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第十一話 二人の距離がゼロになった日

 トントントントン


 一定のリズムで小気味いい包丁の音が響く。


 俺はリビングのソファに腰かけてスマホをいじりつつ、後ろで料理をする美少女に嫌でも思考をかき乱されていた。


 何度か料理をしている姿を目にしたことはあるが、まじまじと見たことは無かったので、これは破壊力が強い。


 長い黒髪を束ねてポニーテールにし、無地の薄ピンクのエプロンに身を包んだ姿はさながら若妻の様相だ。


 ポニーテールが揺れるたびに見えるうなじに、より一層胸が高鳴る。


 今まで同じ空間にいたはずなのに、なんだか新婚夫婦のようなむずがゆさを感じ、歯痒い思いを加速させた。


 桜も同じく気まずいのかたまに見える横顔は、頬が赤く染まっている。



「角煮だけじゃなかったのか?」



「はひっ」



 気まずさに耐えかねて声をかけると、上ずった声が返ってきた。



「えっと、付け合わせに、簡単なサラダを作ってました」


「そうか」



 いやそんな照れることでも無いだろうに頬を上気させて返してくる古賀はただただ可愛らしかった。


 いや待てここで気を緩めてはいけない。


 俺の周囲を嗅ぎまわって何がしたかったのかを突き止めるのが今日の目的だ。


 ここで籠絡されてしまっては正常な思考ができなくなる。


 決壊寸前の理性を自分の言葉で押し留めているわけでは無い。うん、絶対。



「あの、ご飯できました」



「おっおう」



 いろいろと考えを巡らせて挙動不審になってしまったが、ほどなくして夕食ができたということで振り返る。


 角煮に簡単なサラダ、ご飯に味噌汁。それにほうれん草の胡麻和えも副菜として置かれており、見た目からも食欲を搔き立てる。


「じゃあ、いただきます」



「いただきます」



 まずは豚の角煮を口に運ぶと、少し甘めに味付けされた角煮は脂身までしっかりと味が染みており、これが圧力鍋の力か?とも考えたが全く料理をしない俺にはわからない。



「ありがとう、おいしいよ」



「そう⋯⋯ですか」



 こちらを見て微笑を浮かべ、照れたように返して来る。


 やっぱり綺麗だな。


 そんな感想を頭に浮かべていると、微笑と共に下がった目に涙が溜まる。



「どっどうしたんだ!?」



 慌てて手近にあるティッシュを手に取り渡すと、目に押し当てて笑う。



「なんで春日井君と今更ご飯を食べているんだろう。って考えたらなんだか複雑で」



「ごめんな」



 古賀との距離には俺にも責任を感じていたし、謝罪の言葉が漏れた。



「違う、嬉しいの!本当は一緒に住んでいるときも一緒に食べたいと何度も思ったけど、いまさらそれが叶って夢みたいで⋯⋯嬉しくて」



 そう言って笑顔を浮かべる古賀さんは普段のクールなイメージとはかけ離れた、かわいい少女だった。



「前も言ったけど、俺嫌われてると思ってたからさ」



「だからそんなことっ……お願いだからそれ以上は何も言わないでください」



 下を向いて黙ってしまう。


 それっきりお互い無言で箸を進めた。


 無音の空間に響く食器と箸の当たる音がやけに大きく聞こえて、咀嚼音なども聞こえてないかなと思いながらも、黙々と食べ進める。


 その沈黙は食事が終わるまで続いた。



「ごちそうさまでした」


「⋯⋯はい」



 何かを言いたげにしていることは気付いていたが、自分から聞くことはしなかった。


 人には立ち入ってはいけない領域がある。古賀さんが言いたいことはわからないが、自分から口を開くまで待つと決めていた。


 そうして沈黙が続き、そろそろ夜も更けてきた時だった。



「じゃあ帰ります」



 そう言って玄関に向かって歩き出す。


 さすがに夜も更けてきた中で女の子を一人で返すわけにもいかないので、送るよと声をかけて追いかけると、小さな声でありがとうございます、と返ってきた。


 外に出ると春の夜風はまだ冷たく、肌に突き刺さるような寒さに、パーカーだけ羽織って出たことを少し後悔した。



「寒いな」


「そうですね」



 続く沈黙に耐えかねて声をかけたが、帰ってくるのはそっけない返事。


 ただ、意外にも沈黙を破ったのは古賀の方からだった。



「少し、話を聞いてもらえますか?」


「いいよ」



 そう返すと、軽く深呼吸をしてから話し出す。



「私の本当のお父さんは浮気して小学校6年生の時に突然いなくなったんです」



 辛そうに、唇の端を震わせながら続ける。



「お母さんは当時から家にいないことが多かったから、私はお留守番をすることが多くて、良い子にしてたんですよ」



 相づちを打つことも無くただ彼女の話を聞く。



「お父さんはいつもお休みの日に私を外に連れて行ってくれました。でも小学校5年生に上がったくらいからですね、お父さんはお休みの日に外出をすることが多くなったんです。私は外で友達と遊んだりして、寂しいけれども頑張ってたんですよ」



