魔獣医師養成課程へようこそ!
――最初に彼らの仕事を目にした瞬間に、僕の運命は決定付けられた。
彼らはいつの時代も地味で、裏方で……僕たちの生活には欠かせないのに脚光を浴びることもなければ、その癖に激務だという話は絶えない。
大人たちにそれを目指している事を告げれば「やめておけ」「甘くない」「イカれている」と、知りもしないのに小言を囁かれる。
だけどそれ以上に、僕にとって彼らは誰よりも眩ゆく尊い人たちだ。
両親の反対も、誰かの忠告まがいの脅迫も知ったことか。
僕はもう15歳になった。成人しているし、立派な大人の仲間だ。自分の将来は自分で決められる。
ギルドにも登録して、アルバイト活動は万事順調。昔からこの時だけを夢想して、学費も生活費も工面する算段を立てられているさ。
僕は立派な「魔獣医師」になる。そして、彼らの素晴らしさや現実を知らない大人たちに、僕の夢が正しかったと認めさせてやる。
そして僕は好きなことを仕事にして、自由に生きてやるんだ!
「ようこそジェルトヴァ医学院魔獣医師養成課程へ! 歓迎します、魔獣医師の卵たち!」
持てる限りの決意を胸に、僕は学徒の門を叩いた。
◆ ◆ ◆
魔獣は僕たちの生活のすぐ傍に居る。彼らは許可を申請すれば、専用の魔道具で僕たち自身が持つ魔力から召喚することが出来る存在だ。
可愛い子はペットとして癒してくれたり、強い子は狩りや魔物退治を手伝ってくれたり、賢い子は生活行為を補助してくれたりもする。
もちろん、元来の知能の高さを除けば他の動物と何ら変わらない振る舞いや成長をする。
そのため最初は幼く、懐いてもらうには相応の努力や献身が求められるが、それが達成できれば彼らは家族同然。
彼らが魔物と違う点は、秩序があること。
愛情を持って育てれば主人を敬愛し、それに応えてくれる、とても愛くるしい面がある。
「難関と呼ばれる入学試験を突破し、魔獣医師を志してくれること、非常に嬉しく思います。さて、早速ですが魔獣医師とは……何かと白羽の矢が立つ者たちです。本学院の学生としての自覚を持ち――」
入学式は学院長が形式ばった挨拶をし、OB・OGの現役魔獣医師の方々が幾らかの辞を述べてくれた。
最後に各年次の主任教授が励ましの言葉などを伝えるとそれで長い式典は終了になる。
「最後に、皆さんに忘れないでいて欲しい言葉があります。『"医師"となる』……これは本学院の基本理念です。卒業の頃にはその意味が分かるでしょう」
学院長の締めの言葉はそんな感じのことだった。僕は正直、眠気がひどくてあまり集中できていなかったが、入学式なんてこんなものだろうと思いながら、意識だけは保つように努力していた。
◆◇◆◇◆
前略。この学院は最高だ!
卒業までは中等課程3年・一般課程3年・専門課程3年の合計9年間。そして中等1年次の夏に自分だけの魔獣を一体召喚してもらうことが出来る。
年始めの授業は「普通魔獣使役免許」の取得も兼ねたカリキュラムが組まれていた。
同世代の誰よりも早く免許を取得でき、愛玩だけでなく乗用・狩猟目的での使役も可能となるのだ。これほど最高なことはない。
そして来るべくして来た夏……僕は自分の魔力を使って、魔獣を召喚することが出来た。
「君の魔獣は青嵐属性のリーバー種。雄だね。うん、これほど綺麗な淡い蒼毛は希少だ。健康状態にも異常なしだよ」
「わあ……!」
リーバー種は犬型の魔獣だ。遥か昔から人間との関わりが深く、性格は主に素直で忠実。一年ほどで成体サイズになり、頭も良くて狩りに向いている。
……僕はアルバイトで軽い魔物退治とかもやっているから、立派に育てれば強い味方になりそうだ。
「名前は付けるのかい?」
「は、はい! 勿論です! 決めてあります! これからよろしくね、ルドラ」
「……そうか。うん。止めろとは言えないね」
魔獣は付けた名前を覚えてくれる。それが自分のことだと認識してくれる。だから魔獣に名前を付けないなんて人は聞いたことがない。どうして彼が哀しそうなのか、理解できなかった。
小型の魔獣籠の奥で外を見回すルドラに何度も呼びかけた。その度に、彼はただ、不安そうに周囲の匂いを嗅ぎ続けるばかりだ。
僕が使役する初めての魔獣……感動に震えながら、僕はしっかりと育てていけるのかという小さな不安にも苛まれつつ、彼を学院寮に連れて帰った。
