表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/44

Over

 このレースにおいて十二回目の、そして最後となる一コーナーへの突入。

 これまでと同様にオーバーテイクを試みたいところだが、泉さんはそんなことお見通しだとばかりに早めにイン側にラインを取りブロックの構えを見せていた。


 前周のシケイン立ち上がりから泉さんの背後につけていたおかげでこちらはスリップストリームの恩恵を最大に受けられるが、それでも抜き去るほどの速度差は生じない。

 仕方なくアウト側から勝負を仕掛けるも抜ききれず、続く二コーナーでも状況は同じだった。



「まず一コーナー、お嬢様が防ぎ切りました! これまで幾度となくここで追い抜いてきた富士沢さんですが、流石にこれでは手が出ないか」



 左右に曲がるS字コーナー区間はほぼブレーキを踏まないためとても追い抜けるような場所ではない。その後のダンロップコーナーも同様だった。

 デグナーコーナーもブレーキングはほんの一瞬で、無理に鼻をねじ込もうものならまず間違いなく接触する。

やはりチャンスはヘアピンか。


 再確認した私はデグナーを立ち上がり、オープニングラップでそうしたように、まっすぐヘアピンコーナーに進入しようとしたが、前を行く泉さんが同じラインを取るのを見てすぐさま右にハンドルを切った。



「お嬢様、ここもしっかりと閉めます! 絶対に譲らないと言わんばかりだ!」

「まあ、あんだけここで抜いてるの見せられればねえ……」



 一コーナーと同じく、露骨なブロックライン。卑怯、とは言えない。ルール上何の問題も無いし、逆の立場なら私だって間違いなくそうする。


 極端にイン側を走っているため速度が大きく落ち、私との差が開かないことは幸いだったが、それでは意味がないことはこの場にいる誰もが理解している。



「あと半周よ……!」



 ほぼ直線と言っていい緩い右コーナー、200Rへと差しかかったところで、泉さんがわずかな時間だけこちらを向いてそう言ってきた。

 その顔に浮かんでいた微笑は勝利を確信した余裕から来るもののようにも、あるいは何かを期待しつつそれを待ち構えているようにも見えた。


 私はそれには答えず、次のコーナーであるスプーンカーブの攻略に集中する。


 鈴鹿サーキットに簡単なコーナーは無いが、難所ばかりの中でも特に一番難しいと私が感じるのはこのスプーンカーブだった。

 食器のスプーンに形が似ていることからその名がつけられたこのコーナーは、確かにスプーンのような曲線を描いている。


 厄介なのはその曲線というのが複数の曲率を組み合わせたもので、コーナリング中にブレーキを踏む必要があることに加え、出口部分が急な下りとなっていることで直観的に走行ラインを決めることができない点だ。

 ここも通常であればオーバーテイクポイントとなるようなコーナーではない。しかし今はそんなことを気にしていられなかった。


 これまで使用してきたオーバーテイクポイントの三か所の内、一コーナーとヘアピンを徹底的なブロックラインで潰されてきた今、この先のシケインでも同じことをされるのはほぼ確実。

 そうなると前に出るには別のコーナーで抜きに出るしかないが、これから先にブレーキングが必要なコーナーはここスプーンカーブとシケインしかない。


 無茶だ、と私は内心呟く。

 自分でもよくわかっている。どんな事情があろうとも、ここは『そういう』コーナーではない。しかし私にもう選択肢が無いのも事実だった。


 イン側にラインを取る。泉さんはブロックラインを取らず、いつも通りにアウト側からの進入をするつもりのようだ。私のこの行いが無理があるものだとよくわかっているからだ。


