ドライバーズ・ミーティング - Part 2
小一時間ほど様々なパターンの走行を試してもらったところで、分析に移ることにした。
走行を終了した泉さんがすっぽりと収まっているバケットシートから体を引き出すのに手を貸して、再び私たち二人は机に向かう。
「……どう?」
席につくやいなや、おずおずと上目遣いでこちらを窺うように尋ねてきた泉さんの様子を見ると、やはり彼女にとって『走り』は、そして『あの人』に勝つということは他とは違う意味を持つのだと思わされた。
それだけに相応の真摯さを持ってことに当たりたいが……どう言ったものか。私はしばし逡巡する。
一言で言うならば、下手ではない。ただし目を見張るほど上手というほどでもない。
私を上の上としたら泉さんは中の上、あるいは上の下と言ったところか。
コーナー前でしっかりブレーキを踏んでスピードを落とし、確実に向きを変えて、タイヤを滑らせないように加速に移るといった基本は抑えられている。
しかしそのどれも精度はそれほど高くない。ズブの素人だった状態から経験を積んだことである程度の走りはできるようになったものの、その『ある程度』という壁を超えることができていないという印象を受けた。
一見しただけではそこそこ走れてしまっているのが始末が悪い。飛びぬけて悪いところはないので、「どこが悪いのか」と聞かれれば「全部がそこそこダメですね」とでも答えなければならなくなってしまう。
「どこが悪いとか、ここをもっとこうした方がいいとか」
考え込んでいた私に、泉さんが一番聞きたくなかった問いを持ってくる。
聞かれてしまったからには、答えるしかなかった。
「全部ダメですね」
「……もっと言い方というものを考えたりはしないの?」
「失礼しました。全部がそこそこダメですね」
「フォローになってないわよ」
そんなことは百も承知だが、こちらとしても言質は取っているので非難されるいわれもない。なにせ今はお世辞を言っている時間すら惜しいのだから。
「『ガチで来い』と言っていたじゃないですか」
「限度というものがあるでしょう……」
「そこまで器用じゃないもので……。私にできるのは、泉さんを速くすることだけです」
「何か見つかったの?」
抜き身な私の言葉に瞳を潤ませていたかと思うと、速くできるという私の言葉に今度は目を輝かせてみせる。
未だに十分とは言えないものの、少しづつ泉さんも気持ちを表に出してくれるようになりつつあるのかもしれない。
「全部がそこそこダメ、というのは……言い方を変えれば、とりたてて悪いところは特に無い、という意味でもあります」
そんな期待に満ちた眼差しからやや目をそらしつつ、これもまた何の慰めにもならないことを承知で私はそう言った。
「『どこが悪いのかがわからない』とおっしゃってましたが、それも当然です。どこも悪くはないと言うことだってできるのですから」
「ええ。……それで?」
先を促す泉さんには気の毒だが、続きは無い。
「以上です」
「え?」
「全てがそこそこできていて、これといった弱点がないのであれば、どこか一点に集中して鍛えるという当初のプランは成り立ちません」
「そんな……。じゃあ、私にどうしろって言うの? 『舞踏会』は一週間後なのよ」
「承知しております」
「時間が無いのに……本当に、勝てるの?」
泉さんの表情が再びしゅんと曇るのに心が痛む。泉さんのそんな顔を私は見たくなかった。
「ご安心ください。私には秘策があります」
「秘策? どんな?」
「今はまだ明かせません。ある程度の経験を積んだ後、初めて本当の意味を理解して頂けるような内容ですから」
「つまりは、今はがむしゃらに走り込めってことね」
「その通りです。さあ、続きをやりましょう。今回はロングランを想定して走ってみましょうか」
「わかった。あなたがそういうのなら、信じてやってみる」
「ありがとうございます」
泉さんは席を立ちコクピットへと向かう。私もそれについていって横で走る様子を見ることにした。
タンクに燃料を多く積み、グリップは控え目だが長持ちするハードタイヤで長距離を走るロングラン走行は、練習としては走行距離に応じて変化していく車の動きを掴むのにいい。
