レースシムを始める準備はできている - Part 3
「ば、バカ!?」
「大バカだよ。そんなことのために大枚はたいてあんなもの買っちまってさ」
やれやれ、と苦笑する双見くん。バカ呼ばわりされた上に苦笑までされて正直ムッときたが、その表情がすぐに真剣なものに切り替わったことで、抗議の声を上げるのは取りやめた。
「富士沢はもうその答えを知ってるはずだ。気付いてないだけで」
「私が……知っている……?」
「ピンと来てない顔だな。……よし、これ飲み終わったらバッティングセンター行こうぜ!」
「え、なんで?」
かと思えば再び茶化した態度に変わり、唐突な提案を出してくるので面食らってしまう。
「勝負しよう。どちらがいい当たりを多く打てるか」
「やだよ。野球なんてやったことないし……」
「怖いのか。負けるのが」
「いや怖いとか、そういう事じゃなくて」
「なあ、俺たち自他共に認め合う最大のライバルだろ? そのライバルからの挑戦を受けないなんて、いつからお前はそんな臆病者で負け犬でチキンになっちまったんだ? 悔しくないのかよ」
突然降り注ぐ罵倒の雨に困惑する。よくもまあそんなにスラスラ出てくるものだとちょっと感心した。人なのか犬なのか鳥なのかはっきりしてほしい。
「……さっきから一体何の話してるの? どうでもいいよ、バッティングセンターとか。私はレースシムについての話を……」
「そうだ。どうでもいいんだよ。普通は」
「え……」
「どうでもいいんだ。自分がまったく興味のない分野でいくら他人に劣ってようが、普通は気にしない。でも誰にだってこれだけは譲れないものってあるだろ。俺たちにとってはレースがそうだ」
噛んで含めるような言い方に、バッティングセンターうんぬんの話は例え話だったのだとようやく気付かされる。
私にとってレースは大切なもので、野球はそうではない……確かに。でも、それがどうしたというのだろう?
「さっき、パソコン売り場でレースシムのデモ機を見てた時、お前なんて言ったか覚えてるか?」
「え? えーと……」
あの時私が言ったこと……何か変なことを言った記憶はない。私が記憶を引っ張り出してくるのを待たず、双見くんは続ける。
「俺が『一勝負するか?』って聞いたら、『やめとこう。日が暮れるから』って言ったんだよ。……これでもまだ、わからないか?」
言われてみればそんなこともあったような気がするが、いまひとつ双見くんの意図がつかめない。私は無言で頷く。「まったく大したバカ、レースバカだよお前は……」と苦笑しながら、双見くんはこちらをしっかりと見据えて言い放った。
「富士沢、お前の中でレースシムはもう『譲れないもの』になってるんだよ。『本物』のレースと同じようにな」
その言葉に、かちり、と脳裏で何かつかえていたものが外れたような感覚があった。
ずっと錆び付いていた歯車が動き始めたように、これまでの泉さんの言葉の数々からはっきりとしたひとつのイメージが出来上がっていく。
そのイメージはきっと、これまで考えてきた謎への答えになるという確信があった。
「よく似てはいても、実車とレースシムは別物なんだ。野球とソフトボール、サッカーとフットサルみたいに。レースシムは実車でレースできない奴が仕方なくやるようなものじゃない。レースシムもレースと同じく、全力を尽くすだけの価値がある『本物』なんだ」
双見くんの話は続く。これは自分のことを言われていると私は思った。双見くんにその自覚はないだろうけど。
レースシムを、シミュレーターという名前からして私はどこか舐めてかかっていた。
当然目指すべき場所としてリアルなモータースポーツがあり、レースシムはその劣化コピーに過ぎないのだと。
そんな私の考えを見透かして、泉さんは腹を立てたに違いない。このふたつは、本質的に何も違わないというのに。
「その、富士沢が見ためちゃくちゃレースシムに金掛けてる人ってのもきっと同じだと思う。その人にとってもレースシムは『譲れないもの』で、実車に乗る乗らないは別として、レースシムで実現したい目標かなんかがあるんだろ、多分」
私は双見くんの洞察力に感心した。私が泉さんの起源を何度か損ねながらようやく到達したその時点まで、この短い会話の中で得られた情報のみで辿りついてしまうことに。
「で、その目標をどうしても達成したいから、それができない内は実車を始めようなんて思えない……てな感じじゃないか?」
「なるほど……」
ここまで来たら、後はもう一息だ。泉さんがレースシムにこだわる理由は想像がついた。残る最後の謎はひとつ。その目標自体はどんなものか、だ。
「でもまあ、レースで目標にすることなんて、決まってるよな?」
ニヤリと笑い双見くんが言う。その目標は、決して難解なものなどではないとその顔が語っている。
「『勝ちたい』……」
その言葉は、自分で言おうとして出てきたものではなく、無意識のうちに私の口から紡がれたものだった。
考えるよりも先に出てきた答え。双見くんの言う通り、私は確かにそれを既に知っていた。
そうか。そういうことか。そういうことだったのか。
「流石はレースバカ、よくわかってるじゃないか」
「本当だ……なんでこんなことに気がつかなかったんだろう……」
人間がレースをやる理由なんて、古今東西未来永劫、たったこのひとつしか存在しない。
『勝ちたい』。泉さんは、勝ちたいのだろう。レースシムで、誰かに。私がそう思いながらレースに出ていたのと同じように。
詳しいことはわからないが、泉さんの中でそれは絶対に為されなければならない。実車がどうとかそんなことは関係なく、ただその『誰か』に『レースシム』で『勝つこと』が必要なんだ。
そのために私を雇おうとして、そこで何もわかっていない私に幻滅した。送迎の車内で与えられた二度目のチャンスも、私は棒に振ってしまった。
