I am designed to win. - Part 1
契約から丁度一か月後の『試用期間』の最終日の前日。私は泉さんのレースルームを訪れていた。
ノックは二回。返事は無いが、耳を澄ますとかすかにハンコンを回す音やパドルを引く音が聞こえる。
聞こえていないのだと判断しそっと中に入ると、果たしてその通りに泉さんはバーチャルのサーキットに没入していた。
私は声を掛けることはせず、泉さんに気付いてもらえるまでドア付近でただ待つことにする。
ここで声を掛けたら「邪魔しないで」とくることを学習していたからだった。
「……何?」
しばらくして、走行を一段落させてヘッドフォンを外した泉さんがこちらに振り向き……ぎょっとした表情を見せた。この人の驚いた顔は初めて見るな、などと思った。
さて泉さんが驚愕したその原因はと言えば、私の服装と見てまず間違いない。
今日の私は勝負服を着ている。
「なんなの、その恰好」
「イタリア製のオートクチュールのワンピースです」
「……間違ってはいないわね」
レーシングスーツというものは上下が分離していない一着の服である。つまりワンピースだ。
このスーツはイタリアメーカーにオーダーメイドで発注したものなので私の言葉に一切の嘘はない。
例え炎に焼かれても数十秒程度なら燃えないでいてくれる耐火繊維で出来ているレーシングスーツは、私が持っている中で一番高価な服でもあり、二重の意味で勝負服でもある。
もちろん足はレーシングシューズ、手はレーシンググローブでキメている。ヘルメットも被ってこようかと思ったが、喋りづらいので流石にやめた。
そんなレーシングスーツ姿の私に呆気に取られたのも一瞬、すぐに無表情を取り戻した泉さんに軽く一礼すると、少し息を多めに吸って私は話し始めた。
「謝罪したいことがございます」
「心当たりはないけど」
「レースシムについてです。初めてお会いした日、泉さんが大切に思っていらっしゃるレースシムを侮辱したような言い方をしてしまい、申し訳ございませんでした」
「……別に気にしてない。でも、次の職場ではものを言う前に少し考えた方がいいかもね」
まだ期限は一日残っているはずだが、やはり泉さんは私をクビにするという確固たる意志をお持ちのようだ。
予想していたことなので驚きこそしないものの、気圧されてしまうのはどうしようもなかった。
ひるむな、と自分を鼓舞する。勝負はこれからだ。何のためにこんな恰好をしてきているのかを忘れるな。
「次に、ひとつ白黒はっきりさせて頂きたいことがあります」
「あなたの処遇について? わかってると思うけど、明日でクビ。この一か月間、契約を延長したいと思わせるような働きは無かったから」
「そのことではありません。……今日までの一か月間、とても充実した日々でした」
「嘘ばっかり」
茶々を入れてくるのには気付かないふりで、私は先を続ける。
「初めてお会いした日。久しぶりに触ったレースシムと泉さんの熱心さに感動しました」
その後の解雇騒動はともかくとして、あの三日間に目にした心底楽しそうに私とレースシムで走っていた泉さんの様子は、強い印象を残している。
あれが全くの演技だったとしたら、私はもう他人を信じることができそうにない。もしそうなら泉さんがするべきはレースなんかではなくお芝居だ。
走っている最中にふと視線が合った時に見せてくれたあの眩しい笑顔は、本物の笑顔だったと思う。
「下校のお迎えに上がった日。私とのお喋りに付き合って頂きました。そこでお聞きしたレースシムへの思いに私はただただ舌を巻き、またレースシムへというものへの興味が湧いてきました」
あの会話がなければ、私はレースシムをずっとナメていたままだっただろうし、決して厚いとは言えない懐から数十万も出してレースシムの機材を買おうとは思わなかった。
このことが私のこれからにどういった影響を及ぼすかはさておいて、私にそれをさせたのは泉さんであることは間違いない。
