Limited Speed Passenger Ride
レースシム家庭教師としての任を解かれ、使用人としての一歩を踏み出した私に与えられた仕事は運転手だった。
雑用係として私がやるべき仕事は炊事や洗濯や掃除といった家事をやることになるだろうと私は予想していたのだが、それは外れたことになる。
南山さん曰く、家事はアウトソーシング、つまり一般企業の提供するサービスを利用しているらしく、家事に関して私がやるべきことは特にないという。
それならせめてそうしたサービス利用の手配などの雑務をやらせてほしいと頼んでみたりもしたのだが、そうした業務は南山さんがやっているのだった。
では他に何か手伝えることがあるかと聞けばそれも無い。
昨日の泉さんに「人手が不足している」と言っていたのは完全に方便だったようだ。
「何かありましたらその時はお声がけしますので、それまでゆっくりされていては」
嘘をついてまで私をここにいられるようにしてくれたうえに、そんなことまで言ってくれるのは本当にありがたいことなのだが、それで「やったラッキー」とくつろげるほど私は図太くもない。
穀潰し状態でいるのは居心地が悪いので何かをさせてほしい、という私の望みを聞き南山さんが任せてくれたのが、元は南山さんの仕事のひとつである紅さんと泉さんの送迎の運転手だった。
初仕事は朝出勤する紅さんの送迎だ。
「やはりレーシングドライバーの運転は最高だね」
「ありがとうございます」
後部座席に座る紅さんがそう声をかけてくれる。レーシングドライバーが運転したところで車の乗り心地が良くなったりはするはずもないのでお世辞半分といったところだろうが。
「で、早速、クビになったんだって?」
「ええ……」
多忙な紅さんと顔を合わすのは『あの日』――私が退院し、クリムゾンレーシングチームをクビになり、泉さんの家庭教師になる契約を結んだ日――以来のことだった。
顛末を聞いたのは泉さんからか、それとも南山さんか。泉さんからだったとしたら悪印象を伝えられているかもしれないと少し心配になる。
「そりゃいいや。三日で二回もクビになる人なんてそうそういないよ」
しかし、ルームミラーに映る紅さんがそうやって心底おかしそうに笑うのを見ると、そういった様子は無いようだった。
「笑いごとじゃないですよ……!」
「それもそうだ。借金も抱えていることだしね。一か月は待ってもらえるんだろう? 試用期間ってわけだ」
「どうですかね……」
試用期間、という例えは適切なのだろうか。あんなことが起きてしまった以上、泉さんはわざわざ私から教えを乞うなんてことはまずないだろう。
試用してもらえなければ一か月後の私に待っているのは確実な解雇だ。どうにかしなければ、という思いはあるものの、何をすればいいかという考えはまだ何も浮かんできていない。
「ところで、泉はどうだった?」
紅さんが話題を変える。
「どう、とは……?」
「速かったか?」
「シミュレーターで、ですか」
「うん」
「あれをどの程度信用していいのかわかりませんが……なかなか速かったと思います。きっと才能がありますよ」
「ほう」
「私としては早く実際の車に乗せるべきだと思います。本人もそれを望んでいるようですし……」
家庭教師をクビになるかどうかは別として、現状を打破できそうな唯一のアイディアはやはりこの『泉さんをデビューさせたどさくさまぎれで私も復帰しちゃおう計画』だった。
痛い目を見たばかりではあるが、それでも私は泉さんを実車の世界に引っ張り出そうとすることを諦めてはいない。
是が非でも泉さんには実車デビューを飾ってもらいたい。そしてそのおこぼれにあずかり私もサーキットへと戻りたい。
未だに抱えているそんな思いからダメ元で言ってみたのだが、紅さんから返ってきた言葉は意外なものだった。
「やはり三百合ちゃんもそう思うか……」
「え?」
「あの子に才能があるかどうかはともかくとして、モータースポーツを始めるのなら早い方がいい。私もそう言ったんだが」
「ええ……?」
聞いていた話と違う。
「紅さんは、泉さんがモータースポーツをすることに反対ではないんですか?」
「私が? むしろ逆だよ。早く始めればいいと思っているし、それに必要なものがあれば何でも揃えてやるつもりだ。そのつもりなんだが……」
「本人が乗り気でない……?」
「いや、その気はあるらしい。だけど何度聞いても『今はまだ』とはぐらかされてしまうんだ」
「何か理由があるんでしょうか?」
「さあ? ……家庭教師の先生にはそういうことをそれとなく聞き出してくれることも期待してたんだがね」
「……すみません」
「いや、いいけどさ。まあ、無理矢理やらせるようなことでもないし、根掘り葉掘り聞くのも悪いかと思って、今はそっとしておいている状態だ」
「そうなんですか……」
そこで一旦会話が途切れ、私は考えを巡らせる。
泉さんの話では紅さんが反対しているせいで実車モータースポーツを始められないということだったが、今の紅さんの話では状況が全く逆だ。
そうなるとどちらかが嘘をついているということになる。私の見立てでは、おそらく嘘をついているのは泉さんだ。
と言っても何か確信させるだけの理由があるわけではない。ただ単に私は泉さんに既に『実力を偽る』という嘘をつかれていて、今度もそうではないかと思っただけだった。
南山さんが、泉さんは嘘がつけないと言っていたのを思い出す。それは文字通りの意味でなく、私にも見破られるくらい嘘が下手だということらしい。
