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Late Breaker

 ホームストレートへ戻ってきた。オープニングラップが終わろうとしている。

 ついさっきのシケインで予定通りにまた一台を抜き、四ポジションアップの二十六位となっていた。


 泉さんによって最高レベルに設定された二十八台のAIドライバーたちは、実車のレースを長らく戦い、今やレースシムでも少なくない経験を積んでいる私から見てもかなりのハイペースで走っている。


 しかし、付け入る隙もまた確かに存在しているらしいことを、私はこの一周目で学び取っていた。


 AIドライバーは独特な走り方をする。

 実車であろうとレースシムであろうと、人間が運転する場合、基本的に一連の動作の中でペダルを踏んだり戻したりすることはあまりやらない。


 加速に移ろうとアクセルを踏み込み、踏みすぎたと思って慌てて戻し、車の挙動が落ち着いてから再び踏み込む。

 減速のためブレーキを踏むがタイミングが早すぎたことに気が付いて離し、もう一度踏む。

人間のする踏み直しとはそういったミスの修正の作業でしかない。


 AIドライバーは違う。


 彼らはまるでコーナーをその速度以上で曲がってはいけないと決まっているかのように、ぴったりと一定の速度を保ちコーナリングしていく。

 その速度の維持のため、コーナリング中に凄まじい頻度でアクセルの踏みと戻しを繰り返しているのが排気音でわかる。


 もし人間がそれをやっているとしたら、その右足の動きはもはや痙攣に近いようなものに見えるだろう。

 文字通り人間離れした走法は、現実世界でも実現できれば速いのかもしれない。


 しかしその走法こそが、私の前では弱点となり得る。



「さあレースは二周目に突入しています! 先頭はスタート時から変わらずお嬢様! 最後尾スタートの富士沢さんは現在二十七番手! このペースで順位を上げていくことができれば、お嬢様に追いつくこともできるかもしれません!」



 南山さんの実況を聞きながらホームストレートをひた走る。


 前には二十六位の車。タイム差はコンマ五秒ほど。この距離ならば自分の車体をすっぽりと前の車の陰に収めることで、スリップストリーム(風除け)によってこちらの速度が伸びる。

 その速度差だけでは一コーナーまでに抜き去るには至らないが、彼我の距離は一気に縮まった。一コーナーを目前に、私は全走車の後ろから飛び出して、一コーナーイン側となる右へとラインを変えた。



「一コーナーで富士沢さんが牙を剥く! ここでのブレーキングはどうか!」



 ラインを変えて向かい風を全身で受けるようになっても、スリップストリームで蓄えたスピードの伸びはしばらく残る。完全に並ぶには至らず、車体半分ほど遅れた状態で一コーナーに進入した私は、二十六位が減速を開始したのを横目に一瞬待ってからこちらもブレーキングを開始した。



「このブレーキは少し遅くはないか! 止まれるのか! どうなんだ富士沢さん!」



 持てる集中力全てを左足裏に集中させるイメージで、ブレーキペダルを踏みつける。


 南山さんの言う通り、このブレーキングはベストなタイミングよりもほんのわずかに遅い。

 止まり切れずにオーバーランをしてしまうほどではないが、ブレーキング開始のタイミングが遅いせいで曲がる速度までスピードが落ちている頃には既に最適なコーナリング開始のポイントを過ぎている。俗に言う『突っ込みすぎ』の状態だ。


 にもかかわらず私がそこでブレーキを踏んだのは、それこそがAIドライバーを倒す武器であるからだった。


 みるみる落ちていく速度に、レースシムには無い前につんのめる感覚を思い浮かべながら、左足に込めた踏力をコントロールする。ステアリング裏の左パドルを引きシフトダウンもこなす。時間にしてほんの数秒のはずが何倍にも感じられる。



「止めた! あのレイトブレーキングから速度を落とし切った!」



 ブレーキペダルから足を離しつつ慎重にステアリングを切ってターンイン(コーナリング開始)。二十六位の車は私の車がイン側にいるせいで十分なスピードで曲がることができない。私にしてもアウト側に車がいることで走行ラインは窮屈にならざるを得ないが、ターンイン時に車体のほとんどが前に出ていればそんなことは関係なかった。



「ブレーキング勝負に打ち勝った富士沢さんがまたひとつポジションアップ! この快進撃の裏にはどういった要因があると思われますか?」

「やはり三百合ちゃんのドライビングスタイルだろうな。三百合ちゃんのブレーキングの技術は一級品、実際のレースでも今みたいに突っ込みでガンガン抜いていくタイプのドライバーだからね」



 もはや歯止めとなる者がいなくなったおじさん二人は好き勝手に喋り出していた。紅さんは観客兼解説のポジションに収まったらしい。もう好きにやっていてほしい。どのみちレース中は相手などできないのだし。



「なるほど。私の目から見ましても、以前プレイしていらした際とは明らかにブレーキングの鋭さが変わっているように見えます。レースシムに慣れたことで本領を発揮しているのでしょうか」

