TBA - Part 5
「ご来場の皆様、大変長らくお待たせ致しました。ただいまより『舞踏会』開会式を執り行います。お席にお戻りになり、前方のステージにご注目ください」
部屋の奥、壁にかけられた大きなスクリーンに向かって並ぶコクピットたち。その後ろに立った南山さんがマイクを使ってそう呼びかけると、練習をしていたお嬢様やお喋りに興じていたお嬢様は皆一様にそれぞれ用意された席についた。
私はそれをステージの袖に立って眺めながら、ここに並ぶコクピットが無ければこの光景は結婚式の会場に見えなくもないな、などと思っていた。
「……さっきはあの人とずいぶんと話し込んでいたみたいだけど?」
私の隣に立つ泉さんが小声で話しかけてくる。
「一体何を話していたの?」
「気になりますか」
「……別に。ちょっと聞いてみただけじゃない」
「大したことではありませんよ……単なる世間話です」
「……そう。ならいいけど」
ありのままを泉さんに話すのはあまりよくない気がした。
先ほどの鈴子様との会話は、いわば転職の話だ。堂々と「新しい雇い主を探そうという話をしていました」と現在のボスに言うのはよろしくない。
そうした移籍が決して珍しくないモータースポーツの世界を知っている泉さんが相手であっても。
なんだかんだ言っても、私は泉さんに恩義を感じている。
だからこそ泉さんには喜んでもらいたいし、悲しんではもらいたくない。それは私が雇われているからというわけではなく、例え雇われていなくてもそう思うだろう。
しかし一方で私にはレースに復帰したいという思いもあり、それはどうしても泉さんを喜ばせるということよりは優先度が高くなる。
そういう話は、しかるべき時が来たらすればいいだろう。今やるべきことはそのしかるべき時を手繰り寄せることだ……。
「まず初めに、今回の『舞踏会』の競技委員長を勤めます紅陵介よりご挨拶を申し上げます」
南山さんのその言葉を合図にさっそうとステージ中央へと躍り出たのは紅さんだった。
「ただいまご紹介に預かりました紅でございます。今回の『舞踏会』開催にあたり、一言ご挨拶を申し上げさせて頂きます」
慣れた様子でとうとうと話す紅さんを遠巻きに見ながら、私はしばし呆気に取られていた。
「あれ……紅さんは今日大事な仕事があるって言ってませんでしたっけ? 私、朝お送りしてきたんですけど……」
「どうしてもレースを見たいからって、すぐに終わらせてきたらしいわ……困った人ね」
「そうなんですか……」
泉さんはそうため息をついてみせるが、無理矢理にでもやるべき仕事を終わらせて時間を作ることのできる能力の高さこそが、紅家に富をもたらしているのかもしれない。
未だに紅さんがどのような仕事をしているかは知らないが、おそらくはやり手なのだろう。考えてみれば一緒にレースを戦っていたときも、助けられたことは幾度もあったが足を引っ張られたような記憶は全く無い。
「……を申し上げまして、開会のご挨拶と致します。ありがとうございました」
そんなことを考えていると紅さんの話は終わっていた。
学生だった頃、入学式や卒業式で長ったらしい挨拶に辟易としてきた私にとって、紅さんの短い挨拶はその有能さを裏付けるものとして映った。
「続きまして、本大会に出場致しますゲストドライバーをご紹介致します。まずは一人目のゲストドライバー、現役のレーシングドライバーであり今年度のF4チャンピオンの双見勝選手です! 一言ご挨拶を頂きます」
ステージを挟んで私達の反対側にいた双見くんが中央に歩み出て、南山さんからマイクを受け取った。
「只今ご紹介に預かりました双見です。今回はスポンサーの常陸大友貞部氏須帝難四家院さんにお誘いを受け、お邪魔させて頂きます。レースでは全力を尽くします。応援よろしくお願いします!」
こちらもまた短い挨拶だった。双見くんが一礼すると、会場に拍手が響く。私と泉さんもそれに倣う。
「……『応援よろしく』って、ここにいるのはレース参加者とその身内なのに、誰がわざわざ敵を応援するって言うのよ?」
泉さんが一人ごちる。私もまったくもって同意見だが、相槌を返している暇は無かった。段取りでは双見くんから間を置かず私が紹介されることになっているのだった。
南山さんにマイクを返し舞台を降りていく双見くんと入れ違いになるように私は歩き出した。
「続きまして、二人目のゲストドライバーのご紹介でございます。今年度のF4にて最終戦まで双見選手と熱戦を繰り広げました、富士沢三百合さんです!」
南山さんのその言葉を聞いて、わかっていても胸がきゅっと締め付けられた。