今の紅さんの話では、泉さんはモータースポーツをやる気自体はあるという。
すると現在の泉さんは『モータースポーツを始められる状況にありながら、それをあえて拒んでいる』ということになる。何故だろうか。
少し考えてみるが、五秒と経たずに私は諦めた。親子として長い時間を一緒に過ごしている紅さんにすらわからないものを新参者の私がわかるはずもない。
「しかし、あれだな、やっぱりあの子はかわいいな。そう思わないか」
紅さんがそう言うが、私には何のことを言っているのかよくわからなかった。泉さんの容姿は確かに人並み以上とは思うが、何故今そんな話をするのだろう。
「私がモータースポーツに反対しているなんて嘘をつくとはね……」
「……それのどこがかわいいんですか?」
くっくっ、と笑う紅さんだが、私はなおもピンと来ていなかった。
「もし、私が泉のモータースポーツ参戦に理解を示している、と聞いたら三百合ちゃんは間違いなく『実車でコーチをやらせろ』と言ってくるよな?」
「そうですね」
そう聞かなくても似たようなことを言っているのだから、まず間違いない。
「つまり、そうされたくなかったんだよ、泉は」
「はあ……。どうしてなんでしょうか」
「……そんなこと言ってると、本当に愛想尽かされてクビになるぞ?」
愛想は既に尽かされていて、それをどう挽回するかというのが現在の問題となっているのではないのか。
「あの子は、君とレースシムをやりたいんだよ。だからそんな嘘をついてまで、君に教えてもらおうとしたんだ。君のことが好きだから」
南山さんは泉さんが私のファンだと言っていた。そうなると、あれは本当に南山さんの出まかせではなく事実だったのか?
ずっとファンだったドライバーと自分が熱中しているレースシムを一緒にプレイできる。
それは確かに素敵なことで、できることならずっとその状態が続くようにしたいと思うものかもしれない。
しかし、泉さんがそういうことを考えていたとは思えない。……いや、正確には思いたくなかった。
「どうですかね。そんなことするほど好きなドライバーにクビ言い渡したりします?」
「私はやったよ」
「そうですけど……」
考えてみれば、私はこの親子にキャリアをずいぶんと紆余曲折させられている。しかもごく短期間で。
できることなら嫌味のひとつでも言ってやりたいところだが、そもそも私が勝てばよかっただけの話なので、何も言えることはない。
「妙に頑なだね。どうして素直に好意を受け取れないんだ?」
「泉さんが本当に、そこまで私のことを好きでいてくれたなら、それは嬉しいです。……でも、そうだとしたら、私のしたことはとても残酷じゃないですか」
泉さんがそうまでして私とやりたいと思っていたレースシムを、私は自身の思惑があったとは言え、下らないものとして切り捨てるような真似をした。
もちろんそれは思惑がなかったとしてもやっていいことではないし、泉さんの気持ちを知らなかったからとして許されることでもない、まごうことなき私の落ち度だ。
それだけならまだマシだ。私が朴念仁なことで、泉さんは不快な気持ちになったとしても、なんだあいつは、と容赦なくクビを切ればいい。
しかしその落ち度が、泉さんの私に対する気持ちまで踏みにじられていたということは考えたくなかった。
「なるほどねえ」と紅さんがため息交じりに呟く。
「あの子も母親似で素直じゃないところがある。三百合ちゃんみたいな人が相手だとすれ違いが起きてしまうのかね」
痛み分けのような言い方をしてくれてはいるが、それでも悪いのは私の方だろう。泉さんは確かに嘘をついてはいたものの、私への好意を隠さない素直な一面を見せてくれていたのだから。
「でもまあ、本当に三百合ちゃんもレース以外はアレだな。その代償があの速さなのかもしれないけど」
いつもなら、この褒められているのか貶されているのか釈然としない言葉も、私は純粋に速さを褒められたとして喜べただろう。今の私にはそれができなかった。
ドライブの時間はそう長くない。目的地である市街中心部、オフィス街の一角へと車を停める。ハザードランプを点けてから降り、後部座席へと回ってドアを開ける。
降車し歩道へと上った紅さんに「いってらっしゃいませ」と言って軽く頭を下げる自分はお抱え運転手として結構サマになっているな、などと思う。
「うん……そうそう、契約書はちゃんと読みなよ」
「……それも聞いてましたか」
立ち去りかけた紅さんが足を止めて振り返りそう言う。
泉さんからの解雇通知騒動が耳に入っていれば、そのエピソードを聞いていてもおかしくはない。
「前々から言ってるはずなんだけどね……どうしてもっときちんと読まないんだ?」
どうして、と言われてしばし考え込んでしまう。硬い文章は苦手だから、長くていちいち読んでいられないから、といくつか理由はあるが、一番の理由は……。
「必要なかったからですね」
やはりこれに尽きるのだった。
「契約書にどんなことが書いてあろうと、勝てばいいんですよ」
「……そうなんだよなあ……そうやってここまで来たんだもんなあ……」
そう言うと紅さんは右手で軽く頭を抱えてみせたが、伏せられたその顔には笑みが見える。苦笑なのはわかっている。
「だから好きだよ、三百合ちゃん。一か月後もクビ繋がっているといいな」
「……頑張ります」
手を小さく挙げて紅さんは歩き出す。
私の初仕事が終わる。




