Dancing with the Ladies
「舞踏会?」
「そう、『舞踏会』。それに私と出てほしいの」
「無理です」
ある日のこと、レッスンが一段落しリビングへ移っておいしい紅茶とお菓子で休憩しているときだった。
泉さんから出た唐突なお願いに私は即答した。
あいにく私にダンスの心得は無い。小学生の頃に地域の夏祭りで盆踊りをしたことがあるくらいだ。
そもそも舞踏会で踊るようなダンスとは男女のペアでやるものなのではないのか。
「なにも本当にダンスの相手をしろと言っているわけじゃないわ」
「そうなんですか」
舞踏会に出ろといいながらダンスをしなくていいとは、審査員でもやれというのだろうか。
ものごとの評価基準をタイム以外に持っていないレーシングドライバーとして生きてきた私には、いずれにせよ荷が重すぎる。
ダンスについて知識が無いとは言え、評価基準に『速さ』なんてものがないだろうことぐらいは私にだってわかる。
「『舞踏会』というのはあくまで通称。その内容は私のようなレースシムを趣味とする令嬢が集う内輪の大会よ」
幸いなことにそうではなかったようで、泉さんから用意された舞台は、ダンスに比べれば私もいくらかは自身のある分野のものだった。
ここまで全く無かった興味が少し湧いてくる。
「なるほど……お嬢様たちが集まるからそういう名前なんですか」
「そう」
「なんか、いいですね。優雅な感じがして」
実際のレースは優雅という雰囲気からは程遠い。観客の側はともかく、出場している側にとっては。
ドライバーは緊張と興奮でピリピリしているし、ドライバー以外のチームのメンバーにしてもそれは同じだ。
誰もが一位を目指している。一位になるための方法は、当たり前だが他の誰よりも早くゴールすること。
そのためにレースに携わる人々は、いかにライバルを蹴落とし、出し抜き、叩きのめすかということばかりを考えている。そんなことで優雅な雰囲気が醸し出されるわけもない。
それに比べると『舞踏会』はさぞ和やかに違いない。なにしろ他人と競うことから最も離れていると言ってもいいお嬢様という人種による集まりなのだから。
挨拶は「ごきげんよう」から始まり、おいしいお茶やお菓子に舌鼓を打ちながら楽しくレース。きっとそういうやわらかな雰囲気なのだろう。
「ぶつけてしまっても『ごめんあそばせ』なんて言ってそうですね」
「そんなわけないじゃない。レースしてるのよ? 暴言が飛び出すことも珍しくない」
「えっ……でも流石に『死ね』とかは言わないでしょう?」
「そうね」
「ですよね」
「『お隠れあそばせ』よ」
「……そうですか」
私の空想を粉々に打ち砕く破壊力の高いエピソードが飛び出てくる。
上品な言い方をしていても肝心の内容がまったく変わっていない。
どうやらいくら良家のお嬢様でも、ことレースとなると人が変わってしまうらしい。
これでは『舞踏会』と言うより『武闘会』じゃないか。
「冗談よ」
冗談だったらしい。
あまり面白くないが、私とて人のことは言えないのでそれについてコメントは差し控えることとする。
「……さようでございますか」
「とにかく、その『舞踏会』に出てほしいの」
「それは構いませんが……単なる使用人に過ぎない私が、お嬢様方の大会にお邪魔してもよいのでしょうか?」
閑話休題。
踊りではなくレースならばもちろん望むところではあるが、私に出場資格はあるのか?