 次の一言を絞り出そうとして、耐えきれず言葉に嗚咽が混ざる。



「でも⋯⋯ある日、家に帰ったらお父さんは知らない女の人と両親の寝室で寝ていました。その時に自分の娘になんて言ったと思います?」



 何も言えずにいると、涙を流しながら嘲るように言う。



「『お母さんには絶対に言うんじゃないぞ』ですって。謝るわけでも無く、申し訳なさそうに黙るわけでも無く、第一声がそれってびっくりしますよね」



 そう言って無理やり笑みを浮かべながら涙を流し、初めてこちらに向き直る。



「それからなんです。男性が嫌いとかではなく、怖いんです。自分の欲望のためなら、大切なものを平気で裏切れるし、追い詰められたら自分の娘を共犯に仕立て上げるんですから」



 何か声をかけたい。そんな人ばかりじゃないと安い言葉でもかけてあげるべきだろうか。


 そう思って口を開きかけた時。



「でもっ!」



 急に語気を強めて話し出す。



「春日井君のことは嫌いになれなかったんです」



 そこのことを語る古賀の顔は、今度は悲しみに満ちているものでは無くて、少し懐かしさと照れ隠しをするようなかわいらしさの混じる笑みだった。


 なぜ俺だったんだ?という言葉は飲み込んで、別の疑問が漏れ出る。



「⋯⋯じゃあなんで、俺のことを無視し続けたんだ?」



 これだけは聞きたかった。しっかりと古賀の口から。


 そしたら少し拗ねながら言ってくる。



「好きな人と一つ屋根の下にいて、まともに話せるわけないじゃないですか?」



 舌を出しながらお茶目に伝えると、最後は伏し目がちに絞り出す。



「でも、付き合ってくださいとかそういうことを言うつもりはありません。恐らく私は過去に囚われ続けるので、きっとめんどくさい女の子です。それに春日井君は私のこと嫌いでしょうし」



 そう言って小走りに駆け出す。



「送ってくれてありがとうございました!もうご飯を持っていくのもやめますので、安心してくださいね!」



 涙を流しながら告げると、前に向き直る。


 これでまた普段の生活に立ち戻ることができる。


 彼女がそう言ってるのであれば引き留めない。


 ご飯が無くなるのは少し寂しいがこのまま送り出そう。



「待って!」



 そう思っているはずなのに口から出たのは引き留めの言葉だった。



「ごめん、突然のことで頭が追い付いてないんだけど。正直、お父さんのことはわからない、軽々しくわかってあげられない。でも、男に対してそんな気持ちを持ったまま、ずっと生きていくのか?」



 古賀は何も言わない。


 そうですよと目で語りかけているような気がして、俺は勢いのままに続ける。



「そんなの俺は納得いかない!そうやって周りを拒絶して、きっと良い出会いがたくさんあるはずなのに、自分から苦しい道を進み続ける古賀を放っておくことはしたくない」


「⋯⋯どうして?私はいいんです、このままで。自分なりに頑張ってみたものの、最後は逃げ出す意気地無しなんですから」



 投げやりに言ってまた歩みを進めようとする。



「それじゃあさ!」



 かつてない声量に驚いた彼女と目が合う。



「これからもうちでご飯作ってくれないか?半年間も餌付けされてたら完全に胃袋掴まれちゃったんだよ!」


「⋯⋯なんでそういうことを言ってくれるんですか」



 歩みを止めて振り返る。



「短い間だけでも俺たちは家族だったじゃないか」



 淡々と伝えると、小さな嗚咽が聞こえてきた。


 こちらに向けて少しずつ近付いてくる。



「やっぱりあなたは優しい人です」



 そう言って胸に頭を押し付けてきた。


 男性が怖いという気持ちは俺に対しても残っているのか、小刻みに体が震えている。



「でも妹じゃ嫌ですから」 



 何のことかと下を覗く。



「私はあなたが好きなので。覚悟していてください」



 泣きはらした顔に満面の笑みを浮かべて見上げている。



「お手柔らかに頼むよ」



 苦笑しながら伝えると、さらに深く俺の胸に顔をうずめるのだった。


読んでいただきありがとうございます!

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