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富士沢ドライビングスクール - Part 2

「……驚きました。ここまで飲み込みが早いとは思っていませんでした」



 泉さんの走行ラインは率直に言って完璧だった。


 基本的なアウト・イン・アウトはもちろんのこと、コーナー出口でアウトに膨らみがちな逆バンクコーナーや、いくつものコーナーがまとまりひとつの複雑な形状となっているスプーンカーブまで、理想のラインを走ってみせてくれた。

 それも走り出してから修正を繰り返しそのラインに到達したのではなく、最初からそのラインで走っていた。


 あまりの上達ぶりに舌を巻き、「今度は立ち上がり重視のラインを意識してみてください」と新たな課題を横から出してみたりもしたのだが、泉さんはそれもあっさりとこなしてしまった。



「富士沢先生の教え方がお上手ですもの」

「ありがとうございます。この分だと実車デビューも遠くないですね。いつにしますか?」

「先生ったら、お上手ですこと」



 半分冗談だが、もう半分は本気だった。


 このレースシムとやらで培われた技術が本物の車を運転する際にどこまで通用するかはさておき、この上達ぶりには類まれな能力を備えていることを予感させる。


 私はそれに嬉しさを覚えていた。自分の教え子が優秀だからではない。昨日思いついたアイディアが実現に近づきつつあることを感じたからだ。


 同時に、ある種の恐ろしさも感じた。


 いくらレースシムが実車レースの経験を活かせるものとは言え、そもそもレースシムについては素人の私が何故コーチとして雇われているのか。


 それはレースシムの経験とは関係なく、私が泉さんより速いというその一点に尽きる。

 つまりは、もし泉さんに先を行かれてしまうようであれば、私がここにいられる理由も消える。

 言うまでもなく、それは路頭に迷うのと同義だ。


 そうならないためにも、私は私の本職を教えることで食い扶持を稼ぎたい。



「私は本気で言ってますよ。どうか前向きにお考え下さい」

「……私も、実車に乗りたいのはやまやまなんですが……父がそれを許してくれなくって……」

「そういえば、昨日もそんなことをおっしゃていましたね。差し支えなければ、詳しい事情をお聞きしたいのですが」

「ええ……」



 泉さんはぽつりぽつりと話し始める。


 顛末としてはこうだ。

 レーシングチームオーナーである紅陵介氏を父に持ち、幼い頃からサーキットに連れていってもらうことも多々あった泉さんは、なかば当然の帰結として、レースに興味を持つようになった。

 紅さんもそれ自体については喜んでいたようだが、いざ泉さんが「私もレースをやりたい」と言うとその態度を硬化させた。


 理由はただひとつ。「危ない」。


 モータースポーツの安全性は年を追うごとに向上し、ひと昔前とは雲泥の差とはなっているが、今でも常に死の危険が纏わりついているのは偽らざる事実である。派手なクラッシュを演じたばかりの私が言うのだから間違いない。

 いくらその競技を愛しているからと言って、いざ愛娘がそれをやりたいと言っても諸手を上げて賛成ということにはならないのかもしれない。似たような話は昨日タクシーの中でしたのでそれは納得のいく理由だった。


 ただ流石に紅さんも泉さんの意志を完全に無視しようとまでは思っていないようで、「いつか自分の力でやれるようになれば、やるといい」と言ってくれたという。

 しかし「自分の力」というのが「自分の力で稼いだ金でやれ」という意味なのかどうかは明言が無かった、とは泉さんの弁だ。

 その通りなのかもしれず、あるいは紅さんを納得させるだけの理由を見つけることが「自分の力」とみなされるのかもしれず、はたまた単なるその場しのぎの出まかせなのかもしれず。


 現時点ではっきりしているのは、泉さんは現在実車でレースはできないということだけだった。



「なんとも、もったいないお話ですね」



 話を聞き終わった私の率直な感想である。


 私が、いや、レーシングドライバーなら誰もが喉から手が出るほど欲しがっている、『レースに理解がある金持ちの親』という環境を持ちながらそれを活かせないとは。


 それも本人にその気と才能があると言うのに、だ。加えて言うならば、その裏には私のレース復帰という野望も乗っかっているのに。



「私が説得をしてみましょうか?」

「そう言って頂けるのは、大変ありがたいのですが……やはり、父は首を縦には振らないと思います……」

「そう、ですか……」



 思い付きを口にしてみるが、どうもあまりうまくいかないと思われているらしい。

 確かに最愛の娘が頼んでダメならば、目を掛けられているとはいえ所詮は他人でもある私が口添えをしたところでどうにもならないような気はする。



「うーん……どうしたものか……」

「レッスンの途中なのに、余計な話をしてしまってごめんなさい。続きをお願い致します」

「ああいえ、私から聞いたことですし……」



 この状況を打破する方法は私には思いつかない。真剣に悩む私を見て泉さんは申し訳なさそうな表情をしている。この苦悩が純粋に泉さんを思ってのものではなく、私欲が混ざっているのを隠す私はちょっと心が痛い。



「それに、今日教える予定だった内容は全て消化済みです。予定より早く終わってしまいましたね」

「あら、そうなんですか? それでしたら、もし先生がお嫌でなければ、時間まで今日も私と一緒に走って頂けませんか?」

「わかりました。あちらのコクピットを利用させて頂いてもよろしいですか」

「ええ、もちろん!」



 泉さんからの連日のランデブー走行へのお誘い。

 私としてはもうお開きという形でも構わなかったのだが、それはそれとして、泉さんと一緒に走るのは楽しかった。


 走っている最中、泉さんはずっと笑顔だった。本当に走ることが好きなんだろうな、と思わせられる。


 やはりこれはどうにかしないといけないだろう。ここまでモータースポーツを愛し、運転技術に秀でている人を眠らせておくというなんていう話はない。


 もちろん、私の野望に利用させてもらいたいというのもあるが。

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