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オーバークール

 現実のF3レースの予選では予選セッション三十分の間に全ての車が同時にコースインし、各車が走行し記録したタイムによって順位を決める。

 レースの予選では最も一般的なこの方式だが、台数が多くなるとアタック中に他車に引っかかり好タイムが出せないという事態が多くなるというデメリットもある。

 無論そうした状況を避けるように、うまく他車と間隔を取りながらアタックアップに入るというのも技術のひとつではあるが、せっかくのバーチャル環境であればそれを利用しない手はない、と主催の泉さんは考えたらしい。



「さて、予選セッションが始まり各車がそれぞれコースに飛び出していきます……が、<それぞれのコース>には他車が一台もおりません。いわば貸し切り状態でございます!」



 聞こえる南山さんの実況その通りの状態となっているガラガラのコースを私はゆっくりと走り始めていた。


 私以外に誰もいない鈴鹿サーキット。現実でも貸し切りは確かできたはずだが、実際にやろうとすればいくらかかるのかを私は知らない。検討しようとさえ思わない金額だろうということぐらいはわかる。


 ひとつのコースに参加者全員を押し込めて無理が出るのなら、各人にひとつずつ用意すればいい。現実では不可能なことだが、ことバーチャルの世界では造作もない。なんなら各人にふたつずつあげてもいい。それに意味があるかはともかくとして。


 全車が各々一斉に走るということで、今回の予選時間は十五分と現実のそれよりも短く設定されている。F3のラップタイムは二分弱だから、アウトラップを除いても七周は走れる計算となる。

普段の予選よりも周回数に余裕は無い。しかし条件は皆一緒である以上、負けるわけにはいかない。


 まずはこのアウトラップでしっかりとタイヤに熱を入れなければ……。






「さあ予選セッション残り時間は三十秒を切り、既にチェッカーフラッグを受けている車両も出始めております! そして今ホームストレートを通過したのは……ゲストドライバーの富士沢さん! どうやら富士沢さんが最後にチェッカーを受けることとなりそうです!」


 南山さんの実況を聞きながら、ホームストレートの路面の左端に描かれている白線に左前輪を寄せて、一コーナーへの進入に備える。

 私は予選最終ラップとなる六周目に突入しようとしていた。


 予選開始後まず三周走り、とりあえず1分52秒台前半のタイムを記録してピットイン。その三周でわずかに操舵に対する応答が遅いと感じたため、前後ロールバーを一目盛りずつハード側に動かし、タイヤを新しいものに替えて再度コースへ。

