I am designed to win. - Part 2
「私とレースシムで勝負してください。私はあなたに勝ちたい。そしてあなたに勝たなければ、次に進むことが出来ないんです」
この申し出を、泉さんが受けるメリットは全く無い。さらに言えば、常識的に考えて契約を履行できずに半分居候やっている人間の言うことなんて普通は突っぱねる。
だがそれでも私には、この挑戦を泉さんが受けるという確信があった。
「私と、レースシムでレースを? 『勝てばクビを取り消してくれ』とでも言うつもり?」
口を開いた泉さんの顔には薄笑いが浮かんでいる。それの意味するところは嘲りか、あるいは。
「いいえ、そんなことは申しません。私はただ勝ちたいだけです」
「この間、あれだけコテンパンにしてあげたこと、もう忘れてしまったの?」
「あの敗北の後に機材を購入し、今日まで自室で練習を重ねていました。少しはお楽しみ頂けるかと」
「どうりで最近姿を見なかったはずだわ……」
双見くんと一緒に買いに行ったシミュレーターの機材は購入翌日に紅邸に届き、早速私の部屋へと運び込まれた。
広めのワンルームと言えど、やはりそこはワンルーム。シミュレーター機材を置いてしまうと生活はなかなかに不便となったが、それに耐えながら今日まで起きている時間のほぼ全てをレースシムに費やしてきていた。
紅さんの送迎の仕事は引き続きやっていたものの、泉さんの送迎はあの一回きりだったため、泉さんが私をほとんど見かけなかったというのも無理はない。
「わかっていると思うけど、私がこの挑戦を受ける理由は無いわ」
「承知しております」
「なら、何故」
泉さんは問うてくる。
「何故それをわかっていながら、あなたはそんなに期待した眼差しをこちらに向けてきているの?」
「期待はしてません。確信はしていますが」
「理由を聞いているの」
「レース、お好きでしょう?」
理由はたったひとつ、シンプルなものだ。
「見るのも、走るのも。レースだけじゃなく、おそらくはモータースポーツ全般が」
そしてもちろん、レースシムも。
私がこの申し出を断られるはずがないと思っているのは、私や双見くんと同じように、泉さんもまたそういう人間――言い換えるならば、レースバカであるということを確信しているからだった。
「泉さんには、憧れのドライバーがいるとお聞きしました。……『富士沢三百合』が、あなたに勝ちたいと言っているのです。紅泉さん」
泉さんは私の大ファンだったと南山さんは言っていた。それが本当ならば、泉さんにとって今は『憧れのドライバーが、どうか勝負してくれと迫ってきている』というシチュエーションの只中にある。
これはモータースポーツを戦う人間にとって、ちょっとした憧れのひとつではないか? 少なくとも、私ならばそう思う。
自惚れるな、と人はこの考えを笑うかもしれない。
しかし、私がそう思うのならば、泉さんもまた少なからずそう思っているはずだった。泉さんも、私や双見くんと同じ思考回路を持っているなら。
「私は自分を『本物』の才能を持ったドライバーだと信じています。『本物』はどんな苦境に立たされても必ずや最後には勝利を収めるものです」
紅さんから以前言われた言葉だった。
『本物』の才能。チャンピオンに輝くべき器。それを私が持っていると。
当然だ、とレーシングドライバーなら誰でも考える。一方で、その証を立てることができなければそれは単なる思い込みのままで、今の私はまさにそんな状況に立たされている。
「『本物』のドライバーは、レースシムでも『本物』であるはずです。それを示すのがこの勝負だと思っています」
だからこそ、この勝負で私が『本物』であることを証明したい。
レースシムが実際のレースと同じように『本物』であり、それが示す挙動が現実と似通ったものであるなら、『本物』の才能を持った私はレースシムにおいても実力を発揮できてしかるべきだ。
それを実現するのが、泉さんがファンになってくれた『レーシングドライバー・富士沢三百合』としてのあるべき姿だろう。
