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END RACESIM - Part 3

 耳を疑った。クビ? 誰が?

 ……とぼけてはみるが、この場で解雇を言い渡されるべき人間について、私は一人しか心当たりが無い。



「……しかしお嬢様」

「二度は言わないわ」

「……かしこまりました」



 かしこまらないでほしい。


 一度何かを言いかけた南山さんだったが、凄みすら感じさせる泉さんの二言目にそれを諦めてしまったようだ。

 言うが早いか、力づくでつまみ出すつもりなのか、南山さんがこちらへ歩み寄ってくる。それを押し留めるため、私は両手を前に突き出し叫んだ。



「ちょっと待ってください……! クビって……なんでいきなりそんな話に……」

「あなたの仕事はこれだもの。それができないというなら、辞めてもらうしかない」

「できないって……今日は、たまたま調子が悪くて……」



 敬語が消えた泉さんの言葉から醸し出される圧に押されて、しどろもどろになってしまう。


 これは本当に私の知る泉さんなのか?

 まるで別人のように豹変した態度に、足元がぐらつくような不安すら覚える。



「この仕事、やりたくないんでしょう?」



 痛いところを突かれ、今度は何も言えなくなってしまう。

 その通りだった。


 泉さんを実車に引き込もうとしていたのは、自分の目論見のためにという理由もあるが、レースシムというもの自体に興味をいまひとつ持てていなかったからでもある。

 ドライビングのレッスンなら実車でやらせてほしい。これが私の偽らざる本音だった。


 私からの返事がないことに泉さんはため息をつく。



「……ほらね。嘘でもいいから『そんなことない』とか言えばいいのに……」



 私もそう思う。

 我ながらつくづく損な性格だとは思うが、私はどうも嘘を上手につけない。

 モータースポーツというのは残念ながらそれが美徳とされる環境ではなく、また一方で幸運なことに口下手でも速ささえあれば生きていける環境だった。

 そんな世界で育ってきた私から出てくる言葉は、やはりこの場にふさわしいものとは言えないものなのだろうが、それを止めることはできなかった。



「やる気はないし、能力も不足している。クビにするには妥当な理由だと思うけど」

「……私は辞めません」

「どうして?」

「私には、紅さんと結んだ契約がありますから」



 予想外な言葉だったからか、少し呆気に取られた様子を見せた泉さんを見て、また変なことを言ってしまったらしいということだけは理解した。



「南山、契約書は?」

「こちらにございます」



 南山さんが懐から契約書の控えを取り出す。できる執事だ。



「ちょっと見せて」



 それを受け取ってしばし眺めた泉さんは、



「あなた、この契約書ちゃんと読んだの?」



 と言った。



「もちろんです」



 私は高らかに宣言した。

 契約書に目を通さない人間なんているわけがない。……熟読しない人間はいるかもしれないけど。

 実のところ私がそうなのだが、それが泉さんにわかるはずもなし。



「ここ」

「なんです?」



 泉さんが契約書をこちらに向けてある一点を指し示し、そこに書いてある内容をすらすらと読み上げる。



「『次のいずれかの事由に該当する場合、甲は乙に対し書面で通知することにより本契約を解除することができる』」

「甲っていうと……紅さんじゃないんですか」

「私のことよ……やっぱり読んでないじゃない」

「……目は通しました」



 そう言うと、泉さんは何かを言いたげに口を開いたが、結局何も言わなかった。代わりに小さくため息をついて続ける。



「とにかく、この後に『富士沢が仕事をできない場合』という条件が書いてあるの。そういうわけであなたはクビ。お疲れ様」



 文面をそのまま読んでもどうせ理解できないと思われたのか、急にざっくばらんになった説明は、確かにわかりやすかった。

 しかしだからと言ってやすやすと引き下がるわけにはいかない。



「待ってください! ここで働かせてもらえないと借金が返せないんです!」

「それはお気の毒」

「ここに置いてもらえるならどんなことでもやりますから!」

「例えば?」

「……靴舐めます!」

「結構よ。靴なら南山に舐めてもらってるし」



 その言葉に南山さんの方を振り向かずにはいられなかった。

 私が必死に考えた起死回生のアイディアは変態執事の奇行によってあっさり無意味なものとなった。

 

 乙女の敵め……。



「お嬢様、そういった嘘をつくのはおやめください。富士沢様が信じてしまいます」

「そうね」



 冗談だったらしい。



「ときにお嬢様、私も富士沢様と旦那様の契約に同席させて頂き、契約書にも目を通しました」

「それで?」

「契約書には確かに『乙の能力が不足している場合に書面で通知した後契約を解除できる』という内容の記載がございます。しかし、書面による通知は最低でも契約の解除の一か月前になされること、という記載もまたございます」



 乙女の敵ではない南山さんが何やら私に対する援護射撃をしてくれているようだ。

 流石紳士な執事、頼りになる。

 私が内心エールを送る一方で、泉さんは黙って南山さんの言葉に耳を傾けている。



「端的に申しますと、今この場で解雇を告げたとしても実際に退職となるのは一か月後となります」

「知ってる」

「ご存知でしたか」

「ええ。……そういうわけであと一か月、短い間だけどよろしく」



 それだけ私に向かって言うと泉さんは背を向けてコクピットに座り続きを始めてしまった。

 まったくよろしくする気が感じられない。


 今すぐクビにできないことを知らないような素振りを最初に見せたのは、契約書をロクに読んでいなかった私が早とちりして出ていくのを期待したためか?

