I am designed to win. - Part 3
私は言われた通りにコクピットに体を預けた。
ディスプレイと横に置いてあるPCのスイッチを入れる。OSが立ち上がった後にレースシムのソフト、"rElement2"を起動する。自室での練習のおかげでレースシムを開始する手順はしっかり身に付いている。
「レースの設定は私がしてもいい?」
「もちろんです」
「車は……そうね、F3にしましょう。コースは鈴鹿サーキット。周回数は現実に合わせて十二周」
F3は私が実際に乗っていて、先日の三日間のレースシム上でのレッスンでも使っていたF4よりワンランク上の車だ。
エンジン・シャーシ・空力など各部分がそれぞれF4から一回り以上強化されたマシンは、その性能と引き換えにさらなる高コストと扱いにくさを誇り、ふたつの意味でプロドライバー以外乗ることが難しい車となっている。
私は実車でF3に乗ったことは無く、自室でのレースシムの練習でもF4しか使用していなかったためF3の経験はリアル・バーチャル共に全く無い。ぶっつけ本番ということになるが、選択された車がフォーミュラカーであることに安堵を覚えてもいた。
レース人生を始めてからずっとエンジンが車体中央に積んである車以外に乗ってこなかった私だ。フォーミュラカーと特性の全く違う前輪駆動のツーリングカーなどを選ばれていては、いくら私と言えど泉さんには勝つのは難しい。
「AIドライバーもレースに入れましょうか」
「構いません」
「二十八台入れてちょうど三十台のレースね。AIの速さは最高レベル。練習走行と予選はなし。スターティンググリッドは私がポールポジション、あなたは最後尾の三十番手から。……プロが素人の小娘を相手にするのだから、このぐらいのハンデをもらうのは当然よね?」
「……いいでしょう。そこまで私の実力を買って頂けているとは、光栄ですね」
「どうかしらね……」
前輪駆動の車を選ばれなかったことに比べれば、そんなハンデはどうということはない……ということは、流石にない。
強がってはみたものの、三十台のレース、十二周の周回数で最後尾三十位からのスタートともなれば、通常なら始まる前から勝てないことは目に見えている。
まともに勝負させる気があるのか、と言いたくなるような条件だったが、不満を唱える権利は私には無いだろうし、例え唱えたとしても聞き入れられるかは怪しい。
かくなる上はややダーティな手段を使うのも仕方がないのか、と頭の片隅で考えてみる。
「ダメージ設定は『リアル』。ぶつけて抜こうなんて思わないように」
しかしそんなことは先刻承知とばかりに泉さんはそう重ねてくる。
ダメージ設定がリアルということは、接触をすれば現実と同じように車が壊れるということを意味する。
タイヤやウイングが露出しているフォーミュラカーで接触は致命的だ。ウイングを壊せばダウンフォースが大幅に低下してペースダウンは避けられず、タイヤとボディをつなぐサスペンションアームは軽量を追求したその見た目通り、少しの衝撃で簡単に折れて走行不能に陥ってしまう。
つまりは、私は正攻法で二十八台のAIドライバーを十周そこそこの間に抜き去らなければならない。そこまでしてようやく泉さんに追いつき一対一で戦うことができる。
……それが本当にできるのか、私に?