そうだ。寮長にリーバー種の飼育申請しなきゃ。流石は魔獣医師養成の学院。その辺りのインフラは充実している。ルドラ用のオモチャとかを誰かに貰えたりしないだろうか。
最初は魔獣も小さいので餌代などはあまりかからないが、生活環境だけは見直しの必要があるな。
初めて自分の貧乏学生っぷりが口惜しい。少しアルバイトの頻度を上げようか。そして将来的にはルドラと一緒に仕事をこなしてみたい。
◆ ◆ ◆
1年次生の期末レポートは、自分が使役している魔獣の生態報告や観察記録が主軸だった。
……こうして纏めてみると、ルドラは予想以上に手のかかる子だ。
小さい頃はイタズラも可愛いものだったのに、学年が変わる頃には既に僕を超えるくらい大きくなり、同時にイタズラのスケールも大きくなっていた。
狩猟向けの種なので身体能力も高く、僕の力で抑えるなんてもう不可能だ。もっと広い1人部屋があれば楽なのだろうが、学生寮に対してそう贅沢も言っていられない。魔獣を一体育てられる最低限の環境が与えられているだけでも幸運と思うべきだろう。
レポートの生態報告や観察記録を振り返ってみよう。
・個体名:ルドラ。体長2m4cm。体重62kg。淡青毛。
・召喚5ヶ月25日。骨格形成が平均よりも18日遅れている。餌の栄養素か、或いはリンクさせている魔力が不足していた時期があると考察。
・学院内の電灯に跳び乗った際、軽度に破壊。
・身体機能の成熟は良好。召喚から3ヶ月4日の時点で脚の速さが敵わなくなった。その時点での最高時速は35km。現在11ヶ月8日での最高時速は80kmで、体重50kgの者が搭乗しても59kmを記録している。その際、搭乗者は鞍や手綱も無かったため気絶しかけた。観察の安全性を確保することの重要性が身に染みた。
・気を引いて欲しい時は肩に前足を乗せていた。現在の体重で無遠慮にそれをやられて鎖骨を骨折したため、この癖は矯正済。
・換毛期には大量のごみ袋を必要とした。
・構ってやれずにはしゃいでいた時、完成間近の本期末レポートにインクをぶち撒けた(アルベルト先生、提出が遅れてしまい、たいへん申し訳ありませんでした)。
何だろう。腹が立ってきたぞ。
でも何故か、抽象的だからレポートには書けないけど、ルドラが僕に甘えてくると、全てを許してしまう自分がいる。
これが子煩悩というやつなのかな……
◆ ◆ ◆
2年次生に進学してからしばらく経ったある日。初めて僕の仕事にルドラを連れて行くことを決意した。念を入れて、僕がいま受けられる仕事よりも数段ランクが低い薬草採取だ。
そして「ダッシュグース」という陸上走行が得意な小型の鳥の魔物を討伐する仕事を受注した。
畑を荒らすので退治して欲しいとのこと。この魔物の肉は美味しいので、退治できたらルドラにも食べさせてあげよう。
――結果は予想以上だった。
ルドラが僕の言葉を理解できるほど知能が高いことは知っていたが、彼は虫草の匂いすら嗅ぎ分けて、薬草の群生地へ僕を導いてくれる。
おまけに、あの逃げ足に定評のあるダッシュグースを奇襲で素早く仕留めていた。僕はソイツに脚で追い付けないので、かつては罠を取り付けて数日単位で討伐していたが、これは大幅な時短だ。
狩ったダッシュグースを咥えながら、僕の方は駆け寄ってにて、逐一「食べていいか」と許可を求めるようにおすわりをする。
極め付けは、初日でダッシュグース討伐の証に片足を切り取る必要があることを理解したのか、2日目の同じ仕事では僕が片足を切り取るまで、一箇所に死骸を集めるようになったことだ。
その日はルドラを思い切り撫でてあげた。普段は凛々しい顔を緩めて、嬉しそうに尻尾を振る姿は尋常じゃないほど癒される。
「ハッ、ハッ、ハッ」
「凄いぞルドラ! ほら、よーしよしよしよし!」
身体が大きいので抱き心地も最高だ。冬毛の時のモコモコとはまた違う感触がする。
「くぅ……クゥン……」
「ん? 何だよ、まだ撫でろって? ……よっしゃ、原型がなくなるくらい撫で散らかしてやる! ほらほらほら!」
思えばこの時、僕に対して効果抜群のおねだりの仕方を覚えさせてしまったことは悪手だった。これから何かを催促をする度にそんな声を上げられては、僕が断れなくなってしまうじゃないか。
でもそういう所も可愛いなぁ! 畜生……しばらくは学院から出た課題を放置してでも、一緒に遊んでやりたくなってしまうに違いない……!