「短い間ではありましたが、この一か月間のことをこれからずっと忘れません」
「……そう。新天地でも頑張って。いい挨拶だったわ。さよなら」
「まだ続きがあります」
「忙しいんだけど……」
我ながら卒業式での別れの言葉じみているとは思うが、勝手に送辞を述べて式を終わらせようとしてくるのはやめてほしい。
「それで? 『レースシムをバカにしていましたが目が覚めました、クビを取り消してください』とでも言うつもり?」
「いえ……泉さんには、どうしても、『この人にだけは勝ちたい』という人がいらっしゃいますか?」
これが本題だ。泉さんがレースシムにこだわる理由。それが双見くんの考え通り、『ライバルを打ち倒すため』であるかどうかを確かめに来たのだ。
もし「いる」という答えが返ってきたら、私には言わなければいけないことがある。
「私は先日、ドライバーの知り合いに会ってきました。もしかしたらご存知かもしれませんが、双見勝というドライバーです」
「知ってる。あなたを負かしたドライバーでしょ」
「一時的には。いずれまた私が勝ちますが」
キツいツッコミがくるが、そんなことにいちいちくじけてはいられないので言い返す。結果はどうあれ、私は負けたとは思っていないのも事実だ。
「その彼との会話の中で、『レースをやる理由』が話題に上りました。彼は『レースをやる理由なんて、ひとつしかない』と言うんです。私もそれに同意しました」
私は泉さんの目をしっかりと見据えて言った。
「『勝ちたい』。レースをやる理由は結局のところそれに尽きるというのが、私たちの結論です」
「……それで?」
「この結論に至った時、私は泉さんのレースシムにこだわる理由もそれではないかと思いました。泉さんには、この人に勝ちたい、勝たないと次に進めない、そう思っている相手がいるのではないですか?」
私が言い切っても、泉さんは黙ったままで、こちらの視線を真正面から受け止め見つめ返してくる。
そうくるのならこちらも目をそらすわけにはいかない、と負けじと凝視していると、なんだかにらめっこをしているような気分になってくる。
まばたきをしていなかったせいで眼球が湿り始めた頃、ようやく泉さんが口を開いた。
「なかなか鋭いのね……いるわ」
少しは見直してもらえたらしい。ここまでのことはほとんど双見くんが考えたことだと言うのは黙っておくことにする。
「やはり、そうですか。……ところで、私にもどうしても勝ちたい相手がいます」
「双見選手でしょ?」
何を当たり前のことを、とばかりに泉さんはそう言った。
「純粋に抜かれたのならともかく、クラッシュに巻き込まれてリタイヤという幕切れではさぞ悔しいでしょう。いつかリベンジできるといいわね」
無理だけど、の一言を言外につけ足しているその言葉は、普段ならあまり私をいい気分にさせるものではない。
しかし、今回は違う。泉さんのこの答えは私の予想通りのものだった。狙い通りの展開になってきていることに私は静かに興奮すると共に、また緊張も覚え始めている。
「違います」
「何が?」
「双見くんはどうしても勝ちたい相手ではありません。楽勝とは言いませんが、今でもその気になれば勝てる相手ですから」
『勝ちたい相手』が双見くんだとは、私は口にしてはいない。今言った通りに私と双見くんの実力は客観的に見て互角、主観的に見れば私がわずかながら上回っている。
好敵手ではあるが、乗り越えるべき高い壁ではない。
私がどうしても勝ちたい相手は、別にいる。
これまでの人生で、ことドライビングにおいては誰が相手だろうと負けなかった私が、唯一手も足も出なかった相手。
私と同じようにモータースポーツとドライビングを愛し、私と一緒に走ることを楽しんでくれた相手。
その人に勝ちたい。その人が愛するステージで。
競う場が現実のサーキットであるか、仮想現実のサーキットであるかというのはもはや些細な問題に過ぎない。
「私が勝ちたい相手は……紅泉さん、あなたです」
虚を突かれたのか、泉さんの目がわずかに見開かれた。




