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CONTINUE - Part 1

「……何と言う決着でしょうか! シケインでの攻防から一歩抜け出た富士沢さんが、立ち上がりでまさかのテールスライド! そこにお嬢様が追いつき両者ほぼ同時にフィニッシュ!」



 ひとしきり響き渡った絶叫が消えた部屋に、南山さんの声がよく通って聞こえた。



「フィニッシュラインでの両者のタイム差、わずか……〇.〇一五秒!? こんなレースがあっていいのか! これは間違いなく歴史に残るレースと言えるでしょう!」



 コクピットに備え付けのキーボードを操作して走行画面からリザルトが表示される画面に切り替えると、南山さんの言った通り、一位からのタイム差を表す場所に〇.〇一五三の数字が表示されていた。


 上から二番目の、泉さんの名前の横に。



「この激闘を制したのは、富士沢三百合さん! 最後尾からスタートというハンデを乗り越え、鮮やかな大逆転勝利を収めました!」

「いやー、面白いレースだったなあ」

「はい! 最後まで一瞬も目が離せない、最高のドラマを見せてくれました! 会場の皆さん、熱い戦いを見せてくれた二人にどうか盛大な拍手を!」



 ぱちぱち、と拍手の音。首を巡らせて見れば、紅さんと南山さんが揃って椅子から立ち上がり拍手を送ってくれている。


 その拍手の中、コクピットから立ち上がった泉さんがこちらへやってくる。レース終盤にそこに浮かんでいた笑みは既に無い。

 まだ自分のコクピットに座ったままだった私に、手が差し出される。


 握手か、と思いその手を握ると、予想よりもずっと強く握りしめられ、そのままぐいと引っ張られる。

 よろけながらもなんとかそれについていき、私は立った。拍手が止む。



「……ありがとうございます」



 泉さんの手が離れる。


 ぎこちなさが私たちの間にはあった。私はここで何を言っていいのかわからなかった。


 結果がどうであろうと、このレースの結果によって私の運命が変わることはない。予定通り私は明日でクビ。今度こそ正真正銘の無職となる。


 実車レースへの復帰どころか、日々暮らしていくための生活基盤からしてどうにかしなければならない。

 そしてそれに対する見込みは、現在のところ、無い。


 だが、私は満足していた。


 全力を出せたから悔いはない、というのではない。

 泉さんがレース中に見せてくれた笑顔が浮かぶ。あれは、私のこのレースでの目的がいくらかでも達成できたことを示すものではないか。


 レースシムが『本物』であること、そして私もまた『本物』であることを示すという目標。

私は持てる限りの力を使って、それらを示してみせたつもりだ。


 つまりあの泉さんの笑顔は、双見くんの言葉を借りれば『河原で殴り合いをした不良が実力を認めた相手に見せる笑顔』と同じものだという確信が私にはあった。


 今、私はそれだけでよかった。私は泉さんの前からこれで消えることとなるが、最後に泉さんの愛してくれた『レーシングドライバー・富士沢三百合』として恥ずかしくない姿を覚えていてもらえるなら。



「……これまでの私のドライバー人生の中で、最高のレースでした。きっと一生忘れません。この舞台を用意してくださったことに感謝します」



 万感の思いを胸に、それだけ言って泉さんに頭を下げる。数秒間そうしていた後に頭を上げる。

 しかし泉さんの反応は無い。空気がより一層重くなった気がした。


 いよいよ手持ち無沙汰になった私はおもむろにレーシングスーツのファスナーを首から腹部まで下ろし、袖から腕を抜いて上半身の下着を露出させた。


 突然の行動に一同がぎょっとしたのも一瞬、私の下着を目にしたことでその驚きは消えていった。



「呆れた、アンダーウェアまで着てるなんて……」

「勝負服の下は、勝負下着でないと。……それにしても暑いですね」



 上着であるレーシングスーツと同様に、下着にもレース用の耐火アンダーウェアを身に着けていたのだった。

 当然長袖であり、通気性などは二の次三の次とされている衣類だけあって、十二周にも渡りハンコンの発生する実車さながらのトルクと戦い続けた今は全身がくまなく汗で湿っている。