◆ ◆ ◆
……僕のせいだ。ルドラが仕事中に怪我をした。
学費稼ぎも順調で、貯金もできるようになってきた時だった。
受けられる仕事のランクもルドラのおかげで上がってきていて、勢い余って受諾した昇格任務で起こった出来事だった。
内容は「クロミア草10本の納品」……これは光の差さない場所でのみ自生し、特殊な調理を施すことで眼球の虹彩の色を変化させられる、医学的にも価値のある薬草だ。
特にアルビノ変異によって紫外線の負荷がかかりやすい眼の色を持つ者にとって重宝する。現実的療法として知られているが、これは医学生以外はあまり知り得ないだろう。
クロミア草の繁殖力は環境によって左右されるが、主に群生。僕もその効能に興味があったので、納品すべき量に事足りるなら何本か貰っていこうと考えた。
だけど、僕は戦闘に関して極めて無知だった。
これまでは遥か格下の魔物だけを退治していたが、ルドラと一緒に仕事を始めてからは彼に任せっきり。
クロミア草は一般的に危険性の高い洞窟の内部で成長する。なので僕たちは岩場にある洞窟内を探索し始めたのだが……その地形が機動力を活かす戦闘をするルドラにとってどれだけの不利かを理解できていなかった。
ただでさえ消耗する移動に加えて戦闘が連続し、マッピングもしながらの探索だったので撤退も難しい。せめて洞窟の地図は買っておくべきだったのだろう。
……そんな中で、洞窟に巣食う巨大なロックワームに遭遇した。芋虫に岩石の鎧を纏った鈍重そうな見た目をしているが、体を丸めて転がりながら移動できる。小さな障害物を破壊しながら進むので、洞窟の中での機動力は僕たちよりも高い。
こういう不測の事態も予期しておく必要があったのだろう。僕たちは逃げた。
しかし僕の手元には所詮素人仕事のマッピング技術で作った地図。退路で惑っていると、すぐに追い付かれてしまった。
そしてルドラは僕の背中を庇って、ロックワームの転がりながらの突進を体で受け止め、岩に覆われていない部分に噛み付くことで仕留めたのだ。
体当たりを受け止めたことで、ルドラは前脚にヒビが入ったらしい。
異変にはすぐに気が付いた。彼は不自然な姿勢で脚を進める度に苦しそうだった。
即座に探索を中断し、咄嗟に「リーバー種応急手当概要」の内容を施した。ルドラはいま学院が運営する魔獣病院で安静にしている。
「うん、応急手当は完璧。軽度骨折でも最初が肝心ですからね。手術は必要ないでしょうが……それにしても賢い子。ロックワームの体当たりを頭で正面から受け止めたようですね。あれは怖いからって胴体で受けてしまうと、内臓を傷めて重症化するリスクがあります。それを理解していたんでしょう」
数日間はルドラに会う度に「ごめん」と謝った。
悪化や変形を防ぐために絶対安静ということで、ストレスを少しでも和らげてあげるために、出来る限り毎日お見舞いに行った。
何度か泣きそうになってしまったが、その度にルドラが頬をペロペロと舐めてくれた。彼は僕の気分が分かるのだろうか。
◆ ◆ ◆
おかしい。退院見込の日数をとっくに過ぎているのに、ルドラが立ち上がろうとしない。
もしかして、何か深刻なことが起きたんじゃないか……先生にそう尋ねると、ルドラはより精密な検査を受けることになった。
「仮病ですね」
「……はぇ?」
「もしかして入院中に甘やかしました?」
甘やかすというか、少しでもルドラがストレスを感じなくなるように沢山撫でてやったりしたけど……
「リーバー種って、多分君が想像しているよりも頭良いですからね。此処にいた方がより撫でてもらえると思ったんでしょう」
「じゃ、じゃあルドラの脚は……」
「ああ。ヒビは完全に治ってますし、むしろ骨が強くなってます。退院ですね」
「クゥン?」
こ、コノヤロー……! こいつ、僕がどれだけ心配したと……いや。叱るのは駄目だ。元はといえばこれは僕の失態。目を瞑って、また明日からいつもの生活に戻らなくては。