この条件は、あまりにもあんまりだ。
レースシムは単なるゲームではない。一発逆転ができるようなギミックなどは無く、実際のレースと同じように、物理法則に従って動く車を操作し一台一台を抜いていかなければ勝つことはできない。
対する相手は強敵だ。最高レベルの速さに設定されたAIドライバーに、素人を自称しているとは言えレースシム歴は私より圧倒的に長いだろう泉さん。たった十二周で彼ら全員を抜くなんてことは、常識的に考えれば不可能だった。
しかし、と私は思い直す。やるしかないんだ。私ならきっとできる。
自分自身を信じることさえできなかったら、もうレーシングドライバーとしてはやっていけないと私は思う。それができているにもかかわらずレーシングドライバーとしてやっていけてない私の現状は置いておくとして。
それに、私の勝利を信じている人はもう一人いるはずだった。その人のためにも私は勝たなければならない。
「……もちろんです!」
吠えた私に泉さんは何も言わず、自分のコクピットに座ってPCを操作しレースセッションを開始した。
既に見慣れたインターフェースが表示される。
画面にはコースのホームストレートが映っており、そこに私と泉さんを除いた二十八台が既に停車しスタートを待っている。
「少々セッティングを変える時間を頂けませんか」
「どうぞ。私もそうするわ」
「ありがとうございます」
初めて乗る車、それに加えて練習走行も予選も無くいきなりレースという状況では煮詰めたセッティングなどできないが、最低限のことだけはしようと考えセッティング画面を開く。
できることと言えば、搭載燃料を十二周分に設定したり、これまでF4で鈴鹿を走った経験から車高を決めたりすることぐらいだ。変更箇所は少なく、セッティングを終えるまでにそう時間はかからなかった。
「できました」
「私もできた。……始めましょうか」
こちらと違い、泉さんはさぞ『決まった』セットアップなんだろうな……とさらなる不利を想像し少し暗くなったとき、急に響いた大きな音にその思考は遮られた。
音の出所に振り向く。開け放たれたドアのところに人影が立っている。
「話は聞かせてもらいました! お二方、準備はよろしいでしょうか!?」
「……南山さん? いきなりどうしたんですか」
優秀な執事には珍しく、ノックもなしにいきなり部屋に入ってきた南山さんは、なんだか妙に張り切っているようだ。
「レースの匂いを嗅ぎつけたものですから。レースには実況が欠かせないでしょう?」
「は、はあ……?」
その口調は早口で、いつものような落ち着きは見えない。
そんな様子に面食らう私とは対照的に、泉さんは南山さんを全く意に介さず自身の目の前の画面をただ見つめている。まるで相手は私に任せたと言わんばかりに。
困惑で頭がいっぱいになりながら、とりあえずは南山さんに相槌を打つ。
「実況……まあ、あってもいいかなとも思いますが……誰がするんですか?」
「不肖、私でございます!」
「南山さん、実況なんてできるんですか?」
「よくぞ聞いてくれました!」
私の問いに、南山さんの表情がより一層明るくなる。
私の経験から言わせてもらえば、何かについて「よく聞いてくれた」なんてことを言う人は、たいていそれについて周りの人からよく思われていない。これもそのパターンな気がする。
「普段は紅家を陰に日向に支える謹厳実直な執事。しかしひとたびレースと聞けば、日本全国津々浦々、各地に出没しては頼まれてもないのに実況を始める男、シャルル南山とは私のことでございます!」
「そうなんですか」
リアクションが薄くなってしまったのは仕方がないと我ながら思う。南山さんのこの突然のカミングアウト、あるいはキャラクター変更に私は良く言えば呆気に取られた。悪く言えば少し引いた。
しかしだからと言って、曲がりなりにも上司である南山さんを前にそれを口に出すわけにはいかない。
思わず「は?」などと言ってしまうところを必死に我慢してなんとか絞り出したのがこの「そうなんですか」だ。
本来であれば大げさに驚くなり、感嘆の声を上げるなりするべきなのだろうが、そういったことができるなら私の人生もう少しうまくいっているのではないかと思う。
「おっと、富士沢選手は既にレースに向けて集中力を高める段階に入っているのか、口数が少なくなっております! その集中力でどういったレースを見せてくれるのか、活躍に期待しましょう!」
そんな私の冷めた反応を南山さんは気にした様子もなく、存在しない観客に向けて喋り始めた。もう実況は始まっているらしい。
やめろと言ったらやめてくれるだろうか。多分無理だとは思う。
ただ、長ったらしい口上を噛まずにすらすらと言えるあたり、アナウンスの技術は本当にあるのかもしれない。