富士沢三百合『さん』。私はもう『選手』ではなくなっている。
マイクを手渡されてステージの中央に立ち、私は話し始める前に会場をしばし見渡した。二十一人のお嬢様と、そのお付きの執事さんたちの視線が私に向いている。
こうして一段高いところに立って集団の視線を浴びるというのは初めてではなかった。悪い気分ではない。しかし、私が好きなのは高い場所に立っているのを見られることそのものでは、もちろんない。
私にとっての至福は、表彰台に立って、チームのメンバーや取材に来ているメディア関係者から仰ぎ見られることだ。
このお嬢様たちのどなたかが、私を再びそこへ立たせてくれるといいのだが。私はまだちくちくする胸の痛みをごまかすように息を吸って、話し始める。
「皆様、こんにちは。富士沢と申します。ただいまの説明にありました通り、私は先ほどご挨拶をされました双見選手とつい先日までF4の選手権を争っていました。そして、先ほど彼がチャンピオンとして紹介されたことからもおわかりかとは思いますが……私は彼との戦いに敗れました」
まだ乾ききっていないかさぶたを剥がすような言葉がさらに私の胸をつついたが、気にしてはいられなかった。
「私の方が有利な状況で迎えた最終戦、私と双見選手は接触し、私がそのままリタイアした一方で彼は走り続けてトップでフィニッシュし、逆転でチャンピオンに輝きました。そのせいでほぼ決まっていた来年のシートも白紙になり、レーシングドライバーは休業状態です。今はこの『舞踏会』の主催である、紅の元で使用人として働いています」
会場からわずかに感嘆のため息が聞こえた。失職したプロドライバーを使用人として雇うというのは、お嬢様方にとってもなかなかに予想外なことであるらしい。
「こうした結果については、ただただ悔しいの一言です。私は、自分が双見選手よりスピードが無いとは思っていません。けれどもどんなに私がそんなことを主張しようともチャンピオンを逃したという結果は覆らず、また再戦の機会も奪われてしまいました。……そんなときに、私は紅に拾われ、レースシムというものに出会いました。実のところ私は、つい最近までシミュレーターに関してほとんど興味を持っていませんでした。いえ、より正確には、どこか見下していたと言っても過言ではありません」
そう言うと今度は驚きの声が上がる。こうもリアクションに富んでいると話し手をしてはやりやすくて助かる。お嬢様という人種は裏表の無い、根が素直な方が多いのだろう。例外はあるが。
「いくらリアル、リアルと言っても所詮はゲームだろう……そんな偏見がありましたが、それを打ち砕いたのが現在の私の雇用主の紅と、双見選手でした。紅には一度レースをしたところ手も足も出ずに負けてしまい、双見選手には実車のレースもレースシムと同様に価値のあるスポーツだということを教わりました」
『落として、上げる』という話の構成で、何とかお嬢様方に強い印象を与えようという作戦だ。
かつてはナメきっていたレースシムも、今では私がもっとも情熱を注ぐものとなっています。そういったまとめ方をした上でレースに勝利をすれば、「あら素敵」とスポンサーとなってくれるお嬢様が出てくる……はずだ、たぶん、だったらいいな、と。
「そうした経験を経て、レースシムは私の中で単なるゲームから全身全霊をかけて取り組むべきものへと昇華していきました。紅との再戦にて勝利したことで実力を認められ今ここにこうして立っています。今日のレースでは、三つ明らかにしたいことがございます。ひとつ目は、私を始めとするレーシングドライバーはシミュレーター上でも速いということ。ふたつ目は、レースシムがリアルモータースポーツと肩を並べる崇高なスポーツであること」
そこで一旦言葉を切り、会場を一瞬見渡した。招待客のお嬢様方と執事の皆様、そして部屋の両横側にそれぞれ控える泉さんと双見くんを一瞥し、息を再び吸い込んだ。
「そして三つ目は、私が一番速い、ということです」
そう言い切ると、わあ、ともまあ、ともつかぬ小さなどよめきが起こる。
「しばらくは叶わないと思っていた双見選手へのリベンジ。それを今回、このレースで成し遂げることでこれまでに申し上げた三つのことを同時にお示ししたいと考えております。あえてこう言わせて頂きますが、『現役』のレーシングドライバーとして、『現役』のレーシングドライバーたる理由をお見せいたします。本日はよろしくお願いします!」
決意表明、そして宣戦布告だった。一礼してステージを去る私に拍手が贈られる。その音が双見くんのときよりも大きく響いたように聞こえるのは気のせいか、あるいは。