中等コースもあと1年で卒業だ。3年次にもなれば、一度目の卒業レポートの提出義務がある。
内容は「目指す理想の魔獣医師」で統一されている。次の一般コースでの研究テーマも、僕は既に決めていた。
僕はこのルドラの怪我の一件で強く感じたことがある。
危険な仕事を共にする魔獣は、それだけリスクに晒される。その際に負う怪我や病状は様々だ。外傷だけでなくストレス環境下における病理も考えられるし、魔獣の種類によっても「どの箇所に」「どんな怪我を」しやすいかという傾向があるかもしれない。そして、より効果的な療法も。
現場でアルバイトをしていたからこそ得られた視点だ。これはきっと、魔獣医になった時の大きな力になる。苦しむ魔獣や主人も減るに違いない。
僕はそういう、主人すらも支える魔獣医になりたい。
僕がルドラの怪我で味わったような心苦しさを減らしてくれる、誰もが安心して魔獣を任せられるような立派な魔獣医師に。
◆ ◆ ◆
中等コースを無事卒業した。そこで同時に発表した僕の研究テーマは教授たちにも「興味深い」と言ってもらうことが出来たので、概ね大成功だ。
ここから一般コース、そして専門コースに進むにつれて、より魔獣医師についての専門的なことを学んでいくことになる。
魔獣種による骨格や筋肉の形成の違い、魔獣に見られる病と適切な医療処置など、知識の世界だ。魔獣の命を預かるという、公共の使命感も重要になってくる。
勉強時間が雄弁に語る、憂鬱な期間とも言い換えられるだろうが、僕は絶対に諦めない。幼い頃からの夢だった世界を眺めるだけでなく、そこに片脚を突っ込むことができるのだ。これほど充実した時間もそうそうない。
立派に成長したルドラの「ちょっかい」はいつも絶妙だ。僕が嫌だと感じる前に、すっと身を引いてくれる。本当に集中したい時などは、部屋の隅で僕をじっと見つめたりしていた。
――魔獣医師になりたいだと? 駄目だ。そんなイカれた仕事、俺は認めん。
勉強をする度に、かつて父から掛けられたそんな言葉が脳裏をよぎる。僕の家は裕福ではなかった。
父は土木作業員で母は専業主婦。2人とも学が無かったくせに、子供は僕を含めて3人も居た。苦しい生活だった。そこへの対抗心もまた、僕のやる気の着火剤になる。
父もかつては魔獣を使役していたが、工事中に事故が起き、その魔獣を医師に見殺しにされたのだと語ってくれたことがあった。
醜い復讐心だと思った。僕の知る魔獣医師の諸先輩に、人道から外れた者は居ない。その見殺しにしたという魔獣医師は適切な判断をしたに違いない。
自分の気持ちだけで、僕の将来に口を出してきた父が僕は嫌いだ。魔獣医師をイカれていると罵った父が嫌いだ。
僕は成人してすぐにそんな家を飛び出して、苦労しながらも自分で生計を立てている。お陰で忙しくも充実した日々を送ってきた。
魔獣医師はイカれてなんかいない。僕がそれを証明してみせる。それに僕にはルドラが居る。父のように、不注意でこいつを失うことは絶対にしない。
◆ ◆ ◆
勉強漬けの一般コースも順当に卒業認定を得ることができた。僕の研究はあの堅物な教授たちにすら好評だった。
現存する約180の魔獣種と、彼らとの共同生活。その中で発生しうるリスクに焦点を当てることで、種によってどんな怪我や疾患が見られるのかについての統計データを得る研究だ。
確実に僕は魔獣医師としての力を付けている。そして、専門コースでいよいよ僕を待ち受けるのは「実習」だ。この3年間を通して、実習生として現場で経験を積む。
卒業年度になれば給料も発生し始める。そこまでの貯金はあるので、魔物退治のアルバイトはこれから必要なくなるだろう。ルドラもこれ以上危険な目に遭わない。
思えばルドラと出会ってもう6年近く経つ。
