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敗者たちのアフタヌーンティー

 レースが終わると、会場だったホールはそのままお茶会の会場となる。

 コクピットは片付けられる代わりにテーブルと椅子が用意され、南山さんの手配したケータリングと各お嬢様が持ち寄ったお菓子が供される。

 もっともそれを準備するのは私を含むスタッフではあったが。

 南山さんとアルバイトの方々と一緒にそれら準備を終えると、お菓子を手にされたお嬢様方が三々五々着席する。

 ステージ奥の壁のスクリーンには今しがた終わったばかりのレースのリプレイ映像が流されていた。



「それでは皆様、レースの最終結果が確定次第、表彰式を執り行います。それまでいましばらくご歓談ください」



 南山さんのアナウンスよりも先に、お嬢様たちのお喋りの花は咲いていた。

 確定次第、と言ったからにはレース中にあった接触についての裁定をするのかもしれない。

 私と双見くんのあの接触についてはどうだろうか、とふと思うも、そもそも章典外であることを思い出してすぐに考えるのをやめた。


 『舞踏会』の最終結果。

 トップでゴールしたのは双見くんだが、章典外ということもあり最終結果からは除外され一位となることはない。

 つまりこのレースで勝者となったのは、二番手としてゴールした泉さんだ。


 ラストラップが始まるときに私が予想した通り、泉さんは鈴子様を抜いてからそのポジションを再び明け渡すことなく一周を走り切り、見事優勝を飾った。

 二位は鈴子様で、そのすぐ後に結局最後まで鈴子様を抜きあぐねた私が続くが、私も章典外扱いなので三位は私の次のお嬢様、勅使河原様だった。


 泉さんは念願叶って鈴子様に勝利することができた。それにもかかわらず私の中にはどこかすっきりとしない気持ちがある。

 その原因は何を隠そう泉さんだった。

 泉さんは今、自席で代わる代わるやってくるお嬢様たちから祝福の言葉をかけられることへの対応に忙しいようだ。

 せっかく取ってきた紅茶とお菓子にまだ口をつけられていないのは気の毒だが、それも贅沢な悩みというものだろう。

 お嬢様たちへの対応が一段落したところを見計らって、私は泉さんの許へ近づいた。



「座って」



 私の姿を見た泉さんからそう言われ、その通りに従う。泉さんはティーカップに口をつけ、小さく息を吐いた。



「あの……優勝おめでとうございます」

「ありがとう」

「お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか」

「どうぞ」

「最後、私が抜かれた理由がわからないんです。何であそこまでスピードがあったんですか」

「何でって、それは……」

「決まってる。紅さんがこの場の誰よりも速かったから、だ」



 背後からの声に振り替えると、声の主である双見くんと鈴子様が立っていた。



「突然お話に割り込んでしまって失礼いたしました。紅様、優勝おめでとうございます」

「ありがとう存じます。おかけになって」



 非礼を詫びた双見くんに泉さんが着席を勧め、二人が席に着く。

 私としては鈴子様はともかく双見くんにはどこかに行っていてほしいのだが、主人が許した以上異を唱えることはできない。



「富士沢、どうやらまだ自分が一番速いと思っているらしいな」

「……何、それ? トップでゴールした双見くんは、わざわざ誰が一番速いのかを教えにきてくれたってわけ?」



 私の声は思い切り低くなっていた。

 ただでさえレースが思い通りにいかなかった直後だというのに、喧嘩を売られるような言葉を投げかけられてニコニコしていられるほど私はお人よしではない。



「富士沢様、それは違います。ベッテルが申し上げたいのは、泉様が一番速かったということでございます。先ほども少し申し上げた通り」

