TBA - Part 3
「こちらが会場でございます。中に係の者がおりますので……」
「ありがとう存じます」
招待された最後のお嬢様がお見えになり、受付係としての仕事を終えた私は今しがたお見送りした最後のお嬢様と執事さんがドアをくぐってから少し時間を置いてそれに続いた。
会場の奥では既に何人かのお嬢様がコクピットに収まり練習を開始している一方で、手前側に用意されたテーブルにつき談笑されているお嬢様もいる。
お嬢様とそれにつき従う執事さん、さらにはスタッフとして南山さんが雇った数人のアルバイトさんも加わって、会場はかなりのにぎわいとなっていた。
そんな中、泉さんは一人入り口近くの壁際に立っていた。
「招待された方が全員いらっしゃいました」
「ご苦労様」
近付いて仕事が終わったことを告げると、ねぎらいの言葉は返ってくるも視線はこちらに動かない。
一体何を見ているのかと視線を追うと、その先には部屋の奥のコクピットが並ぶスペースがある。
そのスペースには昨日の時点では一か所だけ何も置かれていない空間があった。私物のコクピットを持ち込むというお嬢様のために空けてあった場所だ。
そこには今まさにコクピットが設営されている。作業を進めるのはスーツ姿の執事さんたちで、それを少し離れて眺めているのは鈴子様だった。
「コクピットを持ち込まれるお嬢様とは……あのお嬢様だったんですね」
あの長ったらしい名字は一度聞いただけでは覚えられず、かと言って名前を口に出して呼ぶというのも馴れ馴れしくて憚られる。仕方なく『あのお嬢様』と呼ぶことにしたのだが、ここで私は泉さんや南山さんが『あの人』や『あのお方』と呼んでいた理由を理解できた。
何ももったいつけていたわけではなく、今の私と同じく単にあの長い名字を言いたくなかっただけか……!
私は左手に持っている受付で使っていたリストを眺めた。お嬢様方の名前が並ぶ中一人だけ裏面に記された鈴子様のお名前は総数十五文字。言うのも面倒だが書くのも面倒そうだ。
学校のテストなどで名前を書くのが嫌になったりはしないのだろうかとどうでもいいことを思った。
「最初は断ろうと思ったんだけど」
「南山さんから聞きました。『お土産』を条件に承認されたと」
「まあ、持ち込んでくるものもこちらが用意したコクピットと比べて特別に有利になるというものでもないみたいだし、ね」
南山さんが用意したコクピットは全て泉さんが使っているものと同じ、最高級品と言って差し支えないものだった。三十台近く用意するのに一体いくらかかったのか、私には想像もつかない。
「どうしてあの方はわざわざ『お土産』を用意してまで、ご自分のコクピットを使おうとするんでしょうか?」
「さあ? 私にはあの人の考えることはわからない。どうせ大した理由なんてないんでしょうけど」
泉さんはそうやって関心がないようなことを言うが、視線はずっと鈴子様の方を見据えている。
一方で「あの人の考えることはわからない」というのは本当だろうと思える。私もコクピット神輿に乗って登場する行動の意味はわからない。正直あまりわかりたくもない。
「……あのお嬢様は、一体どういった方なんですか?」
私は視線を泉さんの方へ戻して尋ねた。行動原理はともかくとして、鈴子様について知りたいことはあった。
鈴子様はどのような人物なのか。
どれくらいの速さなのか。
泉さんとはどんな因縁があるのか。
常陸大友貞部氏須帝難四家院家の玄関にかかる表札は何メートルあるのか、などなど。
私の問いかけに泉さんもこちらに向き答えてくれた。
「常陸大友貞部氏須帝難四家院鈴子……この『舞踏会』に君臨する女王よ」
「女王……ですか」
「この場にいる誰よりもお金持ちで、誰よりも速い。『舞踏会』での通算成績は十六戦十五勝。うちポールポジション十六回、ファステストラップ十六回、全周回トップ十五回」