お嬢様の集う大会に、使用人である私が参加するというのはいささか場違いではないだろうか。
「ゲストドライバーとして出てもらおうと思ってるの」
「ゲストドライバー……ですか」
「ええ。毎回同じメンバーでレースをやっているから少しマンネリになってきていてね……。あなたが出てくれればきっと盛り上がるわ」
代わり映えしないいつもの顔ぶれに新鮮さを彩るためのゲスト枠。
そう言われれば悪い気はしないが、それでもなお私には気にかかることがまだあった。
「そうはおっしゃいますが……本当にいいんでしょうか……」
「何をそんなに気にしているの? 私がいいと言っているのに」
「だって、私が出たら……私が勝っちゃいますよ?」
一番心配しているのはそれだった。
お嬢様のための大会に、使用人である私が出るのは百歩譲っていいとして、そこで私がぶっちぎりの勝利を収めてしまうのは流石にまずいだろう。
勝ってもまずいがさらにまずいのは万が一勝てなかったときで、もしそんなことにでもなろうなら私はゲストドライバーとしてお嬢様方に愛想を振りまき続けていられる自信がない。
負けたことを本気で悔しがり、不機嫌を隠さず、場を凍り付かせてしまいかねない。
レーシングドライバーなどという人種を、特にその中でもいっとう面倒な人間であるという私を出すというのはそういうことなのだと、泉さんは理解しているのか。
「いいじゃない、勝てば」
ところが泉さんはあっさりとそう言った。
「せっかくプロを呼ぶのだから、むしろ不甲斐ない走りを見せられる方が興ざめよ。私の沽券にも関わる」
「はあ……そうおっしゃるなら……。でも、本当に大人げなく完全勝利しちゃいますよ」
「どうぞ。それに、私も新しいペットを皆に自慢したいし」
「ペット、ですか……」
ユニークな物言いに私は苦笑する。
元々紅さんの元で走っていた頃から私は『子飼いのドライバー』を自称していたが、ペット呼ばわりをされたのは初めてだった。
「そういうことなら、是非出場させてくださいニャン」
「……え、何?」
「……すみません、何でもないです」
「そう。ちなみに私は猫より犬が好き」
泉さんはわずかに口角を上げた。渾身のボケを殺された私も笑うしかないワン。
「それでは、主催者の方に私が出場することを連絡しないとなりませんね」
「その心配はないわ。主催は私だもの」
「そうなんですか?」
「主催は毎回持ち回りでやっているの。今回は私。……南山を呼んできて」
「お呼びでしょうか、お嬢様」
呼びに行くまでもなく部屋のドアが開き、南山さんが現れる。できる執事だ。
盗み聞きをされていたという可能性は考えないことにする。
「『舞踏会』の主催が回ってきたから、その準備をお願い。会場や機材の手配と参加者への招待状の発送、それにケータリングの準備」
泉さんがに矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。『舞踏会』についての説明をしていないことからも見て、南山さんにとっては既に慣れたことなのだろう。
「他に必要だと思ったことがあればやって。任せるわ」
「かしこまりました。それでは富士沢様、手分けをして……」
「それはだめ」
その言葉に、準備は当然二人でするものと思っていた南山さんと私は揃って怪訝な顔をする。
「彼女はしばらく私に付き合ってもらうから」
「しかしお嬢様、私一人では……」
「厳しいのはわかるわ」
いくら南山さんが有能な執事とは言え、普段の仕事に加えて舞踏会の準備も進めるのは骨が折れることだろう。珍しく南山さんが泣き言を口にしたのも無理はない。
しかし泉さんはそれに理解を示しながらもあくまで一人でやってもらおうとしているらしい。
「でも、『あの人』に勝つために彼女の力が必要なの」
そう苦々しげにそう口にした泉さんに、南山さんがはっと息を呑み、わずかに眉間にしわを寄せた。
「……そうですか。お嬢様は今回こそ『あのお方』に勝つつもりなのですね」
『あの人』に『あのお方』という仰々しい呼び方。それが指しているものが誰なのか私にはわからない。
もしかしたら泉さんがレースシムで勝ちたいと言っていた相手なのかもしれない。しかしこの大げさな呼び方は一体どういう意味があるのだろう。
