推理の構成
「──あなたは奇術の構成を知っていますか?」
「奇術? ……手品か? えっと……あのタネも仕掛けもありませんっていう」
「そうです。今、そちらが言ったパートは確認と言います。舞台に立つ奇術師が、ここに用意したものはなんの変哲もないものである、と観客に確認をさせるのです」
ジョーは、これまでレイチェル・アンバーなど知らなかった。レイン・メーカーが前もってよこす人物の情報を伝えている場合は必ず言伝があった。ここ最近、誰かに身辺調査を受けているような感覚もなかったことを、ジョー・スミスは確認している。
「次のパートは展開。奇術師はなんでもないものを使い、あっと驚くことをしてみせるのです。トランプの絵柄を操作してみせたり、瞬間移動してみせたり。ぼくにこれを教えてくれた足の悪い中国の奇術師は、風呂敷一枚で机の上に置かれた水の入っていない丸い金魚鉢を一瞬で消してみせました」
足音で余所者だと見抜いた、というだけでもジョーにとっては信じがたい奇術であったが、外套の裏に隠した蒸気式義手と軍人である、という事実はただ観察するだけで看破できるわけがない。見えないのだから。分かるわけがない。
困惑するジョーを他所に、レイチェル・アンバーの展開は続いた。
「しかし、彼は言いました。ただ目の前のものを消しただけじゃ拍手は生まれない。戻さなければ。彼は最後のパートを偉業と表現し、消えたはずの金魚鉢をそっくりそのまま戻してみせました。一緒に観賞していた使用人やイギリス陸軍の方々が拍手しました。この構成は、シャーロック・ホームズにも当てはまります。犯行は不可能だと警察が確認した事件を、彼が一つひとつ隠された事実を展開させ、解決という偉業に導く。ただ、両者の偉業を凡庸なものにしてしまう方法がたった一つだけあります。分かりますか?」
ジョーは小さく首を左右に振った。
「手法明かしです」
レイチェルはこちらを見下ろした。
「赤毛組合のジャベズ・ウィルソンは、ホームズがどういう根拠でもって素性を当てられたのか順序立てて聞かされ、こう返しました。『最初はものすごい推理力だと思いましたが、結局たいしたことはなかったんですな』、と。奇術師の場合は偉業といっても見世物ですから、その手法を知られるともう商売にはなりません。ましてやぼくのように、彼はただ足が悪い振りをしていて、大きな風呂敷で机ごと金魚鉢を隠した際に、それを両足に挟んで消えたように見せかけていたということを知ってもなお、高い入場料を払ってまた彼のショーが見たいと思う人はいないでしょう。大多数の人はその努力を称賛こそすれども賞賛することはないからです」
「ちょっと待ってくれ。レイチェル。きみは他人に賞賛されたいのか?」
「いいえ」
「そうだよな。自由になりたい……んだよな?」
「それも正確ではありません」
「……要領を得ないな」
「まず、知ってもらいたいのはぼくのあれは魔術の類じゃありません。手品のそれと同じように仕組み自体は論理的なものです。これは、シャーロック・ホームズも同じです。彼はただの努力の人なのです。好奇心旺盛で行動力がある。医学生でもないのに病院の研究室に入り浸り、死体を杖で叩き、血中に含まれるヘモグロビンに反応して沈殿する試薬を作る。決してぼくのような安楽椅子探偵ではないのです。ぼくが憧れているのは世界でたった一人、専門的な助言をする探偵ですから」
「じゃあきみは……シャーロック・ホームズになるために……自由になりたい、と?」
津波のように押し寄せてくるレイチェルの豊かな知識と教養に圧倒されつつも、ジョーはなんとか彼女の言いたいことを理解して、要点だけを正確に質問にしてみせた。
「その通りです。気分を害したのであれば謝ります。ただ、ぼくは別に前もってあなたが来ることを聞かされていたわけではありません。あなたと出会ったのは今日が初めてです。ぼくはただあなたを見て、客観的な事実を順番に並べたに過ぎません。左腕が不自由だと思ったのは、軸足が右側に。左肩がやや上に、右肩がやや下になっていたからです。一度、義手というものを持ったことがありますが、腕にぶら下げるにはなかなか重量がありました。重たいものを持つ際、たとえば使用人が小麦袋を担ぐ時、彼女たちは小麦袋が重心の上になるようにします。となると左腕が義手か、もしくはなにか仕込みをしていて、両腕の重さが釣り合わないがために軸が偏っている、と分かるのです。また、義手をする人はよく手袋をします。あなたの右手は手袋をしていなかったので、それも一つの判断材料となりました。軍人であるかどうかは外套の肩や背中についたすり切れたワッペンで分かりました」
「すごいな……こいつは」
反論の余地などあるはずがない。確かにその通りである。
一言一句レイチェルの言う通りだったので、ただただ感心──を通り越して怖気がした。
「……流石に化け物を見るような目をされると、ぼくでも少し傷つきます」
「っ、いや、悪ぃ……」
「いいですよ。大抵の人はなんだそんなことかと呆れるか、気持ち悪がるだけなので。ただ勘違いしないでください。ぼくはただ知りたい…………いいえ、分からないのが怖いのです」
《《子どものくせに》》無知への恐怖心だけでここにある大量の本を平らげたというのか。
にわかには信じられないが、信じざるを得ない凄味を感じ取ったジョーは深々と息を吐いた。
ただ、得体の知れない何かに見えていたレイチェル・アンバーという少女が、他人の顔色を窺っておっかなびっくり話しかけてくる、どこにでもいる子どもと大差ない、という事実をようやく呑み込むことができたジョーは、緊張の解けた面持ちでため息をついた。
「……妹だよ。昔、妹がいた。今は…………これで納得してくれ」
「分かりました」
そう言ってレイチェルは、ほんの少しだけ口角を引き上げた。
【プレステージ】
2006年に公開された映画、プレステージは二人の奇術師が生涯をかけて互いを出し抜き合うお話だ。
本作では十九世紀から二十世紀にかけての奇術師たちのリアリティあふれる姿が描かれており、当然そこで使用される手品も残酷な内容を多く含む。
拙作では上記以外にも様々なマジック映画、マジシャン映画を強く尊敬している。興味を持った方はぜひ見てほしい。
・・・
【ひとは流れの中で前提を与えられると、それを大昔からあった当然のもののようにとらえる――アルバート・キャデラック】
【なにを語ったか、ではない。だれが言ったか、だ──モニカ・ベル・トロイヤ】




