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次、無いんだよ - Part 1

「これが、あの時の映像だ」



 タクシーの後部座席、私の右隣に座る紅陵介くれないりょうすけ氏はタブレット端末の画面をこちらに向け、再生を始めた。映っているのは国内屈指の高速左コーナーとして知られている鈴鹿サーキットの130Rコーナーだ。


 その130Rコーナーに、今二台の車が左右横並びで突っ込んできた。


 二台の車はFフォーミュラ4と呼ばれるレーシングカーだった。コストの高騰を防ぐために『そこそこ』の性能に抑えられているとは言え、剥き出しとなったタイヤに前後の巨大なウイング、走行に不要なものは一切搭載されていないその姿はまぎれもなく純レーシングマシンであり、『そこそこ』と言っても市販車などとはスピードの次元が違う。コーナー進入時のスピードは、おそらく時速200kmを下っていないだろう。


 二台が130Rコーナーを揃って曲がり始める。その時、イン側の車がわずかに挙動を乱し外側へと滑り出した。



「あっ」



 私は思わず声を出してしまった。

滑り出した先には当然競っている相手の車がいる。なすすべなく両車は接触し――次の瞬間、アウト側の車は宙を舞っていた。接触した際にイン側を走っていた車のタイヤに乗り上げ、カタパルトの要領で上に跳ね上げられたのだろう。



「あーあ……」



 浮いた車は空中で右に傾き、上下さかさまになって地面に衝突したものの、それだけでは勢いが失われず路面を転がっていく。何回転かしたのち、コース横のタイヤバリア付近で、元通りタイヤを下にしてやっと止まる。


 車は酷い状態になっていた。ウイングは前後ともボディからちぎれ飛んでおり、ホイールはかろうじてまだくっついてはいたものの既に円形ではなく歪にひしゃげている。そしてコクピットに座るドライバーのヘルメットに包まれた頭部はぐったりとうなだれていて微動だにしていなかった。レース中断を示す赤旗をコース脇のマーシャル(スタッフ)が大きく振っているのが見えた……。



「どう思う?」



 そう言って紅さんはタブレットの画面に触れた。動画が停止する。



「そうですね……」



 どう、と言われてもなあ。とりあえず真っ先に思ったのは……。



「このドライバー、絶対死んだでしょ」

「そう思うかい。私もそう思ったよ」



 それも無理のないことではある。客観的に見て、あのクラッシュは悲惨の一言に尽きる。モータースポーツに関心を持つものなら誰でも、いや、全く関心が無い者であってもドライバーが無事では済まないことをまざまざと思い描いてしまうだろう。

それだけひどいアクシデントだった……が、あのドライバーは実際のところ命を落としていないことを私は知っていた。



「本当に生きててよかったな……三百合ちゃん」



 私、富士沢三百合ふじさわさゆりの所属するレーシングチームである〈クリムゾンレーシングチーム〉のオーナーである紅さんは私を見つめてしみじみとそう言った。しかしそれでも、やはりこのグシャグシャに潰れた車の中に座っていたのが自分だったという実感は湧いてこないのだった。


 この時の記憶はまるで最初から経験していなかったかのようにすっぽりと抜け落ちている。気が付いたときは病院のベッドの上だったが、目を覚ましてから程なくして現れた医者は私の体が無傷と言っていいほどの状態であることを伝えてくれた。医者が言うには『奇跡』なのだそうだ。


 体が無事である以上、病院に用は無い。目を覚ましたのが夜だったせいで一晩入院する羽目にはなってしまったが、大事故に見舞われた翌日に私は退院と相成った。

そして病院という場所におよそ似つかわしくない健康そのものの軽やかな足取りで病院の玄関を出た私を、紅さんが待っていた。「話があるから少し付き合ってほしい」と言われ、正面玄関前に横づけしてあったタクシーに乗り込んだのがつい三十分前のことだった。



「ご両親から大事な娘さんをお預かりしているんだからな。何かあったら申し訳が立たない」



 紅さんが心底ほっとしたように言う。離れて暮らす両親への連絡は紅さんからしてくれていたことを既に聞いていた。



「うちの両親はモータースポーツが危険だってこと理解してますから、どうなっても紅さんを責めるようなことはしないと思いますけど」

「いくら口ではそう言ってもな、自分の子供が大事故に遭ってなお平静を保てる親はいないよ……私だってそうだ。三百合ちゃんもいつか親になればわかるよ」

「そういうものですか」

「そういうものさ」



 それでも私にはいまひとつピンとこない。いつか親になる、などと言われても、こちとら来年もドライバーで食べていける保証などどこにもない単年契約の身だ。

さらに言えば、クラッシュという大きな失敗をしでかしてしまった直後でもある。思いを馳せるべきは未だ影も形もない子供ではなく、明日の私自身についてだ。



「そんなことより、レースについてですよ」

「……確かに、レースは残念だった」



 紅さんは私に言い聞かせるように言った。

 レースの結果については、両親への連絡をしたのかなどというどうでもいい事を聞くよりもずっと前に、病院の玄関で紅さんの姿を確かめた私が真っ先に尋ねたことだった。

 私の大クラッシュでいったん中断となったレースは、私の車の残骸を片付けた後再開され、その後無事に終了したという。


 レースに勝利したのはあの時私の内側を走っていて、私をコース外へと弾き飛ばしたあの相手とのことだ。

 車がスクラップと化した私とは異なり、運よくスピンするだけで済みダメージも軽微だったことで、あいつは少々ペースを落としながらも後続を寄せ付けず、最大のライバルが消えたサーキットを悠々と走り切りトップでチェッカーを受けた。レース終了後、私との接触について審議があったものの結局はお咎めなし。晴れて優勝が確定、リタイアでノーポイントに終わった私を飛び越え逆転でシリーズチャンピオンに輝いたとのことだ。


 それを聞いた瞬間、私の体内で言葉にできない怒りやら悲しみやら自責やら雑多な感情が荒れ狂い始めたのがわかった。しかしそれを表に出す愚は犯さず、今も必死で抑え込んでいる。


 この屈辱は返してやらなければならない。もちろんぶつけ返すという意味ではない。私にぶつけたあいつを、こちらは誰の目にも実力差が明らかとなるように正々堂々と抜き去り、大差をつけて完膚なきまでに叩きのめしてやる。



「だが、命あっての物種だ。また次の機会もあるだろうから……」

「次……」



 そうだ、次だ。次のレースだ。今度あいつと戦えるのはいつだったっけ。昨日のレースが今シーズンの最終戦だったから……来年か。



「そう。くじけるなよ。次があるんだ」

「はい」

「うちではないけどね」

「……はい?」



 紅さんの慰めの最後に不穏な一言が付け加えられたのを聞き逃すことはできなかった。

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