僕の心の中にいつまでも住み着き、まるで本当の家族のように大切に思える。それこそ、大嫌いな父よりも、よっぽど僕を支えてくれた。
これからは危険な仕事をさせることもなく、穏やかに過ごさせてやれそうだ。魔獣医師は最初のうちは激務だと聞くので、しばらく寂しい思いをさせるかもしれないが。
……卒業して、生活が安定したら結婚を考えている。実は結婚を前提にお付き合いさせてもらっている人が居るのだ。最近、学院生寮を出て同棲を始めた。
彼女は魔獣ギルドの職員としてギルドで勤めている。魔獣の申請登録などを受け持つ役所仕事で、ルドラの使役免許の更新に際して出会った。
リーバー種の中では珍しい蒼毛のルドラに興味を抱いてくれたことから始まり、今に至る。彼を使役することにも寛容で、むしろ魔獣の世話に関しては僕よりも遥かに造詣が深い人だ。僕の留守中でも彼を安心して任せられる。
魔獣医師の収入はかなり良い。結婚して、彼女が仕事を辞めることになっても十分に支えていくことが出来るだろう。もっとも、仕事が大好きな彼女がその選択をする所は想像できないのだが。
彼女と出会えたのも、ルドラがきっかけなんだよな。本当、ルドラには感謝しかない。
僕と一緒に居てくれてありがとう。君が居れば、僕はどんな事でも乗り越えられる。
手慰みに書いてる日記のようなものに、こんなことを書くのも何だが。
……おっと、ルドラが遊んで欲しそうな様子で僕のすぐ背後に座っている。背中にこのプレッシャーを感じたら、駄々をこねて暴れ出す前に少し構ってやらなくては。
明日から現場に出る。
◆ ◆ ◆
魔獣医師の現場は苛烈だった。肉体的にというより、精神的に疲弊する。
中でも、僕を指導してくれている担当医師はひどい。何かにつけて「魔獣医師はイカれてる」「お前もどうせリタイアする」と、父のような事を言い続けるのだ。
同じ魔獣医を志した者として情けない。なぜこの仕事に希望を持てないのだろう。
いずれにせよ、僕は与えられた仕事をこなすだけだ。魔獣用の薬剤の指定。カルテや診断書の作成。実際の診察の補助。
「ありがとう、頑張って」という魔獣の主人からの言葉だけが僕を救ってくれる。
……愚痴をこぼし過ぎた。ちょっとルドラに癒してもらおう。恥ずかしいので1人で居る時にしかできないが、今日は彼女も帰りが遅くなるらしい。
◆ ◆ ◆
夜になってもまだ鼓動が不安定だ。脈絡もない言葉だけでペンを進ませてしまうかもしれない。
今日は虐待され、放棄された幼い魔獣の安楽死処置に立ち会った。バルチャー種とボア種だった。幼い頃の見た目の可愛さとは裏腹に、成長すると大型になるため、使役が困難として遺棄されることが増えてきたらしい。
もう助からないような、酷い外傷だった。
病理検査が行われた後、もし危険な病気などが無ければ資料として明日その体構造や内臓の配置などを調査するらしい。
気分が悪いのに寝付けない。駄目だ。今日は何も手につかない。ベッドで大人しく朝を待つ。
◆ ◆ ◆
現場は僕が思い描いていたものと違った。淡々として、血が通っていない。机上で学ぶものと経験する事にここまで大きな違いがあるなんて知らなかった。
しかし、僕は慣れてしまっているのかもしれない。死を間近に見た直後でも、食卓に並ぶ肉を食べられるようになっていた。
これは麻痺なのだろうか。鈍感なのだろうか。
……ルドラ。やがて僕は、君に興味が無くなってしまうのだろうか。手術台の上の魔獣と君が、同じものとしてしか見られなくなってしまうのだろうか。
それだけが怖い。
◆ ◆ ◆
噂程度に聞いたことだが、実習に入ってから、学院をリタイアする者が増えているらしい。
しかし僕にはまだ救いがある。主人からの感謝の言葉と、ルドラの存在だ。これが僕を支え続けてさえいてくれれば、どこまでだって、死に対して鈍感になってみせる。僕が……魔獣医師が、誰かの救いにもなれるのだとしたら。