「……はあ」



 険悪なムードに傾きつつあったところに仲裁に入ってくれたのは鈴子様だった。

 未だ腑に落ちかねる私に双見くんが再び話し始める。



「紅さんは富士沢に抜かれてから、ずっと富士沢のペースについていくことができていた。これがどれだけすごいことか、わざわざ説明するまでもないだろう?」

「確かにそれはすごい。だけど、私はそれぐらいのことなら泉さんはできると思ってた。私がわからないのは、私の予想以上に泉さんが速かった理由だよ」

「だから、紅さんの実力は『それぐらいのこと』を『難なくやってのける』ぐらいにあったってことだよ。富士沢の予想を超えてな」

「どういうこと……?」



 ふっ、と泉さんが息を漏らす。その表情には苦笑が浮かんでいた。



「随分と見くびられたものね……。私をここまで鍛えてくれたのはあなたでしょう?」

「しかし、私の走行データをコピーしただけでは、私以上に速くなることなんて……」

「私だってね、ただ走りをなぞるだけでなく、そこから新たな発見をするくらいはできるわよ」

「そんな……そんなことで……?」

「そんなことって言うけどな、『速くなる』っていうのはそんなことの積み重ねじゃないのか? 確かに富士沢の走りを覚えさせるっていうのはいい方法だと思うよ。けどそれだけじゃ富士沢の走りの劣化コピー止まりでしかない。そこから一歩進んだ速さを見つけるには自分で何周も走って、どこが悪いのか徹底的に見直して、また走る。それしかないだろ?」

「それは……そうだけど……」

「しかもずっと富士沢の後ろにくっついて、ダウンフォースが減っている状態で富士沢のペースについていってたんだ。それこそ紅さんのドライビングが富士沢の予想を遥かに超えてたって証だろ」



 全く反論の余地もない双見くんの言葉に、私は愕然として黙りこくってしまった。


 結局、私は泉さんを信じ切れていなかったということだ。

 私の走りを身に着けた泉さんが、それ以上の領域へと進むことなど想定していなかった。

 私よりも速くなっていることなどありえないという前提をもとに、『私が勝たせてあげなければ』という押しつけがましい理念をもって、このレースを戦っていた。

 それは泉さんを思っての行動などではなく、ただ自分の目的のため、あるいは自分の自己満足のためでしかなかったという現実を突きつけられたからだ。



「……まあ、私もあなたが来るまでいまひとつペースが上がってなかったのは事実だし」



 そんな私の胸中を知ってか知らずか、泉さんはフォローのようなことを言ってくれるが、私は自分の傲慢さにばつが悪く、ただ俯くことしかできなかった。



「そう、あれがなければわたくしも泉様に追いつかれることはなかったかもしれませんわね」



 しかし鈴子様がそう言ったことで、私はわずかに顔を上げてそちらを見た。



「わたくしは今回のレースでもし負けることがあるとするならば、それは富士沢様、あなたと泉様が力を合わせた場合のみだと考えておりました。だからこそそうならないように策を弄したりもしたのですが、富士沢様と泉様には打ち破られてしまいましたね」

「‥‥策? 何か、されましたっけ……?」

「富士沢様に『就活』の話を持ちかけたことでございます」



 レース前に鈴子様からされた『就活』の話。「このレースで勝てばきっとスポンサーが見つかる」という囁き。

 それによって私は泉さんのことをすっかり忘れて自分の速さのみを追い求めるようになったのだが、あれは私の甘さが招いたものではなく、仕組まれたことだったのか……?



「富士沢様が自分のことだけを気にするようになれば、お二人は分断され、私のレースは有利となる……。その狙い自体は誤っておらず、途中まではうまくいっていたように思えたのですが、泉様の名調子には敵いませんしたわ」