 ナメられているなあ、とは思うがそれについては完全に私の落ち度なので腹は立たない。


 それよりも気になるのは泉さんの私に対する興味の失われ方だった。

 あと一か月は私がこのお屋敷にいることが決まったというのに何ら関心が無さそうなのは、心底どうでもいいと思っているのか、あるいは一か月後には確実にクビにしてやるという決意の現れか。

 多分両方だろう。



「お嬢様、富士沢様をお嬢様専属の使用人ではなく、あらゆる雑務をこなす使用人として雇い続けてもよろしいでしょうか? ちょうど人手が不足しているものですから」

「どうぞご勝手に」

「ありがとうございます。……では、これからもよろしくお願い致します。富士沢様」

「はあ……」



 泉さんがヘッドフォンを被って完全にこちらとのコミュニケーションを絶ってしまう前に、南山さんが言質を取り付けてくれた。

 当初の予定通り泉さん専属の家庭教師ではなく雑用係としてくれた配慮がしみる。


 ともかく、これで少なくとも一か月はここにいられることができるらしい。


 律儀に一礼し部屋を出る南山さんに私も続く。

 私も一応「失礼致します」とでも言ったほうがいいかと思ったが、やはり泉さんはこちらに背を向けていて、なんの注意も払っていなかった。

 結局無言で部屋を出た。



 やることがなくなってしまい、自室に戻ろうかとした私を南山さんが呼び止めた。



「富士沢様、『お嬢様は三味線が得意』と私が申し上げたことを覚えていらっしゃるでしょうか」

「……あれはそういうことでしたか。南山さんも意地の悪い……」

「申し訳ございません。お嬢様に固く口留めをされておりましたので。ヒントとなれば、と思ったのですが」



 泉さんが三味線を弾くのが得意だという話は楽器の話ではなかったということだ。

 慣用句としての『三味線を弾く』。つまり私は昨日、一昨日と手加減されていたのだ。

 そうとも知らずに偉そうな講釈を垂れた挙句にぶっちぎられるなんて、穴があったら入りたいぐらいに恥ずかしい。


 それを知っていながら遠まわしな言葉しかくれなかった南山さんには不満をこぼしたいところだが、南山さんには南山さんの事情があったということなのだろう。

 助け舟を出してもらったこともあり、責めることはできなかった。



「ところで富士沢様、引越しの準備は進んでいらっしゃいますか?」

「引っ越し……必要でしょうか」



 契約書にサインしたときはそういう話だったが、今や一か月後にはここを出なければいけないかもしれない状況だ。

 そのことを考えると決して安くない引っ越し料金を払って荷物を持ち込むのは二の足を踏んでしまう。


 幸か不幸か、まだ引っ越しの準備には手を付けていない。

 最低限生活できるだけの家具は部屋に備え付けてあるのだし、一か月という短期間ここで暮らすだけならわざわざ私物を持ち込む必要も特にない。



「必要でしょう。……私はそう考えております」



 お会いしてからずっと執事として必要なことしか口にしてこなかった南山さんから、初めて個人の感情を覗かせる言葉が聞けたのが意外で、私は隣を歩く南山さんの顔を見上げた。


 冗談を言っているようには見えない、いつもの生真面目な表情がそこにはあった。



「どうしてそう思われるんですか?」

「お嬢様は富士沢様の大ファンでした」



 でした、という過去形が泣ける。



「本当ですか?」

「本当です。これまでのお嬢様の態度……先ほどクビを宣告するまでに見せていた朗らかな態度ですが、あれが本来の富士沢様に対するお嬢様の態度です」

「じゃあ、その後の冷徹な態度は嘘なんですか」

「いいえ。あれもまた本来のお嬢様です」

「はあ……」



 よくわからない。二面性を持った人だということなのだろうか?



「富士沢様は嘘のつけない方のようですね」

「ええ……よく言われます。先ほども泉さんに言われてしまいましたが」

「お嬢様もまた、嘘のつけないお方なのです。憧れのドライバーに会えて話ができるという嬉しさと、そのドライバーに自分の気持ちをわかってもらえないことへの苛立ち。それがあの両極端な態度の真相です」



 正直なところ、そう言われても私には信じることができそうになかった。

 冷徹首切りモードに切り替わった後が素の状態で、それまでの人当たりのいい状態は私を未だ信頼の置けないよそ様とみなしているが故の外面だったように思える。


 お客様を丁重にもてなしていたが、途中で『コイツを客とみなすこともない』と思って邪険に扱うようになった。

 今の状況とはおおむねそのような感じだと私は認識していた。



「つまり、お二人は似たもの同士ということです。きっと気が合いますよ」

「そう、なんでしょうか……」

「ですから、引っ越しの準備をよろしくお願いいたします」

「……考えておきます」



 そうは言っても、やはりそれだけを信じて準備を進める気にはなれない。

 南山さんは不思議と私と泉さんがうまくいくと考えているようだが、客観的に見てそれはどうかなとも思える。

 しばらくは引っ越しは保留とした方が得策ではないだろうか。


 とりあえず、一か月間は様子を見てみよう……。

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