◆ ◆ ◆
およそ2年に渡る壮絶な実習が終わった。
残るは最後の卒業レポート課題だけだ。その課題内容まだ聞かされていない。
卒業後は試験を受け、合格することで晴れて僕は魔獣医師になることが出来る。
僕がここまでやって来られたのは、やはりルドラが居てくれたからだ。逃げるように家を出て、家族と離れた僕とずっとここまで慕ってくれた彼は、間違いなく僕の人生に欠かせない存在だった。
そしてこれからも、僕の人生に欠かせない存在になる。
この手慰みの手記も、そろそろ区切りをつけることにしよう。僕は子供の頃に夢見たような、立派な魔獣医師になってみせる。
最後に、学院生活を共に過ごした僕の一生の友に感謝を送ってこの日記を終わりたい。
ありがとう。
◆◇◆◇◆
講義棟はいつになく厳粛な空気で満たされていた。
それも、僕たちだけではない。教授たちまでもがまるで温度の無い表情を浮かべながら、最終レポートの課題内容の説明会は始まった。
他の学院生も、それ釣られて表情を強張らせる。いつになく緊張した空気が部屋を包んだ。主任の教授が口を開く。
「皆さんは入学式で、学院長が話した事を覚えているでしょうか」
普段は陽気な主任から出た声とは考えられないような、重苦しい声。何が起きるのかは誰にも分からないようで、ここまで残った学院生たちからは戸惑いが生まれる。
息漏れすら雑音になるような静寂の中、主任は冷酷な声色で話し続けた。
「『"医師"になる』というこの学院の基本理念です。皆さんはこれから医師という生き物になるのです。人ではありません。……定期的な課題として、皆さんには1年目で召喚した魔獣の生態や活動の報告を義務付けました。手元には今、彼らの膨大な人生が記録され、残っているでしょう」
教授の次の言葉の予想すら立たず、息を呑む。
確かに僕の手元には、どんな魔獣よりもルドラの記録の方が多い。これは僕の人生の一部だ。
「それを踏まえて、最終課題の内容をこれから配布します。配布が終わるまで、決して中身を見ないように」
かつてないほど嫌な雰囲気に包まれたまま、全員に課題の書かれた羊皮紙が配られる。
「卒業レポートの内容は皆さん共通です。では、どうぞ」
合図と共にその紙を表向きにした。
息が止まる。
書いてある文字は読めるのに、僕の頭がそれを処理しようとしない。拒絶が怒涛の吐き気のように訪れては、それが本当の吐き気となる。
誰もが我を失っていた。
誰もが何の感情を何処にぶつけたら良いのか分からなかった。
――彼らはいつの時代も地味で、裏方で……僕たちの生活には欠かせないのに脚光を浴びることもなければ、その癖に激務だという話は絶えない。
大人たちにそれを目指している事を告げれば「やめておけ」「甘くない」「イカれている」と、知りもしないのに小言を囁かれる。
僕はそれが、大人たちが現実を見れていないから出た言葉だと思い込んでしまっていた。
愚かな子供の僕たちは気付いていなかったのだ。
小言を囁く彼らこそが、僕たちより「大人」だということに。
【最終課題:使役魔獣の生体解剖レポート】
小説を書くとこんな感じになってしまう、模範的市民と申します。今回は異世界が舞台の一話完結の短編小説を書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。
これは獣医の道に進んだ友人の話を元にして書いた話です。彼らは命に対して残酷にも平等でなくてはいけないらしく、こういう仕事は私には出来ないなと思い、畏敬の念を込めました。
皆さんは魔獣医師、目指してみようと思いますか?
「面白い」「何てモン読ませんだ!」と思った方は、ブックマークや画面下の☆☆☆☆☆をタップして作品評価などをお願いします。執筆の励みになります。