「……それ、本当の話なんですか?」



 絶句からようやく絞り出した問いに鈴子様は答えず、ただ微笑んでいるのみだった。

 この話がもし本当だとしたら、鈴子様は盤外戦も厭わない、プロ顔負けの非常にしたたかなドライバーだということになる。



「……というのは、冗談でございます」

「えっ?」

「そんな深謀遠慮など、わたくしには少々荷が勝ちすぎます。富士沢様に『就活』のお話を致しましたのは、純粋に富士沢様のキャリアを心配してのこと」

「え、ええ……? 本当はどちらなんですか……?」

「……彼女の言うことは本気にしないほうがいいわ。いつも人を右往左往させて楽しんでいるんだから。いい性格してるわ、本当に」

「あら、たいそうな言い方ですこと」

「こうやって『あなたのことを思って』と言っておけば、次戦うときに手心を加えてくれるかもしれないものね?」

「確かに。しかしそれを狙うのであれば、そもそも冗談でも『陥れようと思っていた』という話などしないはずではありませんこと?」

「だから話を聞くな、と言ったのよ。どうせ何が本心かなんてわからないんだから」



 二転三転する鈴子様の発言の真意と、それに反論する泉さんの言葉を聞いていると、私には何が正しいのかわからなくなってくる。

 とりあえず泉さんのアドバイスを受け、鈴子様の言葉についてはあまり深く考えないようにするのが得策のようだとだけ理解した。



「まあ、そんなことはどちらでもよいではございませんか。それよりも泉様、優勝おめでとうございます」

「ありがとう……と言いたいところだけど、私は勝ったとは思っていない。一人ではあなたに追いつけたかどうかわからないし、最後の追い抜きもあそこまでうまくいくかはわからない。この結果は彼女の助けがあってのもの。私一人で勝ち取ったものではないから」

「なるほど……しかしそうはおっしゃいますが、それこそが『勝者の振る舞い』ではありませんこと? 『これは本当の勝利か?』などということに思いを馳せることができるのは、ただ一人、勝者のみでございます。おめでとうございます、泉様。次は負けませんわ」



 そう言った鈴子様に、泉さんは何も言わなかった。

 いつか私も泉さんに同じことを言った。「本当の勝利かどうかなんていうことについては、勝ってから悩めばいい」と。

 あのときは泉さんを勇気づけるためだけに言ったことだったが、今こうしてそれが現実となっているところを見ると感慨深いものがある。

 私としても「そうですよ、今は勝利を喜びましょう」などと声をかけたいところではあるが、今の泉さんと鈴子様の間に入るのは野暮というものだろう。



「……どうも。私も『次は』負けないから」

「ええ」



 少し経って口を開いた泉さんに鈴子様が微笑む。

 泉さんは再びカップに口をつけ、しばし沈黙が訪れる。



「富士沢もおめでとう」

「は?」



 その沈黙を意味不明な一言で破ったのは双見くんだった。

 何がめでたいというのかさっぱり心当たりのない私は素っ頓狂な声が出てしまった。



「お前が最速だ」



 付け足された一言もやはり意味がわからない。

 私が最速? 予選の話だろうか。しかしレースの最終順位に比べれば予選順位なんて価値はほとんど無いと私は思っている。

 決勝レースでトップチェッカーを受けた双見くんがそんな話を持ち出してくるなんて、嫌味としか思えない。

 収まっていたいら立ちが再びふつふつと煮立ってきたのを私は実感し始めている。



「……キツい皮肉だね。ぶっち切りでトップを独走していたくせに」

「どうせ章典外だ。何秒差をつけようとそんなのはどうでもいい」

「そうだね。それでも私のずっと前でゴールした双見くんからそう言われるとは思わなかったけど……!」

「ピリピリするなよ、喧嘩を売ってるわけじゃない」

「じゃあ何!?」

「ファステストだよ。お前の十一周目がファステストラップだ」

「……ああ、そう」



 ファステストラップ。レース中一番速いラップタイムを記録したという栄誉。レース中はそんなことを全く気にかけていなかった。

 より正確に言うならば、その事実を知らされた今もそれほど関心は無い。



「十一周目と言うと、丁度私を後ろにプッシュしていた時ね」

「そうですね。あのあたりが一番タイヤの残りグリップと燃料が減って車が軽くなる一番バランスの取れるゾーンでしたから」

「やはりそうでしたか。私もあの走りをすぐ後ろから見ていて、これは速いということを肌で感じておりましたもの」

「紅さんの十一周目のタイムも富士沢に迫っていましたよ」

「あら、本当ですか?」

「ええ」



 泉さんが会話に入ってきて、代わりに何も言わなくなった私はこの会話を終わらせる別の話題は何かないかと探したが、それを見つけるよりも双見くんが再び話を振ってくる方が早かった。