満タンで重く、温まり切っていない硬いタイヤを履いた車でどう走るか。走行を続け燃料が減って軽くなったことで車の挙動にどういう違いが出てくるか。さらに走って消耗していくタイヤでタイムロスをいかに抑えるか。
しかし私がロングランを指示したのは、もっと別の理由からだった。
ロングランは、その性質上一回走り出すと終わるまで数十分程度はかかる。
つまりはこれからしばらく私は走行に集中する泉さんの話相手とならなくてもよい。この与えられた数十分の間に、私にはやらなければならないことがある。
「じゃあ、始めるから。途中でも何か気付いたことがあったら、遠慮なく言って」
「ええ。わかっております」
とは言うものの、これからの泉さんの走行を私は観察するつもりなどなかった。
泉さんに話した『秘策』。その内容を明かさなかった理由は単純で、実際のところそんなものは無いからだ。
あれはその場を取り繕うためのまったくの出まかせで、一発逆転のアイディアを私はいまだに思いつけていない。
期待していた一点突破で上達するという方法が使えないとわかったことで、再び弱気の堂々巡りに囚われてしまった泉さんに練習を続けさせるにはこうするしかない。
「これで勝てるのか」との問いに「たぶん勝てます」と言ってさっきはやる気を出してもらったが、同じ手が何度も通用するほど泉さんも単純ではないだろう。
ならば次は「これをやったら確実に勝利に近づける」ということを匂わせて練習してもらう、という魂胆だった。
ただ、そうは言っても練習を終えた泉さんに「秘策があるというのは走り込んでもらうためについた嘘でした」と明かすのはよろしくないだろうとも思う。
私だって嘘はつきたくない。実際にはもうついてしまっているが、嘘を嘘のままにしたくはない。
短くない時間を私の言葉を信じて練習に費やしてもらったのなら、何かそれっぽい言葉のひとつでもかけて差し上げたい。
それで泉さんが納得するかどうか、そこから何かをつかむかどうかは別にして、とにかく体裁だけは取り繕っておかなければならない。
これからの時間は、そのコメントを考えるのに充てる時間だ。
走行を開始した泉さんを横目で見る。
形のいい唇を真一文字に結び、真剣な眼差しで仮想世界で車を操ることに集中している。
その視線の先には、私には見えない『あの人』の幻影を追っているはずだ。
不安をどうしても隠し切れないでいるその表情に、私は大丈夫ですよ、と内心呟いた。
大丈夫です。泉さんは勝てます。そして私はそう信じてもらえるだけの言葉をこれから思いつきますから。
たぶん。きっと。おそらく……。
結論から言うと、何も思いつかなかった。
「ふう……そろそろ、いいかしら?」
「え、ええ……」
泉さんはコクピット横に備え付けられたキーボードのEscキーを叩き、走行を終了した。画面がラップタイムを表示するタイミングモニターへと切り替わる。
「さて、それでは聞かせてもらうわ。秘策を」
長時間の走行で疲労したためか、コクピットに座ったまま泉さんはこちらも真っすぐ見据えてそう言った。
その眼差しに、私はこれが逃げられるような状況ではないことを今更ながら実感させられた。
「えー、その、なんと申しましょうか……つまり……」
黙っているわけにはいかないので口を開くが、なにぶんかける言葉を持ち合わせていないのでしどろもどろになってしまう。
喋りながら何か考えが浮かびはしないかと望みをかけてみるが、そんなことが起きるはずもない。
「……泉さんご自身としては、いかがでしたか?」
「相も変わらず、特に思いついたことは無いわ」
「そう、ですか……」
しゅんとする泉さんに対して、私は別の理由で意気消沈した。
こちらにネタがないならば、向こうに話してもらって時間を稼ごうと思いつくも、それがあえなく失敗に終わったからだ。
そもそもわからないから私の話を聞こうとしているのであって、そんな答えが返ってくるのは当たり前だった。
「……今回、ロングランをやってもらったわけですが、実はこれは『舞踏会』には直接関係がありません」
