また、よろしく
異様な表彰式だった。中央に立った泉さんにも、二番目に高いところに立っている鈴子様にも、表彰台の横で拍手をする私と双見くんにも満面の笑顔は無い。誰もが愛想笑いのような硬い笑みでただ喜んでいるポーズを取っていただけだった。
唯一三位となった勅使河原お嬢様もこの雰囲気に飲まれたのか、はたまた私たち四台のトップ集団から圧倒的な大差をつけられての三位という結果からか、その表情はどこか冴えない。
誰も喜んでいない表彰台というのを私は初めて目にした。
いまひとつ盛り上がらない表彰式の司会を務めることになった南山さんの苦労は察するにあまりある。
私も、泉さんも、鈴子様も、双見くんも、誰もが「自分は負けた」と思っている。
そして誰もが「あなたが真の勝者だ」というようなことを言われている。実に不思議なレースだった。
表彰式の終了をもって『舞踏会』も閉幕となる。
お嬢様と執事の皆様は帰途についた。鈴子様は来た時と同じくコクピット神輿に乗って帰っていった。
神輿を担ぐ一員となった双見くんは恥ずかしさに顔を赤く染めていたが、他の鈴子様お付きの執事の方々は平気な顔をしていたので、いずれ双見くんもそうなるのかもしれない。
会場の片付けまでがスタッフの一員である私の仕事だ。南山さんとアルバイトの人たちと一緒になって椅子とテーブルを片付けていく。
紅さんと泉さんは一足先に帰ってしまったのか、その頃には姿が見えなかった。
あらかた片付けたところで私は南山さんから「もう上がっていい」と言われたので、お言葉に甘えることにした。
ホールを出ると、泉さんがいた。
「紅さんと帰ったんじゃなかったんですか」
「いいえ。お父様がどこに行ったのかは私も知らない」
「私を待っててくれたんですか?」
「歩いて帰れっていうの?」
「……失礼致しました」
紅邸からこのホテルまで、私と泉さんはもちろん車で来ている。
しかしその気になればタクシーに乗って帰ることだってできるだろう、とは言わないでおく。
私は駐車場へと歩き出す。泉さんもついてくる。
「どこか適当なところでお待ち頂ければいいですよ。正面玄関まで車を回してきますから」
「話したいことがあるの」
「何でしょう」
立ち止まりかけるも、泉さんが「歩きながら聞いてくれていいわ」というので再び歩き出す。
「レースが終わった後、あなたが私のところへやってくる前、さるお嬢様からあなたへのスポンサードのオファーがあったの」
びくり、と体が震えた。
私が喉から手が出るほど待ち望んできた実車レース復帰への道筋が、今まさに目の前に現れた。
鈴子様の提唱した『就活』はあながち荒唐無稽な話というわけでもなかったらしい。
「今日のあなたの走りを見て感動した、ぜひ富士沢様のレース活動を支援させてほしい……そう言ってた」
「そ……それで、どう返事されたんですか」
「返事は保留してある。レース前にも言ったと思うけど、あなたが望むなら受ければいい。借金問題も何もかも、私が全部なんとかしてあげる」
幸いなことに、泉さんは心変わりをしていなかった。私をよそのお嬢様の下へ快く送り出してくれるという。願ってもいない申し出だ。
「あなたには、感謝してる。今日のレースで私が勝てたのもあなたのおかげ。十分に仕事はしてもらった」
泉さんは私を鈴子様に勝つために雇ったのだから、今日のレースで私は仕事をやり遂げたということになる。
実際はあまりいい仕事ぶりではなかったような気もするが、雇い主御自らがそう言ってくれるのであればそれでいいのだろう。
思ったより早かったな、と私は思った。
よくよく考えてみれば、双見くんと戦ったF4最終戦からまだ三か月も経っていない。
その間に私はクリムゾンをクビになり、鈴子様に雇われかけてクビになり、レースで信用を勝ち取って本採用となり、そして今再び実車のシートを得ようとしている。これまでの私の人生でも最も濃密な時間だったのは間違いない。
よくやった、と私は自分を褒めたくなった。
この三か月は自分の才能一本でレースキャリアをそこまで苦労することなく登ってきた私にとって、ほとんど初めてとなる挫折の日々だったと言ってもいい。
自分の力だけではどうにもできないことをこれでもかと味わわされた苦難の連続を、私はなんとか乗り越えた。そして今日この申し出を受けることで暗いトンネルを抜けたということになる。
この経験はこれからのレース人生において、私にとってかけがえのないものとなるだろう。
私はよくやった。
……ただ、よくやったものの、完璧ではなかったというのもまた事実だ。
「大変もったいないお話ですが、お断りしてください」
私がそう言っても、鈴子様は何も言わなかった。
「まだ、やり残したことがあります。泉さん、あなたがご自分の力だけで鈴子様に勝つところを私は見ていない。そして私も、レースシムで双見くんに今度こそ勝ちたい。それができるまではもう少し、お傍に置いてくれませんか」
鈴子様とクビをかけてレースをしたあの日。私たちはお互いに同じ思いを持っていることを確かめ合った。
「レースシムでライバルに勝つ。それが自分の譲れないものである」と。
あの日からそれは変わっていない。そしてそれが変わっておらず、その目標が達成できていない以上、私はここを離れるわけにはいかない。
「バカね」
泉さんが俯いて呟く。
「本当に……バカじゃないの……」
何か様子がおかしい。声が湿っている。
不審に思っていると、泉さんは両手で顔を覆って本格的に嗚咽を漏らし始めた。
「ちょ、ちょっと……」
「私、あなたに『泉さんならできます』って言われるたびに、本当に嬉しかった。ずっと憧れていた人にそう言ってもらえたんだもの。今までに味わったことのないような幸せな気分だったわ」