裏を返せば、その程度もできないなら私は『本物』などではなかったということでもある。
そういった意味で、この勝負は私のクビがどうこうといったことよりもずっと大事なものがかかった勝負でもある。
「単刀直入にお聞きします。この挑戦を受けて頂けますか?」
「……まあいいわ。餞別がわりにね」
「ありがとうございます」
その承諾に、私は内心快哉を叫んだ。
双見くんの『名案』は、その想定された思惑通りに断ち切られかけていた私と泉さんとのつながりを、すんでのところで結び留めてくれている。
双見くんが提案してくれた『名案』。聞く前から私にもある程度想像がついたそれは、私にも想像がついただけあって至ってシンプルだった。
「つまりだな、レースシムでレースすればいいんだよ」と、双見くんはあの時、冷めかけたコーヒーを飲みながらそう言った。
不良同士が夕日の照らす土手で殴り合った後、草むらに寝転んで腫れた顔を見合わせながら「お前、なかなかやるじゃねえか」「ふっ、お前こそ」と言葉を交わし友情を深める。レースを走ればきっとそんな感じになる、めでたしめでたし、と。
自分でも少しは考えたこととは言え、流石にバカじゃないのかとは思ったし、事実そう口にも出したのだが、「俺もお前も、多分その人もレースバカだから大丈夫」というのが双見くんの答えだった。
それもそうだな、と納得してしまった私はよくよくのレースバカだし、実際にこうして誘いに乗ってしまうあたり泉さんも相当のレースバカではある。
ありがとう、双見くん。君のおかげで泉さんとの関係改善のための糸口をつかめた。
敬意を表して『世界で二番目に速いレースバカ』と今度から呼んであげることにする。
後は、私の問題だ。
「なかなかやるじゃない」と認めてもらうには、この間のように手も足も出ないのはもってのほか。少なくとも何発かいいパンチをお見舞いするぐらいはしなければならない。
これまで練習を重ねてきただけあって、それをする自信はある。しかしその一方で、自分の胸の鼓動が早まりつつあることも私は感じていた。
レース前、車に乗り込む前に必ずと言っていいほど出てくるこの現象。緊張だ。
実車レースの時と同じように緊張しているという驚きはあったが、同時にレースシムが『本物』であるならば、当然同じように緊張もするだろうと考える自分もいる。
相反する思考が同時に現れる奇妙な状況。それもまた私の精神状態を一段上の興奮状態へと誘っているのを実感していた。
「なら、早速始めましょう。あなたはそちらのコクピットを使って」
泉さんに空いているコクピットを手で示され、私はそれに近づいた。
この部屋でこのコクピットに触れるのはクビを言い渡されたあの日以来だった。
あの時はレースシムについて右も左もわからなかったが、本格的にレースシムを始めて知識も備わっている今、改めて見るとその装備の充実ぶりには舌を巻く。
フレームは量産品の細い鉄パイプを曲げたようなものではなく、工業用の角型のアルミフレームでおそらくは一から設計されたもの。
そこに乗るハンコンはフィンランド製の最高級品。工業用のサーボモーターを使用し、フルパワーを発揮すると人間の手首程度は簡単に捻り折ってしまえるぐらいの物騒な代物だ。
足元に目をやれば床から生えているペダルのさらに奥に何やら直角に曲がった円柱状の部品がくっついているのが見える。マスターシリンダーだ。ペダルを踏み込んだ力をブレーキフルードを介して油圧に変換するこの部品は、実車のブレーキ機構と全く同じものであり、またレースシムには一切必要性の無いものでもある。
リアルなフィーリングを実現するためにここまでやっていることに、泉さんのレースシムにかける思いを再度確認させられる。
単なる息抜きや遊びというレベルをとっくに通り越し、これはれっきとしたスポーツだ。
私も似たスポーツで戦うアスリートの一人として、全力をかけて望まなければならないだろう。




