第二十七話 信頼って何?
颯太くんのことを信頼している。
颯太くんは一緒にいてくれる。
でも何で不安に思ってしまうのだろうか。
ああ、そうか。
小さな頃から颯太くんと一緒にいた幼馴染でも無い。
思い出を共有した、特別な先輩でも無い。
私って関係性の浅い、最近仲良くなっただけの他人なんだ。
じゃあ私が特別になるにはどうしたら良いの?
教えてよ、颯太くん。
二人で出掛けた後、いつものように食事の準備を帰宅して行う。
少し違うのは、一緒に台所に並んでいるということだろう。
二人の間に会話は無い、たまに料理の指示を受ける時に言葉を交わす程度。
今まではそれでも心地よかったのに、今日はどこか寂し気な空気感が漂っている。
「サラダ、これで良いか?」
「はい、ありがとうございます」
何か言いたげな表情を浮かべているが、何度聞いても答えてはくれないので、桜が口を開くのをただひたすら待つ。
「出来上がったので、食べましょうか」
「ああ」
食卓には焼き魚と副菜に味噌汁、俺の手伝ったサラダが立ち並ぶ。
「ごめんなさい、お魚少し焦がしちゃいました」
「いや、気にならないよ。いつもありがとう」
そうして、言葉少なに食事を進めるけど、静かな空間に箸と食器が当たる音が響き渡る。
「颯太くん」
「どうした?」
沈黙を破ったのは桜の小さな声だった。
「今日はこのまま泊まって行っても良いですか?」
「どうしたんだ?」
驚きもあるが、それ以上に桜が寂しそうな声を上げているのが印象的で、思わず平坦な声で返してしまった。
「今日はこのまま一緒にいたいんです。我儘は言わないって約束したけど、でも……」
何か必死に伝えようとしているのが伝わるが、桜の口からその後言葉が出てくることは無い。
普通なら断る場面だけど、今日の桜は様子がおかしかったので、放っておくことができなかった。
「ちゃんと香澄さんには言うんだぞ?俺も父さんに言っておくから」
「わかりました。前は普通に一緒に暮らしていただなんて、何だか信じられませんね」
「そうだな。まあ一緒に暮らしてたと言って良いのかは微妙だけど」
「それでも、私にとっては颯太くんとの大切な思い出ですから」
そう言って食べ終えた食器を台所まで片付ける。
「えっと、風呂沸かしてくるから」
「ありがとうございます。一緒に入りますか?」
「絶対に入らん」
「颯太くんはケチですね」
「いや、桜の冗談はお見通しだから」
「冗談じゃないんだけどな」
小さく呟く声が聞こえたが、雑念を振り払って浴室に向かう。
風呂に入る時は鍵をかけておこう。
「本当にどうしたんだろうな」
いつも見せてくれる素直な笑顔が恋しくて、漏れ出た呟きが浴室に反響する。
待つのは俺の悪い癖だ。桜が悩んでいるならこちらからしっかりと話を聞きたい。
今の俺たちは昔のように話せない関係性では無いのだから。
「桜、少しだけ良いか」
「どうしましたか?」
コテンと首をかしげてこちらを見る。
「やっぱり何か悩んでいるなら言って欲しい。本当に支えたいって思っているから」
「別に何も悩んでないですよ。これは私の問題なので」
「俺には話せないことか?」
「……はい」
「……そうか」
寂しさと悔しさが一挙に押し寄せる。
桜が悩んでいるのに力になれない。
話してもくれない。関係性が深まったと認識していたのは思い過ごしだったのかと、悲しさすら感じる。
「あの……そんな顔をしないでください」
「いや、ごめんな。辛かったらいつでも話してくれ、どんなことでも力になるから」
「……ありがとうございます」
「じゃあもう遅いし寝るか。桜が使っていた部屋に布団を引いたから」
そう言ってお互い言葉も交わさず部屋に入る。
「おやすみなさい」と声が聞こえた気がしたが、その後に声が続くことは無かった。
「ん?」
夜中に物音がした気がして、目が覚めた。
霞む目をこすって、音のした方に目を向ける。
「こっちを見ないでください!」
大きな声が聞こえたかと思うと、そこには桜がいた。
「なっなにをしているんだ?」
