END RACESIM - Part 1
家庭教師生活三日目。
やはり平日なので夕方からのレッスンとなる。
私は泉さんの昨日の急激な成長を見て、泉さんの速さを改めて知る必要があるとレッスンを始めるまでに思い始めていた。
「今日は模擬レースをやってみましょう。プラクティスから予選、決勝までの流れを想定して、
複数のセッションをこなしていきます。私も一緒に走ります」
「私が勝ってしまったらもう先生なんて必要ないかもしれませんね?」
そう言っていたずらっぽく笑う泉さんを、これまでのように単純に愛らしいと感じることは難しくなっていた。
昨日見せられた成長速度からすると、その言葉はもはやあり得ない話でもない。
私もレーシングドライバーをやっているだけあって、一般人よりドライビングについての習熟度の向上率は高い方だという自負はある。
実際に一昨日よりも昨日の方がうまく走れたという実感もあった。
しかし泉さんのそれに比べれば、私のスキルアップはわずかだ。そう遠くないうちに泉さんは私より速くなってしまうかもしれない。
すると私が雇われている理由が無くなり、放り出されないとも限らない。
「負けるつもりはありません。全力でかかってきてください。私も本気で走ります」
「冗談です。どうかお手柔らかに」
そうした危機感を覚えたこともあり、今日泉さんが日中学校に行っている間、私は南山さんに声を掛けてこの部屋を使わせてもらい、こっそりと練習をしていた。
自分の持つ実車での経験とレースシムでの感覚のズレを補正し、猛烈な勢いで差を詰めてくる泉さんに対して優位を保ったままでいられるように。
しかし残念なことに、首尾はいまひとつだった。今でも完全にズレが解消できたという確信はない。むしろやればやるほどズレが大きく、絶対に埋められないようなものとして感じられてきてしまっていた。
結局、目に見えたタイムの向上はないままこのレッスンに臨んでいる。
なんだか思っていたのと違う、という言葉がずっと私の頭から離れない。
この仕事はボンボンお嬢様のお遊びに付き合っていればいいだけの楽な仕事のはずではなかったか。
どうして私はこんなにもうまくいっていないんだろう。
どこか憂鬱な、焦りにも似た気分だ。
「では、始めます。本気で来てくださいね」
「はい!」
そんな思いを振り切れないままではあるが、コクピットに座り、マウスとキーボードを操作する。
泉さんも準備を終えコクピットに収まったのを確認してからプラクティスセッションを開始する。
この一連の操作方法は昼間既に南山さんに教えてもらっていた。
画面が切り替わり、コースにバーチャルレーシングカーが現れ、私はそれを発進させる。
これで負けたらどうしよう、とふと私は思った。思ってしまった。
私の経験からして、負けたときのことを考えて勝てた試しはない。
プラクティス、予選、そしてレースが終わった。
最終的に、決勝レースで私と泉さんの間には三秒の差が付いた。
十一周のレースで三秒の差は、大差とは言えないが僅差とも言い難い。
ただ、レースの内容を見ればそれがトップの車の完勝だったというのはわかる。
レースが始まって半分にも満たない五週終了時点で私たちの間には三秒の差がついていて、あとはレース終了までその差が続いた。
これはつまり、完全にペースをコントロールしていたということになる。
無意味に差を広げようとペースアップをすればミスにつながる。かと言って気を抜き過ぎればあっという間に後続にかわされる。
三秒のリードは、どちらのリスクからもある程度距離を取れる理想的なギャップだ。
完敗だった。
プラクティスでずっと泉さんのタイムを上回れないでいたときから嫌な汗が背中を伝い始め、予選でコンマ五の差をつけられて二位となった時点でそれは確信に変わっていた。
「二台だけでは寂しいから」と泉さんが賑やかしのためにレースに参戦させたAIドライバーと私を従えて、泉さんは完璧なレース運びを見せて決勝レースのチェッカーフラッグを受けた。
負けた。
私が、レースで、素人に……。
レースが終わってもしばらく何も言えなかった。
レースシムといえど所詮はゲーム、と一笑に付すことはできる。
だがそうやって全くの別物と言い切ってしまえるほどに、これは現実離れしたものだっただろうか。
どれだけそうして呆然としてしまっていたかはわからなかった。
我に返った私は無理矢理に明るい声を出す。
「……いやー負けました! お速いですね、完敗です。レース前におっしゃていたように、本当にもういらないですね、私」
あはは、と愛想笑いを浮かべる私に、泉さんは何も言わない。
私は負けてしまった。……よろしい! いや全然よろしくはないのだが。
ともかく、考え方を変えよう。
これは見方を変えれば好機でもある。
私がこの数日、泉さんの才能を目にして温めていた一発逆転のアイディアを実現するにぴったりの状況だ。
私はコクピットから立ち上がり、泉さんのコクピットに近づいて言った。
「泉さんにはこれ以上は必要ないと思います……レースシムでの練習は」
こちらの言葉の真意を量りかねたのか、小首を傾げた泉さんに私はこれまで走っている間ずっと考えてきたカードを切った。
「私と一緒に本物のレースに出ましょう」