私に残された時間は少ない。だが、まだゼロにはなっていないはずだ。
「私、謝らないと……」
「どうせその人に、『レースシムなんて所詮ゲームでしょ』みたいなこと言ったんだろ?」
「うん……」
「謝るのは当然だが、口滑らせて余計な反感買わないように気をつけろよ」
「う……」
そう言ったことは十分にあり得る。しかしただ一言謝罪をするに留めたところで、泉さんの心証が多少回復することはあっても、クビ取り消しとまではいかないだろう。
どうしたものか、としばし思い悩むも、具体的な解決策は出てこない。ただひとつだけ、解決策とはとても言えないような馬鹿げたアイディアは浮かんだが、これは実行に移すのはどうかと思い頭から追いやろうとする。
「……そうだ、いいこと思いついた。名案だ」
「何?」
そんな私に、双見くんが意味ありげな笑みを浮かべて提案を持ってくる。
「口下手な富士沢でも、その思いをストレートにぶつけられる方法だ。その人が俺の考える通りの人なら、きっとうまくいく」
「それって……」
今の私には、双見くんが言おうとしていることは手に取るようにわかる。その後双見くんの口から語られた『名案』は、やはり私の想像通りのもので、私が思いついた馬鹿げたアイディアと大して変わらなかった。
「双見くん、今日は本当にありがとう」
「いや、こちらこそ。今日は会えてよかった」
レストランを後にして、駅の構内まで歩いてきたところで今日はお開きとなった。
「ずっと心に引っかかってたんだ。富士沢は俺にとって一番のライバルだったし、いい友達でもあるから」
そう言って、双見くんはやわらかに微笑する。私はそれに返事はせず、笑みを返すだけに留めた。
また飯でも行こう、と手を振り改札を通っていった双見くんをしばし見送り、私は別の路線の改札がある方向へと歩き出す。
双見くんに見せた笑顔は、もう消した。
彼はいい人だと思う。友達になれたらきっと楽しいだろう。しかし残念ながら、私と双見くんは友達じゃない。私はそう思っている。いや、私だけが今でもそう思っている。
レーシングドライバーはレーシングドライバーの友人になるのは難しい。それが同じレースを戦った相手であるなら、確実に無理だ。
「……ふざけんな……」
拳を強く握りしめる。
ライバル『だった』? 『いい友達』?
双見くんに悪気はないことはわかっている。今日は、彼のおかげでレースシムのなんたるかについて気付くことだってできて、そのことについては感謝もしている。
でも、レースが絡めば話は別だ。
「やっぱり許さん」
あのレースの翌日、紅さんから双見くんが勝ったと聞いたときに、私の中で荒れ狂った気持ちが再びメラメラと音を立てて燃え出すのを私は聞いた。
やはりあいつには一度やり返してやらなければいけない。
衆人環視の元、完膚なきまでに。出来ることならそれによって彼のキャリアに傷がつくほどの完全無欠の勝利を。
……でもどうやって?
戦えば負ける気はしない。しかし今の私は、戦いの舞台に立つことすらできない。
『スタートラインにもつけなかったあなたは諦めるしかない』。送迎の車内で聞いた泉さんの言葉が脳裏にこだまする。まったくその通りだった。
ではレースシムで戦いを挑むか? 私はちらとそう考えたが、すぐにその思い付きを頭の外へと追いやった。
バカバカしい。それで勝ったところで一体何になるというのだ?
確かにレースシムは単なるお遊びではないかもしれない。しかし双見くんにとっては、人生を賭けるほどのものでないのは間違いない。レースシムで勝ったところで双見くんには何らダメージがない。
私が双見くんにレースシムで勝ったら、きっと彼は屈託のない笑顔で負けを認めるだろう。『いやあ負けたよ富士沢、速いなお前』という感じに。
しかしその言葉の裏には『でも俺はお前と違ってレース続けていられるし』という意味が込められている!
その様子を想像するだけではらわたが煮えくり返る。
「くそう……」
私は接触した双見くんを呪った。
アクシデントを回避できなかった私自身も呪った。
大金持ちでない両親を呪った。
金がかかりすぎるモータースポーツの仕組みを、契約通りにチームを解雇した紅さんを、私のレース復帰への一縷の望みを絶とうとする泉さんを呪った。
「こんな……こんなの……」
この世のありとあらゆる事象が私の邪魔をしている。何事もなければ私は勝っていた。この場にいなかった。こんなみじめな気持ちを味わうこともなかった。
許されるのか、そんなことが?
私はまったく悪くないのに……!
「こんなの……ただのやつあたりだ……」
大きなため息をひとつ。
結局はそういうことなのだった。
自分が一番よくわかっている。誰が悪いということでもない。
しかしそれならば、この気持ちは一体どこに向ければいいのだろう?
紅邸の自室へと戻り着替えを済ませてからベッドに寝転がる。
次に気が付くと日没だった。
半日にも満たない短い外出にもかかわらず、自分の思った以上に疲れていたのか、眠り込んでしまったらしい。
休日が終わる。午前はお出かけでライバルにナメられていることに気付かされ、午後はお昼寝で時間を浪費するというのはなかなか有意義な一日だ。
どうにも気分がささくれ立っているのは、双見くんの言葉がまだ心の中でくすぶっているせいだ。
あそこで黙っていたのはよくなかったな、と今更ながらにして思う。
何か皮肉のひとつでも返してやるべきだった。
しばし考えてから私はスマホを手にした。
『今日はありがとう。この借りはいつか必ず返す』
単純なお礼とも、宣戦布告ともとれるメッセージを送ってやった。
双見くんはこれを見てどう思うだろうか?
生意気言いやがって、というようなことを思ってくれるだろうか。
返事を待つことはせず、スマホの画面を消した。