冗談でしょう、と言いたくなるぐらいに圧倒的な成績だ。
泉さんの言葉を信じるならば、鈴子様は一回勝てなかった以外は全て最高の結果を残していると言うことになる。
「あまりに強すぎて本人も退屈したのか、最近の『舞踏会』にはずっと姿を見せなかったけれど、どういう風の吹き回しか今回久しぶりに出てきている……」
「レースがしたくなったんじゃないんですか?」
「どうかしら。実際のところは……本人に聞いてみましょうか」
そう言って泉さんが顔を向けた先には、こちらに歩み寄ってくる鈴子様の姿があった。程なくして鈴子様は私達の目の前までやってきた。
「ごきげんよう、泉様。先ほどはお騒がせいたしまして、申し訳ございませんでした」
「……お気になさらず、鈴子様。今回久々に『舞踏会』へお出まし頂いたこと、主催者として光栄の極みです」
「わたくしの記憶が確かならば、泉様が『舞踏会』の主催をなさるのは今回が初めてのはず。馳せ参じないわけには参りませんわ」
「何か特別な理由でも?」
「だって泉様は、わたくしに唯一黒星をつけた、わたくしのライバルですもの」
「やはりそのことですか……以前から言っているように、あれは単なる偶然ですので」
「偶然であろうとなんであろうと、結果が全てを物語るのですわ。ねえ、富士沢様?」
「えっ、はい!」
鈴子様の十六戦全勝を阻んだのは他ならぬ泉さんであったらしいことを聞き気になっていると、突然鈴子様がこちらに振ってきて素っ頓狂な声をあげてしまった。
「私をご存知とは……光栄です」
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。わたくし常陸大友貞部氏須帝難四家院鈴子と申します。お気軽に鈴子とお呼びくださいませ」
「富士沢三百合です。よろしくお願いします」
「わたくし、富士沢様の大ファンですの! どうか握手をして頂けませんこと?」
「ええ、是非……」
ファーストネームを呼ばせてくれるというありがたい申し出と共に、鈴子様の手が差し出された。右手で握ると両手で包み込んでくる。見た目から想像した通りのやわらかな手だった。
しかし鈴子様が私のファンとは。泉さんもそうだと言ってくれたし、ひょっとして私はお嬢様に人気があったりするのだろうか。もしそうならとても嬉しい。
「富士沢様は泉様のコーチをやっていらっしゃると風の噂で耳にしております」
「はい。その通りでございます」
「泉様は、富士沢様の教えを受けてずいぶんと速くなられたのでしょうね」
どう答えたものだろうか。速くなっているのは間違いないのだが、使用人として謙遜すべきか、コーチとして褒めるべきか。
そもそも正直に速くなったと言ってしまえば鈴子様を警戒させてしまい、泉さんが不利にならないだろうか。
「なりました」
しばし言いよどんでいると、泉さんが代わりに答えた。
「自信を持って言えます。今度は偶然にはならない」
泉さんはしっかりと鈴子様の目を見据えてそう言い放った。
そのあまりの力強さに、私は不謹慎かもしれないと思いつつ少しわくわくすることを抑えられなかった。
これは丁寧な言葉遣いではあるが、完全に宣戦布告そのものだ。
単なる知り合いよりかはずっと濃密で、けれども友達というほど親しくはない、ただ戦うことによってのみ成立する関係。
そんな特有の距離感をお二方から私は読み取った。
つい先日まで私自身がサーキットで双見くんやその他のライバルに対して覚えていた懐かしい感覚だった。
これから、お遊びなどではない本気のレースが始まるのだということを改めて実感する。
「さようでございますか。それはつまり裏を返せば、言い逃れができない状況、ということですわね」
鈴子様は鈴子様で全くたじろいだ様子も見せず、やわらかな表情のままカウンターを放つ。