 それが冷たい空気に触れて一気に冷えていくのが心地よかった。



「バカバカしい……」



 そういう泉さんも服こそ濡れてはいないものの、額や首筋にはうっすらと汗が浮かんでいる。



「それにしても、すごい汗。シャワーを浴びてくれば?」

「いえ、私は大丈夫です」



 本当はお言葉に甘えて今すぐにでもそうしたい気分だが、今はまだ雇われている身、主人を差し置いて使用人が先に使わせてもらうということはできないだろう。



「私はこれからプールに飛び込んでまいります。勝者の特権ですので」

「うちにプールは無いわ」

「……言ってみただけですよ。では、失礼します」



 重苦しい空気がどうにかなったか慣れないジョークを飛ばしてみたりもしたが、泉さんの反応はやはり芳しくない。


 シャワーは我慢するとして、とりあえずこのびしょ濡れのレーシングスーツを着替えようかと自室に向かって私は歩き出した。



「最後のシケインの立ち上がり」



 そんな私を引き留めたのは、泉さんから発せられた問いだった。



「あそこでまで過剰にスピンを抑え込もうとしていたのはどうして?」



 最終局面でのつばぜり合い真っ只中の状態にあってもこちらの様子をしっかりと見ていたことに、私は改めて感心した。


 そう、確かにあのスピン回避のために取った行動はいささか大げさにしていたものだった。



「……最初におっしゃっていたじゃないですか。『ぶつけて抜こうなんて思わないように』って」



 私は泉さんに向き直り、少し逡巡してから口を開いた。



「現実のレースだったら、私は多分あそこまで抑え込もうとはしていないと思います。アクセルとステアリングだけでどうにかして、最悪ぶつかってもしょうがないか、って」

「だろうな。いつもの三百合ちゃんならそうするはずだ。そこで接触してもおそらくペナルティとはならないしな」



 紅さんがこちらに歩み寄り会話に入ってくる。



「ええ。でも、今回はどうしてもぶつけたくなかったんです」

「私が、ああ言ったから?」

「そうですね……もしあそこで接触していたらどうなっていたかは正直わかりません。両方スピンなのか、あるいはどちらか片方だけがスピンなのか、どちらも無事なのか。でも仮に接触して私だけがセーフだったとしたら、それは嫌だと思ったんです」



 どんなにしても死の危険を拭い去れないモータースポーツにとって、接触は死神を呼び込むに等しい危険な行為だ。

 もちろん私たちはそれを理解しているからこそ、それをできるだけ避けようとはしている。


 では一方で、身体に危険が及ばないレースシムなら接触は許されるのか?

 それは違うだろう、と私は思う。


 確かにレースシムでは命の危険は無い。さらに言えば、車をスクラップにしてしまったとしても一円もかからない。

 現実でのレースに比べて圧倒的に低リスクであるレースシムは確かに理想的なトレーニングツールとなるのだろう。


 しかし私たちが今日やっていたのは、単なるトレーニングではなく、レースだ。


 クラッシュによってレースが台無しになるというのは、実車でもレースシムでも変わらない。

 だからこそ、私はなんとしても接触を避けることで、これを『本物』と捉えていると泉さんに伝えたかった。



「先ほど紅さんもおっしゃってましたが、あの状況では接触があってもお咎めは無いと思います。例えぶつけた私だけが無事だったとしても、悪意の無い単なるレーシングアクシデントと判断されて終わりです。でも、ぶつけられた側はそれじゃ納得できないでしょう」

「どっかで聞いた話だな?」



 紅さんが苦笑する。



「双見に当てられたこと、相当根に持ってるんだな」

「当たり前じゃないですか! あれがわざとだとは思いませんけど、だからと言って笑って許せるようなことでもないですよ」

「まあ、それはその通りだ」



 二度三度と頷く紅さん。

 双見くんの接触に対する怒りはもちろんまだ枯れてはいない。裏を返せば、泉さんには私と同じような思いをさせたくなかった、というのもある。



「……とにかく、そんな理由でブレーキを踏んでまで押さえました。……では、これで失礼します」

「待って。……明日の予定は?」



 泉さんはだしぬけにそんなことを尋ねてくる。そんなものは決まっている。



「荷物をまとめます」



 引っ越しの準備だ。何しろ明後日にはここを出ていかなければならないのだから。

 南山さんに引っ越しの準備を進めるように言われてはいたが、結局今日まで私物はほとんど持ち込んでいなかった。

 唯一の例外と言えるのは双見くんと買ったコクピットぐらいのものだった。



「他には?」

「他には……何もありませんが」



 持ち込んでいる物自体は多くはないものの、一時間かそこらで荷造りが完了するとも思えない。

 特にコクピットは組み立てるのにもずいぶん時間が掛かったから、片付けるのもまた一苦労だろう。一日がかりの作業になるのは確実で、他に予定など入れられそうにない。



「なら、明日は丸一日空いてるってことね」

「いえ、ですから荷造りが……」

「明日は朝食を済ませてから、一日中トレーニングに付き合ってもらうから、そのつもりで。……シャワーを浴びてくるわ」

「えっ、ちょっと……」



 そんな私の事情を説明した言葉をまるきり無視し、それだけ言って泉さんは部屋を出て行ってしまった。

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