 セッティングの変更が一瞬で反映されるバーチャルのありがたさを噛みしめながらタイヤを温め、二度目のアタックが終わろうとしているのが今だった。


 タイムは1分51秒846。


「ここで富士沢さんが全体ベストタイムを更新! 現在最終ラップを走っている中で、果たしてこのタイムを上回ってくる者はいるのか!」


 51秒台に入れたことで暫定トップに立ったようだが、南山さんの言う通りまだ最後の計測を終えていない選手もいる。

 画面左側に表示される各ドライバーの順位欄を見ると、まだ半数程度のドライバーに最終ラップを終えた証のチェッカーフラッグマークがついていなかった。


 一コーナーが迫り、視線を左から中央、より正確には画面中央に映るコースの先へと移す。

 コース左端の白線を踏むギリギリのラインからターンイン。F3レベルのダウンフォースがあると、この鈴鹿の一コーナーは全開で行けてしまう。

 間髪入れずにやってくる二コーナーに向けて、一コーナーを抜け切るかどうかというところでブレーキング。

 針に糸を通すような細心の注意を払ってステアリングを切り、スライドを起こさないように立ち上がる。



「さて『舞踏会』の主催、紅が帰ってくる! タイムは……1分51秒804、ベストタイム更新!」



 続くS字コーナーへと入っていく短いストレートの中で私はまた南山さんの実況を聞いた。


 泉さんが私のタイムを上回った。私の走りをコピーしようとする試みは、やはりうまくいっているらしい。



「続いて戻ってくるのは常陸大友貞部氏須帝難四家院様! 現在トップの紅のタイムを……コンマ1超えてみせる! 1分51秒702、ベストタイム更新!」



 鈴子様が泉さんのさらに上を行く。横を見やる余裕はないが、泉さんの苦虫を噛み潰したような顔が目に浮かぶ。


 もし本当に、いや私はそれを確信してはいるが、泉さんがそんな顔をしていたらむしろ安堵する。

 意気消沈しているのでなければ、まだ勝負は投げられていない。レースで逆転しましょう、と内心呟くだけに留める。


 デグナー、ヘアピン、スプーンカーブを抜けて西ストレートへ。130Rコーナーに差し掛かろうとするとき、私以外にまだ最後のラップを完了していなかったドライバーの情報が飛び込んでくる。



「最終コーナーを立ち上がり全開で加速する双見選手のタイムは……格の違いを見せつける堂々のベスト、なんと1分51秒174……!」



 その後もまだ南山さんは何かを言っていたようだったが、もう私の耳には入っていなかった。

 予選でのアタックラップに入ると、いつもこうなる。

 背中のすぐ後ろでエンジンががなり立てる排気音すら聞こえなくなるほどに、あらゆる感覚が走ることただそれだけにのみ向けられる。

 もっとも今回はバーチャル故に排気音は画面近くのスピーカーから鳴っているのだが、その感覚自体は現実で『決め』の走りをし始めたときと同じだった。


 まるで世界全体がこのサーキットに収縮し、そこに私と私が操る車以外何も存在しないような感覚。

 私はこの感覚が好きだった。



「満を持してホームストレートへと戻ってきたのは富士沢さん! 中間のタイムは双見選手とほぼ同じだったがどうか……超えた! 超えました! 1分50秒985! ただ一人50秒台に突入です!」



 コントロールラインを通過してアクセルを緩める。

 南山さんが叫んだタイムと同じ数字が画面上に出ていることを確かめて、ふっと息をついた。


 ポールポジション。一番予選で速かったという証、決勝レースで一番前からスタートできる権利。レーシングドライバーなら誰しもが喉から手が出るほど欲しがっているものだ。もちろん私も例外ではない。

 これ以上望むことはない最高の結果だ。


 しかし不思議なことに、普段なら歓喜の雄叫びのひとつでも上げるこの結果に、私は奇妙なほどに高揚感を覚えていなかった。


 そんな自分に戸惑いながらも、コクピットから立ち上がって観客席に向かってガッツポーズなどをしてみせる。観客席からは拍手が返ってきて、周りのコクピットに座るお嬢様方からも拍手があった。



「富士沢さんのガッツポーズ! お見事な走りでした! さてこれでスターティンググリッドが決定致しました。決勝レースは五分後にスタートです! 皆様ご準備をしてお待ちください!」



 南山さんの言葉によってさらに増した拍手に応えるべく手も振る。笑顔を浮かべているつもりではあるのだが、引きつっていない自身はない。


 しばらくそうした後で私は再びコクピットに座った。


 この気持ちは一体なんなのだろう。

 予選で誰よりも速かったというのはもっと、喜ぶべきことのはずだというのに、まったくもってそんな気分にならない。


 相手が取るに足らない実力だったからか?

 それは違う、と私はすぐに否定する。


 双見くんとのコンマ二秒の差は決して大きいものではない。鈴子様や泉さんとのタイム差だって私が事前に考えていたよりはずっと小さかった。

 これは間違いなく厳しい戦いであり、私は辛くもそれに勝利した。充実感を覚えて当たり前のはずだ。


 私がゲストドライバーで、たとえこのレースで一位を獲ったとしても正式な結果から除外される章典外だからか?

 あるいはやはりまだどこかで、シミュレーターなどくだらないと思っているのか?


 いくつか思い浮かべてはみるものの、どれもしっくりとはこなかった。



「なんなんだ、一体……」



 呟いてはみたが、応えてくれる人は誰もいなかった。

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