「途中で一人旅になって、見せ場も無くなっちまったからファステストだけは、と思って狙ってたんだがな……。予選だって負けるつもりはなかった。悔しいよ」

「ふーん」

「興味なさげだな」

「結局一位でレースを終えたのは双見くんだし」

「最終的な順位はともかくとして、だ。予選も富士沢に獲られたし、今日一番速いタイムを出したのはお前だ、富士沢。おめでとう」

「おめでとうございます、富士沢様」

「おめでとう」



 そう言って私の目の前に双見くんの右手が差し出される。

 どうやらこの男は本心から私のファステストラップを祝おうとしているらしい。

 鈴子様と泉さんにも乗っかられてしまってはそれを邪険にするわけにもいかない。私はしぶしぶその差し出された手を握り、固い握手を交わした。



「……私は、今双見くんに『おめでとう』なんて言える気分じゃないよ」



 敗者に向かって『本当は君が一番速かったのにね』などと言えるのは、勝者だけだ。勝者の余裕だけが唯一、その上から目線な賞賛を可能にする。

 私はそれが気に入らない。勝ったなら勝ったでもっと傲慢でいてほしい。

 そうすれば私も心置きなく悔しがれるから。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、双見くんの態度が大きくなり始めた。



「カッカしてるな? まあ無理もないか。俺にまた負けたんだもんな?」

「……やっぱり喧嘩売りに来たの?」

「またすぐ怒る。その性格直さないとスポンサーも見つからないぞ?」

「大きなお世話だよ、まったく」

「……ま、それはそれで助かるけどさ」

「え?」

「富士沢とのレースするのは疲れるよ、やっぱり。できればこれっきりにしてもらいたいね」

「……そう遠くないうちにまたすることになるよ。それまで私より速くなれるよう練習しとくんだね」



 これを言った時の私の顔は、きっと笑みを浮かべていたに違いない。

 煽るような物言いで何を言いたいのかと思えば、それは双見くんなりの二重三重に捻ったエールだった。

 かつてサーキットで戦っていたときに何度か交わしていたかのような軽口。

 F4最終戦でのクラッシュ以降、どこか消えずに残っていた私たちの間のわだかまりがこれで完全に解け切ったような気がして、私は少しだけ嬉しかった。

 願わくば、次はサーキットでこれをやりたいものだ。



「……そろそろ、戻りましょうか」

「かしこまりました、お嬢様。失礼致します、紅さん」

「泉様、本当におめでとうございます。また表彰式で」



 程なくして、二人は自らの席へと戻っていった。

 私はそれをどこかすっきりとした気持ちで見送った。

 私が疑問に思っていた泉さんの速さの秘密が明らかとなったからという理由だけではない。

 鈴子様の複雑な思惑の一端に触れることができたし、双見くんからは限定的ではあるが敗北宣言も引き出すことができた。

 全ての力を出し切って疲労してはいるが、心地よさもある不思議な充実感を私は覚えていた。



「はあ……」



 ひとつ大きく息を吐いた。

 それでようやく、レースが終わったのだということが実感できた。



「大きなため息ね」



 手つかずだったケーキをフォークで小さく崩しながら泉さんが言った。



「なんだか気が抜けちゃって……」

「そう。……あの二人とのお喋りは楽しかった?」

「ええ。……勝てなかったレースの後に楽しいっていうのは、久しぶりでした」

「それはよかった」



 そう言う泉さんはどことなくひっかかるところがあるような素振りだ。



「……どうかされましたか?」

「ひとつ気になっていることがあるの」

「何ですか?」

「双見さん」

「双見くんが何か……?」

「あの人、さっきのレースでの接触を結局謝らずじまいだったわね」

「あっ……」



 双見ぃ! という私の叫びは「それでは皆様、只今より表彰式を行います!」という南山さんのアナウンスによってかき消された。

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