言うに事欠いて、私はまた言うべきでないことを口に出してしまっていた。
言っている内容自体は正しいが、これでは意味のないことをやらせていたと告白するようなものだ。
じっとこちらを見つめている泉さんの眉間にわずかに皺が寄る。冷や汗が私の背中に滲みだす。
「いえ、その……。『直接』関係ないというだけで、決して意味のないことをやらせていたわけではないのですが」
「……確かに、それは気になってたわ。『舞踏会』は十二周のスプリントレースだもの。満タンとハードタイヤでのロングランの練習は一見すると活かせない」
泉さんはそれに気付いていた。驚くことではない。泉さんぐらいの知識があれば、そういったことにはすぐに思い至るはずだ。
そうした違和感を覚えながらも、泉さんは私の指示に従った。それがどういうことが、私はわかってしまっている。
「でも、あなたがそれをやれと言ったから、私はやった」
「……わかっております」
「どうして、とは聞かない。ただ、秘策を教えてくれたらわかるんでしょう?」
私が奥の手を用意していることを全く疑っていない泉さんに、実は無いんですよそんなもん、と言えたらどんなに楽だろうか。
泉さんがここまで私を信じてくれているのに、私はそれに応えることができない。
情けないの一言に尽きる。任せろと言った舌の根も乾かぬうちにこんなことになるなんて……。
ここまでだ。
私は降参することを決める。
正直に何も思いつかない、この状況を打開するやり方などわからないと言ってしまおう。
泉さんの期待を裏切る形にはなってしまうが、嘘をつき続けて時間を浪費するよりはずっとマシだ。
「えーと、その……わ……」
わからないんですごめんなさい、と言おうとしたところで、何故だか私は言葉に詰まってしまった。
言いかけたまま止めた私を不思議そうに泉さんが見る。
「……わ?」
「わ……私の走りを見てください!」
よせばいいのにまだ諦めないのが私なのだった。
「教えてくれるんじゃないの?」
「まだです。まだもうちょっと必要なんです。でもこれから私の走りを見て頂ければわかります。本当です」
「そうなの……?」
本当です、と付け加えたせいでかえって嘘らしく聞こえてしまっているだろうことには、言い終わってから気付いた。
そしてどこか訝し気な表情の泉さんを見れば、その通りになってしまっていることはまず間違いない。
「まあ、いいわ。そこまで言うのなら、見せてもらおうじゃない」
それでもなおついてきてくれるという泉さんに、申し訳ないやらありがたいやらで顔向けすることができず、私は背を向けてもうひとつ空いているコクピットへと近付いた。
「どうせならログも取ってみせてちょうだい」
その歩みを止めたのは、泉さんからのその一言だった。
「ログ……ってなんですか?」
「見たことないの? ログ。クリムゾンでも使ってなかったかしら。……こういうのよ」
ログという言葉に少々聞き覚えがあり思わず振り返った私に、泉さんは画面に向き直ってマウスを操作し画面にログとやらを出して見せた。
泉さんの言うログとやらが私の心当たりそのものと同じかどうかを確かめるために画面を覗き込むと、それぞれに折れ線グラフが表示されている五つのウインドウが表示されている。
それらグラフが表しているのは車速、ギアポジション、ステアリング角度、アクセルペダル踏み込み量、ブレーキペダル踏み込み量、エンジン回転数らしいことが読み取れた。
「これって……」
「さっきの私の走行データを記録したログデータよ。……本当に初めて見るの? 確かクリムゾンでは使ってたと思うんだけど……」
見るのは初めてではない。むしろ見飽きていると言ってもいいほどに何度も見た画面だ。
泉さんの言った通りに、クリムゾンでレースをやっていたときに、四六時中眺めていたものだ。
私がログと聞いて思い浮かべたそのものがそこには映っていた。
「……これです! これが私の『秘策』です!」
このログデータの存在は、今の私にとって天の助けにも等しい。
突然興奮しだした私に困惑する泉さんを、私は思いっきり抱きしめたい衝動に駆られた。