「えっと、泉さん……」
「でもあなたは私のことなんて全然見てなくて、自分のことしか考えてなかった……」
「あの、周りの人が見てますから……」
何故泣きだしたのかはわからないが、これは客観的に見てあまり私の評判が上がるような状況でもない。
ロビーのような人が多い場所からは離れているとはいえ、駐車場へと向かうこの通路にもそこそこの人通りはある。
たった今もスーツケースを引いた男性が怪訝な顔をして私たちの横を通り過ぎて行った。
私はうろたえながらも何とか泉さんを落ち着かせようと努力した。
「そうかと思えば、今度は私を勝たせようとあれこれ自分のレースが台無しになったのにいろいろやってくれて……。スポンサーの話だって、喜ぶと思ったのに断っちゃうし……」
「……その……」
「あなたが一体何をやりたいのか、私にはさっぱりわからない……なんなのよ、もう! 」
左手で顔を覆ったまま、振り上げられた右手が、ぽか、というように優しく私の胸の辺りを叩いた。
「あなたは何がしたいの? レーシングドライバーに戻ることを投げ捨てるほど、私なんかがあの人に勝つことが大事だって言うの?」
「えーと……」
どうなのだろう。
少し前の私なら迷うことなくこの申し出を受け泉さんとは別れていたはずだ。
しかし今の私がそれをしないことを選択したのであれば、『そういうこと』なのかもしれない。
私は泉さんのことを大切に思っている。それを口にするのは少々気恥ずかしいけれど。
「まあ……そうなりますかね」
「……はっきり言って」
「えっ、な、何を……」
「もしそうなら、言葉にして。口に出して。私のことが大事だから、どこにも行かないんだって」
「え、ええ……?」
そんな私の逡巡を知ってか知らずか、泉さんはそんなことを要求してくる。
戸惑う私が言いあぐねていても、泉さんは泣き止む気配がない。
周囲の人々の好奇の眼差しに耐えられなくなりつつあった私は、両手を泉さんの肩にそっと乗せた。
「……『私なんか』だなんて、そんなこと言わないでくださいよ……」
くすん、と泉さんが鼻を鳴らす。
「私がこれからも泉さんのところにいたいというのは、もちろん『泉さんを勝たせる』という仕事をまだ完遂できていないということもありますけど……それだけじゃありません。……この数か月の間に泉さんが私にとって特別な人となったからです」
初めに会ったときの印象は、絵に描いたような育ちの良いお嬢様。
けれどその本質は、自分の中にある譲れないものに関しては一切妥協を許さない熱いものを秘めた人だった。私と同じように。
立ち位置の違いから衝突をしたこともあったけれど、その衝突を経て私たちはお互いに自分と同じものを感じて心を通わせるようになった。
今の私たちの関係は単なる先生と生徒や、雇用主と労働者やといったもので片付けられるようなものではないはずだ。
親友、という言葉が一番近いようにも思えるが、正確に言い表してはいないように思える。私はこの関係をどう呼べばいいのかわからない。しかし一方でそんなことはどうでもいいと思っている。
ただひとつ確実なのは、私は泉さんが喜べば嬉しいし、悲しめば残念に思う。それだけだった。
「だから、どうか泣かないでください。それよりも今度こそ一緒に笑いましょう。次のレースで鈴子様に勝って。双見くんもついでにやっつけて。……もしそんなことができたら、それが今の私にとっては一番幸せなことですから」
泉さんはなおも手で顔を覆い隠したまま何も言わない。
「……泉さんと一緒にいたいんです」
それを見た私は、もう一言、そう付け加えた。
流石にここまで直接的な物言いは少し恥ずかしかったが、泉さんが泣き止んでくれるなら耐えられる……と顔がほてり始めたことを自覚したとき、泉さんがぱっと手を顔から離した。
「……まあ、及第点ってところかしらね」
「あっ……!?」
その顔は、べそなど全くかいていない、むしろ機嫌のよさそうな笑みすら浮かべていた。
「う、嘘泣き……!?」
「いつかのお返しよ」
心臓の鼓動が速くなり、体温が急上昇したような感覚を覚える。間違いなく、今の私の顔は真っ赤に染まっている。
それを見られたくなくて、私は泉さんから顔を逸らした。
まさかかつて私がやったいたずらをそっくりそのままやりかえされるとは。
しかも私の三文芝居とはレベルの違う、本物の役者顔負けの迫真の演技だ。泉さんがいるべき場所はサーキットではなく劇場ではないのか?
「……結構、根に持つタイプですか」
「ええ、お互いにね。それじゃあ、帰りましょうか!」
「……かしこまりました、お嬢様」
珍しく弾んだ声の泉さんに促され、私は再び駐車場へ向かって歩き出す。
「そういえば、次の『舞踏会』はいつあるんですか?」
「気が早いわね。さっき終わったばかりだというのに」
「『次』の話ができることの幸せを噛みしめているんです」
「あなたが言うと説得力が違うわね……またすぐにあるだろうから、練習しないと」
「今度こそ勝ちましょう」
「当然じゃない」
他愛無い会話をしながら停めてあった車のもとへ辿り着く。
後部ドアを開けて泉さんに座ってもらい、私は運転席へ回る。
エンジンをかけようとプッシュスタートスイッチに指を当てたところで、後部座席の泉さんが言った。
「Start "our" engine」
私はそれを聞いて指を押し込む。セルモーターが回り、エンジンが目覚める。
そして私と泉さんを乗せた車が動き出す。
その行く先には次のレースがあり、そして私たちの勝利があるに違いない。
なんとか完結までこぎつけることができました。
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