激しい動揺に思わず声が上擦った。
瞬時に心臓が高鳴り、全身の血液が勢い良く流れ出すのがわかる。
だがそれは、俺の部屋に桜がいたということで動揺しているのではない。
桜は何故か下着姿でドアの前に立っていて、それがここまで俺の動揺を誘った要因だった。
レースをあしらった上下黒色の下着は、少女では無く桜の女性的な側面を印象付ける。
そしてカーテンの隙間から差し込む月光を、シミ一つ無い透き通るような地肌が反射し、生々しい肉感を伝えてくる。
状況を飲み込むことができずに、ただ不覚にも見惚れてしまっていた。
「……颯太くん」
俺の名前を呼びながら一歩ずつ近づく。
距離が近くなるほどに、普段は服の上に隠れていた肢体が露わになり、女性的な起伏がありありと見て取れた。
「おっお前、何してるんだよ」
俺が目を逸らすと、ベッドの上に桜が足をかけたのか、フレームが軋む音がする。
そして、後ろから伸びてきた手は俺を包み込んだ。
後頭部に当たる柔らかな感触に、背筋が伸びる。
「颯太くん……私を颯太くんの特別にしてください」
そう呟く桜の顔は実に悲しげで、俺に懇願するような目を向けていた。
「何……しているんだ」
「わからないですか?女の子がここまでしているのに」
「だからだよ。無理してるだろ」
「無理なんてしていません!」
桜はそう勢い良く言い放つと、俺の前に回り込む。
艶やかな肢体が視界を埋め尽くす。
「本心です。何でも相談してって言いましたよね。私のお願いはただ一つだけ……颯太くんの隣にいても良いという確信が欲しいんです。他の誰にも負けない確かなものが」
「俺の言葉は信じてもらえないか?」
「違うんです。先ほども言いましたよね?私の問題なんです。だから……」
そう言って再び俺に回そうとする手を、俺は払った。
「えっ……」
「自分が何をしているかちゃんと理解してる?」
「……しています」
「そうか……俺の言葉が伝わらなかったのは俺の責任だ。申し訳無い」
「違うんです!謝らないでください」
「でも俺は特別だと思っているよ、桜は誰よりも特別な女の子だ」
このまま好きだと伝えたら安心してもらえるのだろうか。
そんな考えもよぎったが、なし崩し的な状況で想いを伝えることに対して、強い抵抗があった。
「でも、怖いんです。颯太くんのことは誰より誠実な人だと思っています。でも、お父さんは結婚という確かなものがあっても結局私たちを裏切ってしまった。だから……」
「それなら、これで桜は安心できるのか?」
少し冷たい物言いになってしまったのは、俺との関係を繋ぎとめる手段として彼女が選んだのが体を介した関係性ということに、少しばかりの寂しさを感じたからだろう。
「わかりませんよ!私にもわからないんです!」
「こんなの、後で絶対に桜が後悔する……だから俺は桜に触れることはしない」
目を見て続ける。
「俺を心から信頼してもらえるように頑張りたいんだ。形だけの信用は望んでいない」
「私だって……颯太くんとそんな関係になりたいです!でも、いつも考えちゃうんです。颯太くんも結局どこかに行っちゃうんじゃないか。他の女性が颯太くんをどこかに連れて行ってしまうんじゃないかって」
うっすらと浮かんだ涙が、流れる。
「そんなことは無いよと言っても、安心できないんだよな?」
「……」
ただ何も言えぬまま思考を巡らせる。
「ごめんなさい、迷惑をかけて。少し冷静になります」
桜はそう言って立ち上がる。
ドアに向けて歩き出す背中になんて声をかけて良いかわからないまま、桜の背中を見送ることしかできない。
取り残された俺は呆然と天井を眺めて、彼女の抱える過去と不安をどうしたら払拭できるのかと考えるも、答えが出ることは無かった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
少しばかり暗い展開が続きますが、続きも読んでいただけると嬉しいです。
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