私の疑問をよそに了解しあっている二人の間では話が進んでいく。
「かしこまりました、お嬢様。準備は全て私がいたします。富士沢様はご自身のお役目を果たされてください」
覚悟を決めたらしい南山さんは踵を返し部屋を出ていく。
そうは言っても、その表情が泉さんに見えないところで大量の業務を前に途方に暮れていたようなものに変わっていたのを私は見逃さなかった。
私にはどうすることもできず、ただそれを見送ることしかできなかったけれど。
「さて」
残った私に泉さんが言う。
「聞いていたと思うけど、『舞踏会』の参加者の中に私がどうしても勝ちたい相手がいるの」
「『あの人』と呼ばれていた人ですか」
「ええ。今までに何度も戦ったけれど、一度も勝てていない」
「そんなに速い人なんですか」
「彼女と私に圧倒的な力の差があるとは、私には思えない。けれど一度も勝てていない。それが現実よ」
「そうですか……」
その『現実』をどう解釈するべきか。
モータースポーツは、選手の実力差を道具である車の出来が埋める、あるいは逆転させることが珍しくないスポーツだ。
しかしそれは現実での話であって、使用できる道具の性能を揃えることが現実に比べて容易なレースシムではそういったことは起こりにくいと思われる。
泉さんと『あの人』では、『あの人』の方が上だというのは間違いなさそうだ。
けれでも泉さんは自らの実力を過大評価するような人でもない。泉さんが「それほど差は無い」と言うならば、きっとそうなのだ。
つまりは、泉さんと『あの人』の関係は、私と双見くんのようなものなのかもしれない。実力差は確かにある。
しかしそれはわずかで、ほんの少しの要素を加えることでひっくり返る程度だ。
「だから、私を『あの人』に勝たせてほしい。私も、そのための努力は惜しまないから」
そして、その『ほんの少しの要素』とはこの場合、私のことなのだった。
「任せてください」
私は力強く頷いた。
それなら、なんとかなるのではないかと思う。ドライバー全員が同じ性能の車で戦うならば、純粋に腕の勝負となる。
車の速さや資金力の多寡といったコース外で決まる要素がレースに持ち込まれないなら、私は誰にも負ける気がしない。
コーチとしてその私の速さを余すところなく教えられるかどうかはわからないが、『ほんの少し』でいいのなら、きっとうまくいく。
少なくとも、泉さんはそう信じてくれている。
「よろしい。……そろそろ、続きを始めましょうか」
「はい。……ところで、『舞踏会』っていつ開催されるんですか? 時間を有効に使う練習メニューを考えたいのですが」
「一週間後だけど」
「一週間後? ……思ったより猶予は無いですね」
「本当は一か月みっちり特訓するつもりだったんだけど、誰かさんのおかげで予定が狂っちゃったから」
「……酷い人もいたものですね」
とんだ藪蛇だった。
差し向けられた嫌味には気付かないふりでやり過ごそうとして、ふとあることが気になった。
「あの、一週間後に開催されるってさっき南山さんに言ってましたか?」
「……言ってなかったかしら」
「言ってないと思いますけど……」
「そう。じゃあ、悪いけど伝えてきてちょうだい」
「……はい」
ただでさえ一人で会場の準備をやらなければならず、おそらくは今頃てんやわんやしているであろう南山さんに、「実は納期がすぐそこまで迫っています」と伝えに行けとは。
私の落ち度ではないとは言え、あまり気の進むことではない。
「……伝えに行ってきます。私が戻ってきたらレッスンの続きを……いや、その前にここの食器を片付けないと」
「それぐらいは私がやっておくわ。南山に伝えたらレースルームまで来て」
「……わかりました」
南山さんのあの途方に暮れた顔がこれから歪むことを、そして歪ませるきっかけとなるのが私の伝言であることを思うと足取りは重くなる。
私ができるのは同情しかないというのもなおさらだった。
「言うべきことはちゃんと言ってくれないと……」
「何か言った?」
「いえ、何でもありません……」
私はリビングを出て南山さんに悪い知らせを届けに歩き出した。
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