CONTINUE - Part 3
契約延長後初のレッスンは、昨日言われた通り、朝の早い時間から始まった。
「朝食後すぐに始める」と泉さんが言っていたのもあり、私はいつもより少し早めに起きて朝食を済ませてレースルームに移り準備を進めていた。
通常通りの時間に起き、通常通りの時間に朝食を済ませたのだろう泉さんが部屋に現れる。
「おはようございます」
「おはよう、今日もよろしく。……昨日のプールは楽しめた?」
「ええ……お陰様で」
あの水風呂はやはり泉さんが用意してくれていたものだったらしい。
確かめずに飛び込んでしまったことに気付いたのはシャワーを浴びた後で、もし私のために用意されたものでなく何か別の目的のために溜めてあったらどうしよう、と思い再度水を張ったのは私だけしか知らないはずだ。
「そう」
「あの、ところで……契約は延長して頂けるという理解でよろしいのでしょうか?」
「そのつもりだけど。どうして?」
「昨日は、直接そういったことをお聞きしていなかったものですから」
泉さんが口にしていたのは「明日もレッスンがある」ということだけ。
紅さんや南山さんは完全に契約延長と捉えていて、私もそれに話を合わせていたようなところもあったが、やはり直接聞いておくのは必要だろう。
そう思えるのは昨日水風呂にいきなり飛び込んでしまったからではある。
「そうだったかしら。仮に直接言っていなかったとしてもわかりそうなものだけど」
そう言ってみせる泉さんだが、やはり紅さんの言う通り、直接の言うことを避けてこちらに察させようとしているのではないかと思える。
自分の気持ちを素直に言うことの何がそんなに嫌なのかはわからない。しかし私の中には消化できないもやもやとした気持ちが生まれ始めていた。
契約延長となっても泉さんの言葉からは敬語が消えたままだ。別に私に敬語を使ってほしいというのではなくて、ただ最初に見せてくれた、私への好意を素直に表現してくれたあの様子をもう一度見られるかと思っていた。
けれどもそんな素振りが見られないことから判断するに、泉さんの『素』は本音をひた隠しにするこちらの方なのかもしれない。それは別にいい。
ただ私は全力を尽くして泉さん側に歩み寄りの姿勢を見せたのだから、泉さん側も私にもう少しそういうことをしてくれてしかるべきなのではないか。
契約延長がそれだと言われれば雇われている身としては「そうですか」と納得せざるを得ないが、それにしたってもうちょっとこう――私に優しい言葉のひとつでもかけてほしい。
それが出てこないなら、なんとかして引き出してやろうと考えるのが私だ。
「……私、本当に必要でしょうか?」
顔をわずかに俯けて、声の調子も少し落とす。
「ずっと不安だったんです。泉さんのお怒りを買ってしまってから、なんとか許してもらおうとここに来ても追い返されてしまうし、次の仕事を探そうにもなかなか見つからないし」
言いたくないなら、言わせてみたくなる。
泉さんは私のファンだったというから、元々私に対してかなりの好印象を持っていたはずだ。その後多少幻滅させてしまったとは言え、今では持ち直して元のレベルに近いところまで好感度は戻っていると見ていい。
加えて、泉さんは私に対して嘘をついていたという罪悪感もあるに違いない。
ほらほら、あなたの憧れのドライバーさんが落ち込んでますよ? あなたの行いのおかげで!
「昨日だってようやくちょっと私のことをわかってもらえたかなって思ったのに、泉さんははっきりとは言わずに出て行ってしまうし……。私は、本当に今もここにいていいんでしょうか……」
俯いたまま言いながら上目遣いでちらりと泉さんを窺うと、ばつの悪そうな顔をしている。
効いてるぞ、と内心ほくそ笑みながら続ける。
「……たった一言でいいんです。『あなたが必要だ』と言って頂ければ……。それだけで、私は……すみません」
最後まで言い切らずに、目頭を手で押さえてみるなどする。
よくここまでやる……と半分自分自身に呆れながら再度泉さんの様子を見ると、その表情にはわずかに焦りとも困惑ともつかない色が浮かび始めている。
「その……悪かったわ」
そう言って気まずそうにこちらから顔を背ける泉さんに、私はぐすん、と鼻を鳴らして返した。
「じゃあ、改めて言うけど……」
しばしの沈黙の後、意を決したように口を開く泉さんを凝視する。そっぽを向いたままではあるが、その頬は少し朱が差しているようにも見える。
「……あなたが、必要なの。これからもここにいて。お願い」
ついに言った、言ってもらえた。喜びが私の全身を突き抜ける。
といってもこの喜びは、そう言ってもらえたことに対する喜びではなくて、泉さんが恥ずかしくて口に出せないことを言わせたことに対する喜びだった。
サディスティックな快感によって唇の端がにやりと歪む。
今の私の表情はさぞや邪悪な笑みとなっているだろう。
愉快愉快、と満足していると、泉さんが潤んだようにも見える瞳をこちらに向けてくる。
その眼差しがまた嗜虐心をそそる……と見返したところで、その瞳は今の私の顔をばっちり見ているだろうことに思い至った。
「……何笑ってるのよ」
「えっ、いや、笑ってなんて」
思わず手を口にやってしまうのが、大根役者の悲しさだった。これでは心当たりがあると認めているようなものだ。
「笑ってる!」
「えっと……あの、言葉にして頂けて嬉しかったので」
それは嘘ではない。ただ笑っていたのはそれよりももっと面白かったものを見ていたからだったけれど。
「嘘泣きまでして……いい性格してるわ、ほんとに」
「……申し訳ございません、レーシングドライバーなもので」
「はあ……。まあ、もう何でもいいわ……」
大きく嘆息する泉さんはしかし、それで腹を立てているというようには見えない。
呆れこそすれ、どこか仕方ないと思っているようなその様子は、私が性格の悪い人間の多いレーシングドライバーという職に就いていたことを理解しているからではないだろう。
一緒にレースを戦い、同じ価値観を共有した仲間として私を認めてくれているからだという確信が私にはあった。
だからこうして私も少々ナメた口が利けるようになったというものだ……。
「ひとつ言っておくけど」
「何でしょうか」
「私は、速くなるためにあなたを雇ったの」
「承知しております」
「だからあなたはそれだけを考えてくれればいい。遠慮やお世辞やごまかしは無用。『ガチ』できてちょうだい。私もそうする」
「……かしこまりました、お嬢様」
『ガチ』などという、およそお嬢様にはふさわしくない言葉を使ったのは、それが自身の気持ちを表すのにもっともふさわしいと知っているから。
つまり泉さんはやはり私と同じく、根っこは負けず嫌いでレースのことしか考えていない、相手を正面から打ち負かそうとする混じり気なしのレースバカだということだ。
「それでは今日のレッスンを始めましょう。厳しくいきます」
「望むところよ」
私のレースシムお嬢様の元での生活が、ここに本当の意味で始まった。
これでお話は一区切りです。
書き溜めが尽きてしまったのでこれ以降ペースが落ちるかもしれませんが、書ききるつもりではありますのでいましばらくお付き合いのほどよろしくお願いします。




