第五話 私がストーカーになった理由
私が高校に入学する少し前の出来事だった。
今日も誰もいない部屋で天井を眺める。
毎日一人で過ごしていると、時間が永遠のように長く感じる。
一人での生活は中学に上がってすぐのことだったので、もう三年になるかな。
お母さんはカメラマンとして働いていて、全国を飛び回っているから、なかなか家に帰ってくることも無い。
そして父親はいない。
いや、いないことにしている。
私の本当の父親は、知らない女性とははを置いてどこかに行ってしまった。
それから男性は汚いもの。と決めつけて嫌悪感が拭えなかったし、中学生になって周りの男子の目が強くなったことも実感していたから、その気持ちはより強くなっていった。
私は一人で良い。お母さんみたいに手に職を持って、一人で生きられるように今から頑張るんだ。
そんな前向き?な決意を固め、高校進学前の春休みを過ごしていたある日の午後。
食材の買い出しに商店街を訪れた際に、目の前にせっせとビラ配りをする少年の姿が見える。
なんだろう?と一枚受け取って見てみると。
『里親募集。かわいい子犬です』
少年の書いた下手くそな犬の絵がプリントされた用紙を眺める。
「偽善者ね」
そんな擦れた呟きを漏らしてしまう。
でもなぜかそのビラを捨てるに至らず、自宅まで持ち帰った。
少年は次の日も、その次の日も、雨が降っても毎日同じ時間に路上に立ち続けていた。
毎日お昼に1時間程、まだ肌寒い外気に身を晒して、せっせと手作りのビラを配り続ける。
そんな偽善者さんが気になって、私は遠目からその姿を見守ってしまっていた。
そんな日が数日続いたある日。
突然、彼は路上からいなくなった。
貰い手が見つかったのかな?それとも諦めてしまったのかな?
いずれにせよ、軽い喪失感を感じながら、受け取ったビラをもう一度見る。
「春日井⋯⋯颯太くんか」
高校の入学式。
同じ中学校出身の生徒も何人かいたけど、私に話しかけてくるものはいない。
一人には慣れているし、人と群れたいとも思わない。
そんな冷め切った気持ちで入学式に参加していると、見覚えのある男の子がいた。
眠そうな目を擦りながら壇上を見つめている男子生徒は、ビラの彼だった。
嫌悪感の対象であるはずの男性。
でも私は彼から目を離すことができなかった。
ここ最近ずっと目で追っていた彼が目の前にいる。
嫌い。なのに目が離せない。
そんな矛盾した感情に支配されていると、長いと感じていた式もいつの間にか終わりを告げていた。
クラスごとに教室に移動する。
私と彼は違うクラスだった。
周りでクラスメイトが親交を深める中で、私は心の中で彼の姿を浮かべていた。
「同じクラスが良かったな」
そんな呟きが声に漏れてしまったことに驚いて、はっと口を塞ぐ。
入学してから彼を目で追う機会が増えた。
彼には仲の良い女友達がいるらしい。
見た目は幼いが、可愛らしい顔にアンマッチな女性的な体つき。
そしてやけに距離が近い。
彼を目で追う度にいつも隣にいる彼女。
モヤモヤとした気持ちを抑えられずに、いますぐ飛び出して声を掛けたかった。
でもその一歩が踏み出せない。
『男性は怖い』その思いから周りに分厚い壁を作っていた私は、自分自身でその壁を壊せなくなっていた。
「あの二人って付き合ってるのかな?」
そんな声が周囲から聞こえてくると、胸の鼓動は痛みに変わる。
そんな自分が嫌になったが、自業自得かと自分に言い聞かせて、今日も彼を目で追っていた。
高校一年生の夏。
再婚を考えていると母に告げられた。
私は母が幸せであるなら止めなかったけど、同時に同い年の兄ができると聞いて気持ちは沈んだ。
男性が全員汚い存在ではないことは気付いていた。でも体が拒絶してしまう。
高校入学から半年経っても、私は自分で作った壁の中で外の世界を眺め続けている。
できるのは彼を目で追うだけ。
再婚の話を告げられてから数日経ったある日、再婚相手の男性と義兄になる男の子がやってきた。
私は一目見た瞬間、胸の高鳴りに呼吸すらもおぼつかなくなる。
彼も同級生の登場に驚いていた様子だったが、私はパニック状態だった。
彼は気を遣って声をかけてくれたようだけど、何を言っているか私の耳には届かない。
彼は返事の無い私に曇った顔をして、声をかけることをやめた。
仕方ないでしょ、半年も目で追い続けた彼が目の前にいるんだから。
それも義兄として。
私は目を合わせることもできず、俯いた顔を上げることもできなかった。
彼との生活が始まった。
両親は共に仕事が忙しいことは理解していたけど、新婚さんだというのにほとんど家に帰ってくることも無い。
家族団欒の場は片手で収まる程度しか記憶が無いし、一人で過ごすことの多かった私の環境に、ほとんど変化は無かった。
変わったことと言えば、一人では無く同居人として義兄が増えたことだろう。
遠目で見ていた彼はいつも楽しそうに笑っていたし、周りの人々も彼といると楽しそうだった。
私も彼のようになりたいと思って、同性の友達を作る努力をした。
心が荒んでいた中学生時代にはいなかった、友人と呼べる人も何人かできた。
彼は私に変わるきっかけをくれたのだ。
感謝を伝えて、学校にいるときのように私にも笑いかけて欲しい。
でも家にいる彼は楽しそうでは無かった。
「ははっ」
自虐めいた笑いが私の口から出たのは、原因は私にあるとわかっているから。
彼と一緒に暮らしていても、自分の作った分厚い壁を破ることは、もう無理だった。
せめて彼に何かしてあげたい。
そう思って家事は完璧にこなした。料理に掃除、洗濯も完璧にこなした。
彼は少々自堕落なところがあったが、それも可愛らしいと思える。
彼が1人で夕食を食べているところをたまにドアの影から見ていたこともある。
ストーカーかよ!と内心一人でツッコミを入れながらもその姿を見続ける。
黙々と、夕食は残さず食べてくれた。
たまにいたずらで、遥斗さんから聞いた彼の嫌いな食べ物を混ぜてみたけど、それでも彼は残さず食べてくれた。
嫌そうな顔をしながらも、完食する姿に頬が熱くなる。
そして、彼は私に何もしてこなかった。
男性と同居をすると聞いて、何か間違いがあってもおかしくはないと思う。
でも彼は私との間に一線を引いていた。
それが拒絶であったとしても、私はこんな男性もいるんだなって、一方的な信頼感を彼に持った。
初めて男性を信じることができた。
今日も彼に声をかけることができない。
私は目で追うことしかできないから。
そんな日が半年続いたある日、両親から離婚すると告げられた。
二人が決めたことだし、そこまで落胆はしなかったけど。
家族らしいこともほとんど無かったしね。
でも一つだけ、彼との生活が終わると思うとじんわりと涙が浮かびそうになるのを必死に堪えて。
「⋯⋯ああ、そういうことだったんだ」
私は恋をしているのだと気付いてしまった。
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