「富士沢さん、ありがとうございました。それでは選手の皆様、会場前方のご自分のコクピットにご着席ください」
南山さんがそう言うと、お嬢様方が三々五々コクピットへと移動する。私と泉さんは主催側という立場のため、コクピットへ向かうのは一番最後になる。
「話が長い」
「あの二人が短すぎるんですよ。普通です」
お嬢様たちの移動する様子を見ていると、泉さんからダメ出しをもらった。
私としても結構喋ったという感覚はあったが、時間にすれば三分も経っていないだろう。レースをやっているとどうしてもせっかちになるものだ。
「ずいぶんと挑戦的なスピーチだったわね。誰に何を吹き込まれたのか知らないけど」
「……知ってらっしゃたんですか?」
私と鈴子様が交わした会話を知っているとしか思えない泉さんの言葉だったが、「急に『現役』がどうとか言い出せば、だいたい想像はつくわよ」と続いたことで、そうではないことがわかった。
「このレースで勝って、新しいスポンサーとなってくれる人を見つけましょう、なんてことを言われたんでしょ」
「……いえ、その、何と言いましょうか……」
「それですっかりその気になって、アピールのために大口を叩いてみせた。違う?」
まったく違わないのだが、その通りですと答えるわけにもいかず、どう返事をすべきかと逡巡する。
「もしそのつもりなら、ひとつ忘れていることがあるわ」
「……なんでしょうか」
「うちへの借金」
「あっ……」
たとえパトロンの申し出があったところで、自身がそれを受けるかどうかを決められない身分ではないことを、私は完全に失念していた。
泉さんはそんな私を見て、小さくため息をついた。
「いいわよ、別に」
「えっ……?」
「もしオファーがあれば、それを受けても」
「いいんですか……? しかし借金が……」
「そんなものはどうとでもなるでしょう。何なら新しいスポンサーに払ってもらえばいい」
泉さんの急な心変わりに私は喜ぶというよりもむしろ困惑した。何故いきなりそんなことを言い出したの蚊が理解できない。
「……今になっても、彼女に勝てる自信が無いの」
「……あ」
その言葉で私は思い出した。泉さんが「実車レースを始めてもいい」と言ってくれた条件は、「泉さんが鈴子様にこのレースで勝つこと」だった。
「笑ってくれていいわ」
「そんな……」
「この『舞踏会』に向けて、私の特訓にあなたはできる限りのことをしてくれた。それでも今回私が勝てなかったら、あなたの努力は全て水の泡になる」
勝とうが負けようが、実車レースを始めればいいじゃないか、というのは私の論理で、それを泉さんに押し付けることはできなかった。「レースシムで勝たなければ実車の世界には行かない」という判断は、私にとっては理解できないが、それはそれで高潔な論理で、私は泉さんのそうした判断を尊重したいと思う。
「だから、もし私が勝てなくて、それでいて誰かがあなたのスポンサーになりたいというのなら、そちらに行ってもらって構わない」
「……そう、ですか」
これについて、私は「ありがとうございます」などと言うべきなのだろうか。
言葉が見つからない私に、「……もちろん、負けたくはないし、負けるつもりはないけどね?」と微笑んで見せる泉さんだったが、その笑顔はやはりどこか儚げだ。
「そうですね……そろそろ、行きましょうか」
「ええ」
お嬢様方が私たちを除いて全員着席したようだったので、私たちもコクピットへと歩いていった。
私に用意されたコクピットは部屋のほぼ中央に位置していた。右隣のコクピットには双見くんが座り、そのさらに右には鈴子様が収まる。左側の隣は泉さんだった。
私はコクピットの傍まで来ると、それに乗り込み正面のディスプレイを見つめ続けた。右隣の双見くんと、さらにその先にいる鈴子様にも、反対側にいる泉さんももう見ることはしなかった。
鈴子様の提案と、予想に反してそれを認めると言ってくれた泉さんの言葉がずっと頭の中をぐるぐると回っていて、二人の顔を見ることができなかった。双見くんとはいずれにせよレースが終わるまで口を利くつもりはない。
「皆様、ご準備はよろしいでしょうか? それではここで競技委員長より競技開始の宣言です」
「それでは……Ladies, Start your engines!」
再びステージへと出てきた紅さんがノリノリで叫ぶ。こんなにもコースインの瞬間に気分が乗っていないのは初めてだった。そのせいか、この宣言には双見くんが勘定に入れられていないな、などとどうでもいいことを思った。