 可能な限り奥まで我慢しブレーキング開始。泉さんとの差は縮まらない。コーナリングもほぼ同じ差のまま終わる。


 状況が動いたのは、立ち上がりの加速時だった。



「……あっ……!」



 アクセルオンから間を置かず、泉さんが短い呻き声を上げた。


 私は泉さんの車が本来通るべきラインからわずかに外側にずれながら加速していくのを見た。

 泉さんの車がそのまま外側へ向かってアウト側の縁石を跨ぎ、右側タイヤがコース外にはみ出した。

 すぐにラインを修正しコースへと復帰するも、その左には既に私の車がいた。



「西ストレートで両車が並ぶ! ……これは、130Rでの勝負となるか……!?」

「泉のアクセルを入れるタイミングがちょっと速かったな。しかしこうなると、最高のシチュエーションだな、三百合ちゃん!」



 実況と声援を背に、私は西ストレートをひた走る。


 泉さんがスプーン立ち上がりで犯したミスは、おそらく焦りによるものだ。

 後ろの私を気にして、アクセルを早すぎるタイミングで入れてしまったせいでラインがワイドになりコースをはみ出した。

 気付いた瞬間にアクセルを緩めればコースオフを防げたが、それをすれば私に加速で負け抜かれる。

 そのため加速したままあえてコースオフを選びロスを最小限に抑えているのは流石と言うほかなかったが。


 しかし、これで私は泉さんが接近戦に不慣れであることを確信した。

 この分なら、この先の130Rとシケインの攻防で私が優位に立てるかもしれない。


 130Rに二台並んでの突入。紅さんが言う通り、最高のシチュエーションだ。

 双見くんと競り合い、吹き飛ばされたあの時と同じシチュエーション。


 私のキャリアを絶ったのと同じシチュエーションで、相手は違えど今度は私が勝つ。それで私は一歩先に進める。


 私は今回も引かないつもりだ。泉さんも私のファンだと言うくらいなら、私がそうすることはわかっているに違いない。130Rでは一旦引いて私を先行させ、次のシケインで改めて勝負を仕掛けてくるはずだ。


 望むところだ。それはむしろ私に有利に働く。何しろブレーキングは私の得意技なのだから。



「やはり両車そのままサイド・バイ・サイド(横並び)で130Rへ突入していく!」



 私の車の方がタイヤ一個分ほど前に出た状態でコーナーに進入する。アウト側にはまだ泉さんの車がぴったりと喰いついてきていたが、すぐに引くだろう。私は一度その存在を忘れてコーナリングに意識を向けた。


 鈴鹿サーキットで最も速いスピードでのコーナリング。握っているステアリングが一気に重さを増す。高速で走行することでダウンフォースが増大し、フロントタイヤが強く押し付けられることが再現されているためだ。


 ここまで走ってきていることで体力を消耗してきている身には堪えるが、これが最後だと息を止め、渾身の力でステアリングを切った。


 コース中心から左の縁石をかすめるように動き、今度は右へ。アウト・イン・アウトのラインで最速のコーナリングを完了させようとした私の横にはしかし、そこにいるはずのない泉さんがいた。



「嘘でしょ……!」

「お嬢様、引かない! 耐えきった! サイド・バイ・サイドを維持したまま二台はシケインへ!」



 慌ててラインを修正し、コース中央になんとか留まることで接触は回避したが、タイヤ一個分のリードはその修正によって消えていた。


 私が引かないということをわかっていなかったのか? 一歩間違えればあのクラッシュの二の舞になりかねないのに……と疑問が生じたところで、別の考えがふいに浮かんできた。


 あそこで引かない私のファンになったからこそ、自分もそれに倣った。

 そしてイン側にいる私がぶつけてくることなどないと確信していた……。


 そうかもしれない。そうでないかもしれない。考えている余裕はなかった。続くコーナーは鈴鹿サーキットのオーバーテイクポイントであるシケイン。


 シケインは右、左と続く二連直角コーナーで、最初の右コーナーで有利なイン側のポジションを現在泉さんに握られている。絶体絶命の状況だ。


 この状況を確実に打破できる解決策は、無い。

 唯一残ったわずかな可能性は、私自身の才能だけだった。



「シケインでのブレーキング勝負が……!」



 南山さんの絶叫は途中で不自然に途切れたように聞こえた。

 同時に右にいる泉さんの車がすう、と減速し後ろに下がっていくのを私は横目で見た。


 南山さんが絶句した理由。それは泉さんがブレーキングを開始した段になっても、私はなお加速を続けていたからだ。


 普通横並びでコーナーに入った場合、相対的にコーナーがきつくなるためイン側の車の方が先にブレーキを踏むことになる。

 その常識を考慮してもなお、あまりにも遅すぎる私のブレーキング。


 このブレーキングに、おそらく南山さんは息を呑んだことだろう。紅さんも、そしてもちろん泉さんも。


 しかし一番驚いていたのは実のところ私だった。自分で狙ってやったことではあるが、いくらなんでも、これはあまりにも遅すぎたかもしれない……!