続いて南山さんは泉さんの座るコクピットへと向かい、口元に架空のマイクを向ける素振りを見せた。
「それでは次に紅泉お嬢様へインタビューをしてみたいと思います。お嬢様、意気込みを!」
「ノーコメント。あっち行って」
「……はい」
泉さんには呆気なく一蹴されている。私が南山さんを邪険に扱えないように、南山さんもまた雇い主である泉さんには強く出られない。
勤め人の悲哀である。
「……さあ続いて詰めかけた観客の皆さんにも聞いてみましょう! グランドスタンドの皆さーん……おお、フラッグを大きく振られているのがこちらからも見えます! みんな準備整ったかなー? Are you ready?」
「いえーい!」
バーチャルレースなのだから当然観客もバーチャルで、もちろん応答の歓声などあるはずがない……のだが、返事をする男性の声が聞こえた。
私たちの反応の薄さに業を煮やした南山さんがとうとう一人二役に手を出したのかと思ったが、声質が違う。
「楽しそうなことをやってるね」
「ご主人様! 現在富士沢様のクビをかけて、お二人の一騎打ちが始まるところでございます!」
現れたのは紅さんだった。
なんてことだ。私は内心に呟く。めんどくさそうなおじさんがまた一人増えてしまった。
「そいつはいい。そういえば私は三百合ちゃんのシミュレーターでの走りを見るのは初めてかもしれないな」
「とくと目に焼き付けておきましょう! これが最後かもしれません!」
割と失礼である。しかもこのネタは前に聞いた。使い回しではないか。紅さんに聞かせるのは初めてなのかもしれないが。
「どうかな……。三百合ちゃん、これ勝ったらクビつながるの?」
近付いてきた紅さんが尋ねてくる。
南山さんは『クビをかけて』とは言っているが、『ただ勝ちたいだけ』と言ってこの勝負を受けてもらっているので、別段勝っても何があるわけではない、と思う。
「え……いや、そういう話ではない、はずです」
「なんだ、そうなの? 勝ったら契約延長、本採用でいいじゃないか。なあ、泉?」
「お父様、もうレースが始まりますので」
「あ、そう……」
泉さんは紅さんに目もくれずにそれだけ言い、レース開始の操作を始めた。
これまた一蹴された紅さんは部屋にあった椅子をふたつ私たちのコクピットの後方に持ってきて、南山さんと二人でそこに座り観戦を決めたようだ。
「ああ、運命とはかくも残酷なものでしょうか! かつてレーシングカート時代から火花を散らしてきたお二人の因縁の対決が、ついにこの一戦にて決着がつくのか!」
「いやあ思い出すなあ……思い返せば開幕戦、あの雨の激闘から始まったこの戦い。ついに終止符が打たれるのかと思うと万感の思いだよ」
「はい! 熱闘がいよいよ始まります!」
邪険に扱われているおじさん二人から、全く心当たりのない謎の設定が付加されようとしている。
いよいよ私も泉さんに倣って無視したほうがいいのかもしれないと思い、途中から聞き流すことにした。
「さあ、今二台がスターティンググリッドにつきました! 他二十八台のAIドライバーたちも既に準備万端! シグナルが点灯します!」
レースシムでのスタート手順は実際のレースと変わらない。
ピットから出て、ホームストレート上に並ぶスターティンググリッドにつくとシグナルが点灯し、それが消えるとスタートの合図だ。
ただし現実のレースがピットアウトしてから一周ゆっくり走るフォーメーションラップを経てスターティンググリッドにつくのに対し、レースシムでは大体の場合においてピットからボタンひとつでグリッドにつくことになる。
私もその通りにピット画面からボタンをクリックし直接グリッドについた。
前方には二十八台の車。はるか前方、ポールポジションにいるはずの泉さんの車は遠すぎて見えない。それだけ離れている相手を、これから私は捕まえなければいけない。
画面にシグナルのアニメーションが表示される。最初は消灯した状態だ。クラッチペダルを踏み込み、パドルを引いてギアを一速へ。
「誰もが息を呑む大クラッシュから生還した奇跡のドライバー、富士沢三百合」
否が応でも緊張するこの一瞬、泉さんが呟いたのが聞こえる。
「最後尾からの逆転勝利……。あなたが自分を『本物』だと言うのなら、もう一度、奇跡を起こしてごらんなさい」
「奇跡は起きませんよ」
シグナルが全てレッドに輝く。アクセルペダルを少し踏み込み回転を上げる。スタートまで残された時間はわずかで、長々お喋りしている暇は無い。私は端的に言った。
「プロが素人に勝つのは、奇跡でもなんでもないですから」
「言ってくれるわね」
ふっ、と泉さんが小さく笑ったのが聞こえた。
シグナル、ブラックアウト。三十台が一斉にホームストレートを駆けていく。




