レースシムを始める準備はできている - Part 2
このまま駅まで戻って解散でもよかったが、昼食を一緒にどうかという双見くんの申し出により、駅ビルの中にあるレストランに入ることになった。
店は混み始めていたが待たされずに座ることができたのは幸運だった。双見くんはハンバーグランチとコーヒーを頼み、私も同じものにした。
注文を取った店員さんが去り、メニューを脇に片付けると、双見くんはこちらを少しの間まっすぐ見つめて、いきなり頭を下げた。
一瞬ぎょっとしたが、心当たりがないわけではない。私は続く言葉を待った。
「この間のレース、申し訳なかった」
謝罪の理由は予想通りだった。先日のレースで私と接触したこと。
「いや……あれはレーシングアクシデントだから。双見くんが悪いわけじゃない」
「……そう言ってもらえると、正直救われるよ」
頭を上げてそうは言うものの、双見くんの顔からまだ申し訳なさそうな表情は消えていない。
「ぶつかってスピンしたのが私じゃなくてそっちの可能性もあったしね。わざとじゃないってことはわかってる」
仮に彼がわざと私をコース外へ弾き出したとしても、そのまま自分が走り続けられるという確証はどこにもない。
両車共に走行不能となる可能性は十分にあったし、最悪の場合は相手は無傷でレースに復帰し、自分だけがリタイアとなるおそれもあった。現実はその逆となったけれど。
さらに言うならば、故意に接触しスピンさせたなどという裁定が下りでもすれば、来季の出場停止やレース界の追放というのもありえない話でもない。
モータースポーツにおいて、わざとぶつけるというのはリターンに対してあまりにもリスクが大きく釣り合わないようになっている。
故にあれは避けようがなく誰にも咎の無いレーシングアクシデントだ。仮に外野がなんと言おうと、私たち当事者の間でははっきりとわかっている。
わかっている、のだが……それを受け入れられるかというと、話はまた変わってくる。
いくら言葉では「許す」と言ったって、心の底から無かったことになどできない。
私が今日、気まずさを湛えて現れた双見くんに対して明るく振舞っていたのは、双見くん自身を気遣ってというよりも、自分自身がそのわだかまりに触れたくなかったからだ。
どれだけ謝罪の言葉を重ねようとも、言葉上では許すことしかできないし、心の中では許すことなどできない。今となってはどうにもならないことなのだから、そんなことには触れなければいい。
そんな思いから、私はそこで話題を変えた。
「そうそう、風の噂で聞いたよ。来シーズンのステップアップが決まったって?」
「うん……なんとかな」
「まあ、双見くんが上に行けないなら他に誰が行くんだって話だしね」
「それと新しいスポンサーも見つかったんだ。そのスポンサー、ちょっと変わってるんだけど……。とにかく、来年はいい体制で戦えそうだ。参戦初年度だけど、勝ちにいくよ」
「へえ」
F4チャンピオンの肩書を手土産に、来年双見くんがひとつ上のクラスであるF3に参戦するというのはモータースポーツを扱うニュースサイトの記事で知っていた。
実力だけでは上に行けないのがモータースポーツの世界だが、今の話を信じるなら懸念のひとつである資金面も新しいスポンサーとやらの獲得によってクリアとなっている。
今の双見くんにはまさに前途洋々という言葉がふさわしい。
結構なことだ。
私はそれを妬みはしない。羨ましがることもない。ただどうしてそこにいるのが自分でないのか、ということをひたすらに考えてしまう。
相槌を打ったきり黙り込んでしまった私にどう声をかけるか思い悩んでいるのか、双見くんも所在なげに水を飲んだり腕時計を見たりしている。沈黙が続く。
「お待たせいたしました、ハンバーグランチでございます」
幸運だったのは、ここがレストランだったということだ。
「ご注文以上でよろしかったでしょうか」
「はい」
「ごゆっくりどうぞ」
「……じゃあ、食べようか」
「そうだな……頂きます」
「頂きます」
食事をしている間は、無理に会話をしなくても済むというのは、今の私たちにとってはありがたかった。
「しかし、意外だったな」
「何が?」
食後に運ばれてきたコーヒーを一口飲んでから双見くんが言う。私はコーヒーフレッシュを入れたカップをかき混ぜながら聞き返した。
「富士沢がレースシムをやるとはね。苦手って言ってなかったっけ」
「今でも、完全に苦手じゃなくなったとは言えないけど」
「まだ苦手意識が残ってるのにあんなでかい買い物をしちまうのか……一体どういう風の吹き回しなんだ?」
どういう説明をすべきか、しばし迷ってしまう。
あのレースに双見くんに吹き飛ばされてからこっち、私の人生はジェットコースターのような急展開を見せているが、それを全て説明しようとすると長い話になる。
それに加えて言うなら面倒だ。手っ取り早く目下の悩み事のみを打ち明けることにした。
「レースシムについて、わかりたいんだよ」
「わかりたい……?」
「私が見たレースシムをやっている人は、すごくお金をかけてレースシムをやってた。その人は『いずれはモータースポーツをやりたい』って言ってたから、よかれと思って『早く実車を始めたほうがいい』って言ったんだけど、それが気に障ってしまったみたいで……」
現在私の一番の関心事は、泉さんがレースシムに執着する理由だ。
実車に乗りたい、お金もある、なのに乗らないというのは私のこれまで培ってきた常識からは大きく外れた行動で、私には理解できない。
「レースシムは確かに実車の動きに近いと思う。でもやっぱり違うところはあるし、いずれ実車に乗るんだったら変な癖をつけないためにも早い内に実車に乗った方がいいと思った。この考えは、間違ってるのかな」
理解できないならできないで放っておくという選択肢もあるのだが、今回ばかりはそれが許されない。理解せずにこのまま日数が経過すれば、私は確実に一文無しで――いやそれどころか莫大な借金を抱えて寒空の下に放り出される。もっとも、理解できたところでそうならないという保証もないが。
「もし間違っているというなら、それのどこがどう間違っているかを知りたい。シミュレーターは実車の練習として完全なものじゃないのに、どうしてそこに留まっているのか。双見くんならわかるかな? レースシムって、なんなの?」
「それがわからない、と?」
「うん……」
双見くんは一瞬目を閉じ、深いため息をついた。
「富士沢、お前……バカだな」