 泉さんの減速から一瞬遅れて、私もブレーキングを開始する。

 私が余計に加速を続けていたのは五メートルに満たない距離だっただろう。しかしこの状況においてその距離の差はとても大きい。

 五メートル余計に加速を続けていたというのは、五メートルブレーキングに使える距離が短くなっているということでもある。


 右足を上げるのと同時に、左足に親の仇を蹴飛ばすかの如く力を込める。

 乱暴にも思えるこの操作だが、強力なダウンフォースを発生させるウイングによって押さえつけられた車体はこの操作を受け止めてくれる。


 タイヤの回転が弱まり、それに応じて速度が落ちていく。

 いつまでも渾身の力でブレーキを踏み続けていてはタイヤの回転が完全に止まって滑り出してしまい、結果として制動距離は伸びる。

 それを防ぐため、私は少しブレーキペダルへ預けている力をほんの少し弱め始めた。


 これがハードブレーキングで最も恐ろしい瞬間だった。

 止まりたいのに、ブレーキを緩めければならない。この矛盾した動作を人間の本能はどうしても拒絶する。


 もっと踏まなければ止まれないのではないか、と訴え続ける本能を抑え込めるのは、私の持って生まれた才能と、それを信じてやってきたここまでの経験しかない。

 一ミリ、あるいは二ミリ。それだけの精度で調節する感覚で左足から力を抜いていく。



「……止まれぇ……!」



 祈りは、果たして通じた。


 私の車は泉さんから再びわずかに先行。一足早くターンインを開始する。

 曲がり始めたアウト側への私への接触を避けるため、泉さんはいつも以上に車速を落とさざるを得ない。



「……アウト側から富士沢さんが被せる!」



 絶句から立ち直った南山さんが実況を再開する。


 セオリーではあり得ない、圧倒的不利なアウト側からのオーバーテイク敢行。



「やらせない……!」



 泉さんが声を絞り出す。その言葉とほぼ同時に泉さんもコーナリングに入る。


 ここで仕掛けはしたものの、抜き去るつもりはない。

 私の狙いはすぐにやってくる次のコーナー、シケイン二つ目の左直角コーナーだった。


 シケインひとつ目の右コーナーでアウト側にいた私は、次の左コーナーではイン側となる。そこまでに並びかけていれば、二つ目の立ち上がりでほぼ自動的に私は前に出られる。


 その目論見通りに並んだまま左コーナーへと入る。私の車は泉さんの車より鼻先だけ前に出ていた。

 これだけあれば十分だった。

 勝利を確信した私はアクセルを踏み込む。



「……あっ」



 ずる、とリアタイヤが滑り出し、思わず声が漏れた。

 アクセルを強く踏みすぎたことでタイヤが空転し、グリップを失った車体のリアが外側へと振られていく。


 このままいけばスピン。

 しかしそれはここに一台しかいなかった場合であって、今回車体のリアが向かっていく先には泉さんの車がいる。

 接触の二文字が頭をよぎる。


 即座にステアリングを右に切り、アクセルペダルとブレーキペダルを同時に踏みつけてスピンを始めようとしていた車を押さえつける。


 なんとかスピン挙動を収めたものの、この修正で稼いだリードが再び失われる。ブレーキを離して再加速に移るも、右後ろにいた泉さんがじりじりと前に来始めている。


 シケインを立ち上がり最終コーナーへ。


 最終コーナーは低速コーナーであるシケインのすぐ後ということもあり、アクセル全開で抜けられるほどに緩いコーナーだ。

 もちろん私も既にアクセルペダルを奥まで踏みつけているが、それは泉さんも同じことだった。コーナーを抜ける頃には二台は完全に横並びとなっていて、そのまま最後の直線、ホームストレートへと帰ってくる。


 私はそこで右を見た。

 三枚並ぶディスプレイの右画面、そこに映る泉さんの車を。

 さらにその先の画面外、現実世界でコクピットに座っている泉さんを。


 泉さんも同じように左を、こちらを見ていて、一瞬視線が交わった。

 その顔には私がこの部屋で初めてレースシムをプレイした時と同じ笑みが浮かんでいて、私はああ、私はここまで戻って来れたのだな、と思った。


 レースは残り数百メートルしかない。


 アクセルは既に全開にもかかわらず、横にはぴったりとライバルが並んでいて、ゴールはすぐそこ。


 そんな状況下でドライバーにできることは、たったひとつだ。



「行っけえええええ!」



 叫ぶしかない。

 それで速さが変わることなんてないと知っていても、そうせずにはいられない。


 部屋に叫び声がこだまする。その声は私のものだけではなかった。

 泉さんも同じように叫んでいたようだったし、南山さんも紅さんも興奮の声を上げていただろう。


 咆哮に包まれて二台の車がほぼ同時にフィニッシュラインを駆け抜ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