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One lap to go!

「またヘアピンだ! このレース四回目のヘアピンでのオーバーテイク!」

「これで二位か。本当にやってしまうのか、三百合ちゃん……!」



 南山さんの絶叫とは対照的に、紅さんの反応は穏やかではあったが、やはりそこには抑えきれない興奮が滲みでいているようにも思えた。

 私は十一周目のヘアピンで予定通りにこの場所で本日四回目、通算二十八台目のオーバーテイクを成功させたところだった。


 AIドライバーたちはやはりものの数ではなかった。

 最初の私の見立て通り、突っ込みで勢いをつけて飛び込んでやれば面白いようにオーバーテイクが決まる。

 彼らの走行ペース自体は速く、一台追い抜いてから次のAI車両に追いつくことは簡単なことではなかったが、不可能でもなかった。

 まるで綱渡りのように、一本の細く頼りない可能性ではあったが、私はそれを渡り切りここまで来ていた。


 これで私の目の前を走るのは、もうあと一台だけだ。



「驚異のハイペースで最後尾三十番手から二位まで駆け上がってきた富士沢さん! しかし最後の相手は手強いぞ!」



 堂々ラスボスの位置に収まっている泉さんは、南山さんの言う通り一筋縄ではいかないだろう。


 画面左側に表示されているタイム差を確認する。私は一位泉さんより約一秒の遅れ。


 残り一周半でこの差を追いつき、逆転しなければならない。これは三十位から二十八台のAI車両を抜き去るよりもはるかに難しいに違いない。


 ……だから。



「だから、どうだって言うんだ……」



 だから、一位になれなくても仕方ない?


 それは違う。


 二十八台を抜き去ったのは確かに離れ業かもしれない。しかしこれぐらいなら、多分泉さんだってできる。


 所詮AIはAI止まり。私が泉さんを関心させるためには、やはり決められた通りにしか動かない無機質なAIドライバーなどではなく、こちらの行動に対して柔軟な反応を返す人間である泉さん自身を倒すことが必要だ。


 スプーンカーブを立ち上がり、西ストレートへ。このコーナーでタイム差がゼロコンマ一秒分縮んだことを画面上の表示に確かめた私は、130Rにつながる長い直線を走行中に叫んだ。



「泉さん! 私、ここまで来ましたよ!」



 泉さんの車のすぐ後ろ、一秒以内の距離。ここまで近づけばスリップストリーム効果も出始め、ここのような長い直線では同じパワーの車であっても後ろにいる側がほんのわずかではあるが速くなる。


 しかし、ここにきて埋められている私と泉さんの距離は、それだけではない。


 ひとつ屋根の下で暮らし始めておよそ一か月。ずっと私は泉さんのそばで暮らしてきた。

 今も泉さんは私のすぐそば、私から数メートルしか離れていない場所でステアリングを握っている。


 けれどこのレースが始まったときは、この物理的な距離よりもずっと遠くに泉さんはいて、そして今この瞬間では、物理的な距離は何も変わっていないのに手を伸ばせば抱きしめられそうなほどに近づけている。


 そんな気がする。



「本当に、ここまで来るなんてね……」



 返ってきた泉さんの声には驚きの色はないように聞こえる。



「今からそっちに行きますから、楽しみにしててください!」

「やれるものなら……!」



 やってみなさいよ、などと続くはずだったその言葉はしかし、聞こえてくることはなかった。

 その代わりに、ふふふ、と小さく声がこぼれたのが聞こえた。


 笑っている……? 小さな声に何かの聞き間違いかとも思った。しかし本当に笑っているのだとしたら、私はその理由を理解できる。




 西ストレートが終わり、130Rコーナーが現れる。鋭くコーナリングする泉さんの車に一息遅れて、私も130Rに飛び込んだ。


 セオリー通りアウト・イン・アウトのラインを取った後、泉さんの車は130Rのアウト側であるコース右側から次のシケインコーナーのアウト側となる左側へ車を寄せた。

 対して私は130Rのアウト側、シケインにおいてはイン側となる右側から車体を動かさない。



「富士沢さんが右側のポジションをキープ! シケインで狙っているのか!」

「嘘だろ……!? この距離でか!?」



 目ざとくその様子に気付いた南山さんが即座に反応し、紅さんが呻く。


 一瞬置いて、泉さんの車が右側にラインを変える。私を飛び込ませないようにブロックするラインだ。

 かかった、と内心に呟いた私はそれとほぼ同時に自分のラインを左に変えた。



「お嬢様のブロックラインにすかさず富士沢さんが反応!」

「フェイントか……!」



 紅さんの言う通り、最初にずっと右に留まっていたのはフェイントだった。

 間を置かずに両車ブレーキング。最初からラインを変えることを想定していた私に対し、フェイントに引っかかり想定外のライン変更をする羽目になった泉さんのブレーキングはやや甘い。


 コーナー進入時にほぼ並びかけ、そのままシケインのひとつ目の右コーナーへターンイン。流石にイン側のポジションにいる泉さんを抜くには至らないが、直後のシケイン二つ目の左コーナーを抜ける時には泉さんの車の真後ろにまでつけることができていた。



「フェイントが功を奏してお嬢様の背後に迫る富士沢さん! 前後にぴったりくっついたまま最終コーナーを二台が立ち上がっていく! その先にはコントロールライン、ファイナルラップに突入していきます!」



 ホームストレートに入ると少し緊張の糸が緩められる。


 このフェイントがここまで上手くいったのは半分偶然だった。

 本来であれば、後ろからポジションを窺う素振りを見せるだけのフェイントは、前車との距離を詰めるために使われるようなテクニックではなく、あくまで揺さぶりをかけるためだけのものだ。


 泉さんにもそれはわかっていたはずだ。あれだけの差があってはオーバーテイクを仕掛けるにはあまりにも遠い。


 しかしそれでも泉さんが過剰に反応しブレーキングをミスしてしまったのは、私がここまでに幾度となくここでAIをオーバーテイクしてきたことを知っていたというのがひとつ。

 南山さんの実況と紅さんの驚きの声が耳に入ってしまい、それが現実味を持ったものとして聞こえてしまったというのがもうひとつ、といったところだろう。


 現実のレースではまずないと言っていいが、観客の反応に直接影響を及ぼされるということがあるというのは興味深いな、と私は思う。



「お見事」



 泉さんが呟いた。



「どうも。でもこれからもっとすごいものをお見せしますよ。特等席でね」

「面白いじゃない」



 そう言った後に、泉さんはさらに何事かを言ったようだった。

 何を言っているのかはわからなかったが、すぐにそれが本当は何も言っていないのがわかった。

 その声は、やはり笑い声だったからだ。


 画面から目を離せないので泉さんの様子を直接見やることはできないが、間違いなく泉さんは笑っていた。



「ふふ……」

「……あははっ!」



 私の内奥からも笑いが出てくる。つられたわけではない。私が笑っている理由は、多分泉さんと同じ理由だ。


 燃える。沸き立つ。楽しい。勝ちたい。


 そんないくつもの思いがきっと、泉さんの中に渦巻いていて、それが抑えきれなくなったのだ。



「勝つのは私です!」

「私だってば……!」



 ファイナルラップが始まる。

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