言い逃れができない状況とは、これで負けたら泉さんは完全に鈴子様に屈したことを認めざるを得ないということになる、ということだ。
泉さん自身は鈴子様に一回だけ勝ったのは「あくまで偶然」と主張してはいるが、鈴子様としては今回泉さんを負かすことで自分の方が絶対的に上だと示したいのだろう。
「この日のためにいろいろ準備を重ねてきたから、楽しんでもらえると思うわ」
「お互いにいいレースをしましょうね」
そう言ってうふふ、などと微笑みを交わし合うお二人だが、目は全く笑っていない。
私も私でこのボルテージが高まっている雰囲気は嫌いではないので、こちらも口許に笑みを浮かべるなどしていた。
これは面白くなってきた。
私も同じレースに出るという都合上、このお二人の戦いをじっくり見ることができないのは少し残念だったが。
「それにしても……プロドライバーをコーチに雇うとは、思い切ったことをなさったわね」
「お褒めに預かり恐悦至極。……羨ましい?」
いよいよ丁寧語すら捨てつつある泉さんの自慢気な問い。
考えてみれば、私の存在は泉さんが持つ鈴子様に対して持つ数少ないアドバンテージではないだろうか。
鈴子様はどのお嬢様よりも速い、と泉さんは言っていたが、私のコーチによって泉さんは私に迫る速さを身に着けたのだし、いざとなれば以前冗談半分に提案したようにレース中に私が泉さんの走りをアシストするということもできる。
泉さんの自信に満ちた態度にはそんな裏付けもあるのだろうという私の考えはしかし、あっさりと覆された。
「いいえ、全く」
「でしょうね」
予想に反してにっこりと笑う鈴子様。一方で、ばっさりと切り捨てられたことに泉さんは動じていないようだった。
「わたくしは泉様より速い……。そんなわたくしの使用人もまた、泉様の使用人よりも速くてしかるべきですもの」
こちらもこちらでドライバーにありがちな「自分が一番速い」というエゴを隠さなくなってきた鈴子様のその理屈は、正直なところ私にはよくわからない。
ただしその口ぶりからすると、鈴子様にも泉さんにとっての私のようなポジションの使用人がいるのかもしれない。
「そのご自慢の使用人の紹介はしてくれないの?」
泉さんがそう聞いたことで、予想が間違っていないことを私は確信した。
鈴子様はプロドライバーとしての私のことを知っていた。その上でなお、この富士沢三百合よりも速いと断言できる使用人とは、一体何者なのか。私としても興味は大いにある。
「少々お待ち頂けますこと?」
鈴子様はホールの奥側でコクピットの準備をしていた執事さんの集団に向けて手招きをした。それを見てすぐさま駆け付けた執事さんの一人に鈴子様は言った。
「ベッテルを呼んできて」
「かしこまりました」
「ベッテル……!?」
聞くや否や早速ホールを出て行ってしまった執事さんの背中を見送りながら、私は思わず呻いた。
私が知っているドライバーでベッテルと言えば、一人しかいない。まさか世界チャンピオンに幾度も輝いたあのドライバーがここに?
超のつく程のお金持ちのお嬢様ならば、そんな超のつく程の大物を呼ぶことすら可能なのか……?
私とは対照的に平静そのものなお二人の間に再び会話が生まれないうちに、ホールのドアが開け放たれた。
「バババババッババ、ババババババッバ、バババババババ、イエス!」
私の視界に、珍妙な歌を口ずさみながら、そのベッテルと呼ばれた人物が現れた。
その声はドイツ風の名前とは裏腹に流暢な日本語で、風体もアジア系の男性だった。どう見ても日本人だ。
……というか、この人は……。
「双見くん……?」
「……えっ、富士沢!? どうしてここに!?」
『ベッテル』なる名で呼ばれた執事の一人は、双見勝くんその人だった。
呆気に取られる私に、「わたくしの『お土産』、お気に召したのなら嬉しいのですけれど」という鈴子様の声が届いた。




