はあ、はあ、はあ」
引っ越したばかりの自宅マンションの階段を駆け上がって、自宅のドアを強引に開けて中に飛び込んで、そのままへたりと座り込む。いや、倒れ込む。
「うがああああああああああ」
魔物が苦しむかのような低い声で絶叫すると、先ほどの光景がフラッシュバックする。
颯太くんの直筆の手紙にテンションの上がった私は、あろうことか頬ずりを開始して、それを颯太くんに見られた。
あっけにとられた颯太くんの表情を思い返すと、羞恥と後悔が一気に私を包む。
「わ、わわわたし勢いで名前呼んでなか⋯⋯った?」
学校でも家でも『春日井君』呼び。
でも心の中では『颯太くん』と呼んで一人でにやにやするという、危ない乙女心が漏れ出してしまっていたことを自覚し、また悶絶する。
「もう無理、学校行けない」
これからどんな顔で彼に向き合えば良いのだろう。
確実に気持ち悪い女認定をされた。
もしくは変質者として訴えられるかもしれない。
「ううぅ」
そんなことを悶々と考えていると、目の奥が熱くなる。
やばい、泣きそう。
ピンポーン
突然インターホンが鳴った。
「ひいいいいっ」
突然の来訪者に声が漏れ出る。
インターホンは一階のオートロックのものだ。
恐る恐るカメラの映像を見てみると、颯太くんが立っていた。
「はう、はわ、どっどうして、なんでっ」
私が焦りで意識を消失する寸前のところまで追い詰められていると、カメラの向こうで颯太くんが何か言っている。
通話ボタンを押していないので、声は聞こえないけど、カメラ越しにタッパーの入ったエコバックを掲げている。
わざわざ届けてくれた?いや、そんなことは良い。
こんな状態に颯太くんに会うことなんてできないし、会話なんてもってのほかだ。
「帰って、お願い帰って……」
そう祈りを捧げながら居留守を決め込む。
その時、カメラの奥からマンションの住人が入って来る姿が見えた。
颯太くんは住人に声をかけ、簡単に言葉を交わしたと思えば、あろうことか一緒に中に入ってきてしまう。
「えっうそでしょ、来るの?無理無理無理⋯⋯どうしてっ」
そんなことを言っている間に、階段を上がる足音が刻一刻と迫ってくる。
私はとっさにドアの鍵を閉めて、ドアノブにがっちりと手をかけて万が一の侵入も許さぬように、全力でドアを内側に引っ張る。
ピンポーン
「ひぎいいいいいい」
断末魔とも言えるような声が出た。
「⋯⋯っいたのか⋯⋯タッパー置きっぱなしだったから持ってきた。それだけ」
ドアの外から、ぶっきらぼうに彼は言う。
「なっ何をしてるんですか!ふっ不法侵入ですよ!それよりも、なんで私の家を知っているんですか!」
とっさに出た言葉としては最悪なチョイスだろう。
素直になれない私は、悪態をついてしまう。
「家を出る時に念のためって香澄さんが教えてくれたんだよ。同意なく上がってきてしまったことは謝る」
実母の顔を浮かべて、余計なことをしてくれたと、今度は無関係な母に悪態をついてしまう。
「もういいですから⋯⋯持ってきてくれたことは、ありがとう⋯⋯ございます。ドアノブにかけておいてください」
言葉を絞り出し、何とか言葉を紡ぐ。
ドアの向こう側に颯太くんがいると考えるだけで、緊張と喜びと先ほどの失態を思い出した羞恥が入り混じって、意識を保つのに精一杯だった。
「わかったよ。ご飯ありがとな、本当に美味しかった」
そう言って、颯太くんがドアノブにエコバックをかける音がかすかに聞こえる。
行かないで。
そんな言葉が出そうになってはっと口を塞ぐ。
颯太くんが行ってしまう、きっともう関わることができなくなってしまう。
考えるだけで目尻に涙が溜まり、それは頬を伝って流れ落ちる。
私の初恋は半年間のストーカー生活と、半年間の同居人生活、そして最後は気持ちの悪い元義妹として終わる。
「嫌われてなかったんだな」
幻聴だろうか。
「よかったよ。安心した」
混乱した頭に立ち去る足音と共にかすかに聞こえた言葉は、今までと違って安堵した優しい声色だった。
違うよ、嫌ってなんかいない、むしろこうやってお話できるのを何度夢見たか。
そう声を大にして彼に伝えたい、でも自分の作った壁を壊せない。
私はこんな場面でもあと一歩を踏み出すことができない。
弱い自分に絶望しながら、ドアに体を預け続ける。
「あっそうだ」
少し離れた位置から、少し大きめの声で彼が呟く。
「気が向いたらまたご飯作ってくれよ!やっぱり古賀の飯はうまい」
刹那、私は衝動的にドアを開け放っていた。
階段の手前で少し驚いた顔の颯太くんがこちらを見ている。
きっと私はひどい顔をしているのだろう。涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
でも、そんなことお構いなしに言葉が漏れ出る。
「嫌い⋯⋯なんかじゃない」
「おっおう、なら良かった」
若干引き攣った笑みで短く返した彼も、突然の出来事に困惑しているのだろう。
呼吸は荒く、心臓ははち切れんばかりに脈を打つ。
そして颯太くんと目が合った瞬間、壁の内側から想いが漏れ出た。
「嫌い⋯⋯じゃない、嫌い⋯⋯じゃなくて⋯⋯大好き!」
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