「そうかもしれない。しかし、本当に惚れ惚れする突っ込みだな……。私も長年レース見てきているけど、やっぱり三百合ちゃんのブレーキングが一番だね」



 流石はクリムゾンのボス、ドライバーである私の武器をよく知っている。


 私はレーシングカート時代からずっとブレーキング技術に関しては誰にも負けないという自負があり、またそれがどうやらこのレースシムにおいても有利に働いている。


 AIのコーナリングを一定速度で走り抜けるという走法は、コーナー進入からコーナー脱出までのトータルで見れば、先ほど私がやったような突っ込みすぎ走法よりも速い。


 しかし私の突っ込みすぎ走法は、トータルで見ればAI走法に遅れを取るものの、『コーナー入り口の時点に限れば』AI走法よりも速い。

 AIの走法では既にブレーキを踏んで減速している箇所でもこちらはまだアクセルを踏んでいるからだ。

 その一部分だけ速く走って前に出てしまえば、その後のコーナリング中からコーナー脱出までの段階で抜かれることはまずない。


 加えて、AIドライバーは接触を極力避けるように設定されているのか、接近すると思ったよりもあっさりと引いてくれる。


 これこそが私の快進撃の要因だった。



「涼しい顔してやっているけど、ちょっとでもミスしたらアウト側の車にぶつけてフロントウイング壊すか、そうでなければオーバーランでタイムロスだよ。そんなシビアなブレーキングを毎周毎周やってるんだから」

「高等技術をいかんなく見せつけてくれます富士沢さん! これはお嬢様もうかうかしてはいられないかもしれません」



 泉さんはどうなったのだろう? まさか二番手スタートのAIドライバーに抜かれてはいないだろうが。

 画面左に表示されるタイム差画面に目をやると、一番上の"Leader"欄に"I.Kurenai"の文字が見えた。依然としてトップを走っているらしい。


 やはりそうか、そう来なくては。トップから陥落してくれていたら楽だっただろうが、それではこの勝負の意味が無い。

 まだ遠く離れている泉さんに追いつくため、私はアクセルペダルを踏んだ。



『レースって、同じところをグルグル回ってるだけじゃん。何が楽しいの?』



 ふと、いつかどこかで誰かに言われた言葉が脳裏をよぎる。一度だけではなく何度かあったことだったような気もする。


 私はそれにどういう答えを返したのか、覚えていない。もしかしたら何も言わずに無視したのかもしれない。


 同じコースを何周しようとも、ひとつとして同じラップは無い。

 走っていればタイヤは摩耗しグリップが変化する。燃料は減り車重が軽くなる。

 車だけでなくコースの状態にしたってそうだ。タイヤのラバーが乗りグリップが増えるところもあれば、タイヤカスが溜まって走ってはいけない場所になるラインもある。

 路面温度や天気だってずっと一定なわけがない。

 レースとは刻々と変化するそれらに対応しながらライバルでもある他の車と競い合う、とても複雑でそれ故に奥深いスポーツだ。


 ざっと思いついただけでこれだけの反論が思い浮かぶが、これら全てをレースに興味が無い人に説くなんて面倒なことを私がしたとは思えないから、やはりそういうことを聞かれたときには無視したのだと思う。


 何も問題は無い。


 レースの面白さがわからない? 結構。私には関係ない。

 理解できないならそれでいい。そもそもの立ち位置が違うのだろう。あなたにとってレースは『どうでもいいもの』で、私にとってはあなたがそうだ。お互い勝手にやりましょう。ただし邪魔だけはしてくれるな……。


 そうした態度を取ってきただろうことは、果たして正しかったのだろうか、と私は思い始めている。


 言い方に引っかかりを覚えないでもないが、そう聞いてきたということは少なからずその疑問を解消したいという気があったのではないか。

 私は、自分とその人との間にあるあまりにも大きな認識の差に、最初から理解されることを諦めてしまっていたのではないか。


 ひょっとして私が手を差し伸べれば、その人はゆっくりとした歩みかもしれないが、こちら側へと向かってきてくれたのではないか。


 今、私がそうしているように。


 私の前に手が差し伸べられている。

 その手の持ち主はレースシムというものを理解できなかった私を見捨てることはしなかった。

 私は何度かそれを拒んでしまったり、掴みそこなってしまったけれど、ようやくその差し伸べされた手を取ろうとしている。


 しかしその手は私の遥か前方、何台ものAIドライバーを挟んだ先にある。



「邪魔だよ……!」



 それらを一台、一台、もう一台と抜き去っていく。


 私は全身全霊をかけてそこに辿り着き、その手を握りに行かなければいけない。

 私の目的のためなどではなく、私に手を差し伸べてくれている彼女に応えるために。


 アクセルペダルを踏む。ブレーキペダルを踏む。ステアリングを切る。

 ドライビングとは、大雑把に突き詰めればたったこれだけのことだ。


 たったそれだけのことが上手い人たちが集まってその技術を競う。それがレースだ。

 たったそれだけのことが人より上手にできるだけの人間。それが私だ。

 たったそれだけのことにどうしようもなく熱中する人たちがいる。それが私たちだ。


 そうでしょう? 私はまだ見えてこない、しかし確実に近付いてはいる泉さんに心の中で呼びかけた。


 私たちは立ち位置が違う。けれど内に抱えている思いは一緒。私はようやくそれに気が付けたんです。

 でも、私は口下手だから、言葉ではきっとそれを上手く伝えられない。だからその代わりに……。


 一瞬思考を中断させ、前にいたAIドライバーの懐にレイトブレーキングで飛び込み、また一台抜いた。


 だからその代わりに、私の持てる限りの『たったそれだけ』を使って、今からそちらに行きます。

 それが百の言葉よりもずっと今の私をわかってもらえると思うから。


 今は届かないメッセージを最後まで念じたのと同時にスロットルを開ける。

 2リッターレーシングエンジンのパワーを受け止めるタイヤは余分なスライドを見せることなくしっかりと路面に喰いつき、車体を加速させていく。

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